これまで精神科のお世話になったことも、警察のご厄介になったこともないのは、精神的に強いからでも、善人だからでもなく、そこまで追いつめられることがなかったから、それはたんに運が良かっただけなんじゃないかと思うことがある。飢えを体験したこともなければ、目の前で家族や仲間が殺された経験もない。そんなことが日常的に起こる場所や時代に生まれずとも、現代の平和な日本でだって人は追いつめられる。
大なり小なり、いつも何かしら気がかりや不安はあるし、限界ギリギリまで無理をしていることもあるかもしれない。そのバランスは思うより危ういものだし、順風満帆と考えていた状況だって意外に簡単に反転する。
『精神』の主役は、そんなバランスを保てなくなってしまった人たち、外来精神科診療所「こらーる岡山」に通う患者たちだ。人目もはばからず、泣き、わめき、あるいはぐったりと脱力してしまったような様子を見せる患者たちと正面から向き合い、その病の奥に隠れた人間にまでたどり着いたこのドキュメンタリー映画は、各国で高い評価を受け、多くの賞を受賞している。
見ていくうちに、期待していたことがある。それぞれが語る思いは、こちらにちゃんと伝わってくる。我が子に手をかけた、身を売って暮らしたといったことでさえ、そこに至るまでの話を聞けば、単純な正義をふりかざして裁くような気持ちにはなれない。海を越えた国々の言葉に訳された字幕になっても伝わったから、それだけの評価も得ているのだろう。そうやって思いを伝えることが、病を癒すことにつながるのではないか、この映画に登場したことによって、快方に向かいはしないか。期待したのは、そんなハッピーエンドだ。
奇異な行動を見ると、つい忘れてしまいそうになるが、みな最初から病んでいたわけではない。「これでも昔はけっこう美人でもてた」ような女性だったり、「すごく勉強した」学生だったりした、身近な誰かとたいして違わない人たちだ。そして、病んでいる今も、母だったり、息子だったりもする。思えば当然でもあることに、あらためて気づかされていくにつれ、ハッピーエンドを望む気持ちも強くなる。
だが、そんなフィクションのようにお手軽なハッピーエンドは訪れない。映画のお終いで、幾人かが帰らぬ人となってしまったことが知らされる。
どうすれば救えたのか、と考える。病んでしまった人をどうしたら助けられるのか、病む前に助けがあれば病まずに済んだのか。答えはまだ見つからない。
患者が地域で暮らせるような方法を模索しているという山本昌知医師の「こらーる岡山」を舞台にしたドキュメンタリー。自身が学生時代に燃え尽き症候群と診断されたことで心の病への意識が全く変わったという想田監督(写真はベルリン映画祭でのヨーロッパプレミア時のもの)は、日本のタブーに挑み、モザイクなしで顔を出すことに同意してくれる患者を探すことから始め、患者を人間として描くことに成功している。6月13日東京から順次公開となるので、各地の公開時期、場所はウェブサイトでご確認を。
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/theater.php
監督・製作 想田和弘
製作補佐 柏木規与子
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2009.5.18 掲載
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