この連載もいよいよ今回が最終回。ありがたいことに好きに書かせていただいてきました。ここでなければ書けないものを!というわけで「No Box For Me: An Intersex Story」をご紹介。
「No Box For Me: An Intersex Story」公式サイト
http://www.andanafilms.com/catalogueFiche.php?idFiche=1247&req3=g
この映画、イギリスではヒューマン・ライツ・ウォッチ映画祭、ロンドンLGBTQ+映画祭で上映された後、オンラインで公開中。日本で公開されるかは不明。58分と短めのドキュメンタリー映画で劇場公開向きではなく、チャンスがあるとすれば、やはり映画祭、オンラインやテレビ公開か。
メインとなるのは半陰陽の2人。生まれたままの体を異常とされ“普通”に近づけるべく、心身ともに負担の大きい手術や投薬を、自身の意思とはかかわりなく、幼いころから幾度も施され現在に至る。
片方は顔など皮膚部分が空白にされている。まるで透明人間だ。25歳に27歳と年齢も近く、そう離れてもいない所に暮らし、女性として育てられてきた2人は、お互いを発見、そして実際に会う。自分の経験を分かちあえる人との、初めての出会いだ。
だが、ことさら感動的に盛り上げることも、センセーショナルにもしていない。えぐい映像などもない。日常的な風景に心地よい音楽がかぶさる、詩的な映画だ。それが、こちらを構えさせず、すんなりと2人に添わせる。
空白だった1人は、もう1人と出会った後、次第に埋められ実体となる。顔出しを拒んでいたのが、了承するようになったのか、あるいは、徐々に自分をオープンにしていく心象を表すのか、いずれにせよ、印象深い映像処理だ。
2人の他にも、YouTubeで顔出しするなどして自分たちが置かれている現状を訴える活動家なども登場する。
この映画で衝撃だったのは、1.7%は半陰陽で生まれてくるという数字だ。ということは、100人集まれば1人や2人はいる計算で、そこそこの規模の学校や職場ならいたはずなのに、どうして今まで会ったことがないのだろう。
そして、気づいた。隠されていたからだ。それこそが、この映画の訴えることだ。タブーとされたまま処置されていることが問題なのだ。柔らかな映像と音で観せていく映画だが、観た者の目をしっかりと開かせる。
あらためまして、みなさま、これまで読んでいただいて、ありがとうございました!
2019.7.29 掲載
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