第78回 「幼稚化する高校生」について
皆さんこんにちは。今回も連載をご覧下さりありがとうございます。
今月初め、九州地方北部を襲った豪雨を、気象庁は「平成24年7月九州北部豪雨」と命名しました。被害に遭われた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
また、子育て世代の皆さんの経済状況悪化も気がかりです。特に、ひとり親家庭の場合、保護者の経済状況の激変は子どもを直撃します。高校の授業料が、公立校は無償化(私立校は相当額補助)になっているのに、保護者の経済状況が悪化しているケースが目に付きます。夏休み中でも大きな変化があった場合は、学校にいち早くご連絡をお願いします。
また、そういう状況ではない場合は、幸せな生活ができていることを、お子さん自身にぜひとも理解させていただきたいです。そして、お子さん自身が、自分の置かれている環境に感謝し、すべきことを精いっぱい努力するよう自覚してくれることを願います。
滋賀県大津市での中学生いじめ事件については、多くの方が怒り、同時に、胸をいためていることと思います。私は私立校勤務なので、教育委員会とは関係なく仕事をしておりますが、このような事件が起きると、教員の保身に走り、子どもたちを守らない教育委員会は不要である、という思いを抱きます。
いじめられている皆さんは、夏休みになり、いじめる生徒と顔を合わせずほっとしているでしょうか。苦しい思いがあるなら、自分ひとりで抱えず、たとえば、次の連絡先に相談してみて下さい。
この事件に限らず、いじめで気になるのは、金銭の恐喝など、明らかに「犯罪」と思われる行為にまで発展してしまうことです。
ロゼッタストーンで行なっている「理想国会」というプロジェクトがありますが、以前、弁護士の郷原信郎氏にお話をうかがった際、「小学生から法律に関する教育をしてほしい」という趣旨のことをおっしゃっていました。この話は、私なりの意見も取り入れ、改めて書く予定でいます。
* * * * *
今回のテーマは、「幼稚化する高校生」について、です。第53回「ふたつの努力」について、と、第62回連載「高校進学の意義」について、も併せてご参照願います。
第62回連載でも書いたのですが、高校は、生徒の立場から見れば、「将来の進路へ主体的に進むための通過点」としての存在意義があります。また、少子化の進む中、高校の立場から見れば、「進学・スポーツなどでさまざまな実績を挙げた、優れた受験生に入学して欲しい。入学後はこれらの点で、生徒をしっかり指導したい」という意味が強まっています。
最近痛感するのが、「義務教育ではない高校生は、成人、また、社会人への重要な準備期間」であるにも関わらず、そのことを理解していない保護者と生徒が存在する、ということです。それは学力上位層から、そうでないレベルの生徒まで、どこにでもいる、という印象を強く持っています。今回、そのような者を、「幼稚化する高校生」として取り上げます。
お断りしておきたいのですが、もちろん、「高校生は、成人、また、社会人への重要な準備期間」ということをきちんと理解している保護者と生徒も多く存在します。また、良い意味で純粋な、子どもらしい部分を失っていない生徒も多いのですが、ここではそのような生徒のことではなく、「幼稚な者」について考えます。
幼稚な生徒は、教員からの指示などに対し、「楽しくないことは、したくない」と文句を連ねたり、「これは必要」と言っているにも関わらず、自分勝手に教員の説明を聞かなかったり、また、説明を勝手に省略してノートに書いたりします。この場合、当然成績は中位以下、下位層になります。
文句を大声で言っても何も状況は変わらず、かえって同級生に迷惑がられたり、また、厳しく教員に怒られる結果を招くので、何も良いことはありません。
また、成績上位層でも、保護者につきっきりで勉強を見てもらったり、チェックしてもらわないと学習できない、つまり、自主的に机に向かうこともできない場合もあります。これもある意味、幼稚な者です。その結果、高度で大量の勉強に恐れをなして、不登校になるなどのケースも起こっています。
(子どもの成長には個人差があります。たとえば、最近人気の上昇している学校に子どもが入学すると、毎年勉強のレベルが上がっているので、入学する前の予想より勉強がハードになっているのが一般的です。そこに、幼稚な生徒が入学すると、自主的に机に向かえず、週末などに保護者に見てもらっても、到底勉強が追いつきません。そこで、精神的に追い込まれてしまうのです。
精神的に子どもが追い込まれてしまったら、無理にそのペースについていくのではなく、学校を変わるほうが良い場合もあります。どうしても、「この生徒は、この学校の校風には合わない」と思う生徒は、残念ながら存在します。そのまま通い続けてもお子さんにとって良いことはないので、学校やお住まいの自治体のカウンセラーなどに相談して、その子に合う道を選んでいただきたいです)
話を戻します。スポーツなどでも共通するはずですが、すぐに結果が見えない、楽しくないことでも、基礎的なトレーニングは重要です。たとえば、「小学生時代のコーチに、基礎的な練習をみっちりさせられた。『高校生くらいになるとこれが役立つ』と言われて努力したが、その時は意味が理解できなかった。でも、今はその意味が分かり、当時のコーチに感謝している」という生徒がいます。
もし、楽しくないことは努力しない、など、文句を言うだけだったり、「漢字検定、英語検定などの資格取得は、学校の成績に無関係だし、面倒くさいからしない」などと勝手に思い込んでいる場合や、世の中への関心が低いままなどの場合、(大学を選ばなければ)どこかの大学には入れても、大学で、就職指導の際など、改善できるまで厳しい指導を受けることになるでしょう。
なぜなら、そのような者を就職させてくれる企業があるとは到底想像できませんので、「就職できるように」大学が必死に指導するからです。就職率は大学の評価に直結する数字ですので、評価を少しでも上げるための方法が取られます。もしここで改善できなければ、そこまでに高額の教育費を投じていても、就職は難しいでしょう。
ちなみに、英語検定などの資格は、もちろん本人の実力をアップさせてくれますし、一定以上の級を取得していると、入試で優遇されるなどの場合もあります。ですから、「目の前の成績には無関係かもしれないが、長い目で見れば本人にとってプラスになる」ものです。
なぜこのような話を書くか、という理由は次の通りです。今の高校生を見ていると、大変意識も高く、世の中に対して深く考えている者も多くいる反面、「高校生時代に、かなり見聞を深め、知識を増やす土台を作らないと、このまま大学に進んでも就職は難しいだろう」という者も多く存在するからです。実際に、就職以前に、大学での学習についていけず、中退してしまう者も見てきました。
世の中への関心が低く、自分の周囲のことしか関心がない。指示に対し、同意や疑問ではなく文句が先に出る。また、依存心が強く、自分から積極的に行動できない。それが「幼稚化する高校生」です。成績上位層から下位層にまんべんなく存在する、というのが率直な実感です。
今は、大学を選ばなければ入学できます。しかし、世の中への関心や学力が低いまま進学しても、進級、卒業、そして就職は困難を極めます。つまり「幼稚化する高校生」は「ニート予備軍」に直結しかねません。成人しても彼らの自立は難しく、つまり、出生率への貢献も困難になり、また、生活保護などで日本の財政への大きな負担になることも容易に想像ができます。このような若者を多く生産することに、私は日本の危機を感じています。
保護者の皆さんに想像していただきたいのですが、今役に立っていることや、勉強は、楽しいことばかりだったでしょうか。決してそのようなことはないはずです。それが、ご自分が保護者になった時に、「ストレスを感じたくないから」などという理由で、たとえば、「子どもに嫌われたくないから好物しか出さない」という保護者もいると見聞きしたことがあります。実際、厳しいことを言ってこなかった、という保護者にも出会います。このようなことが続いていれば、「困難な努力をしなさい」と言われても、できないのはある意味当然です。
このような保護者と生徒、また、世の中を見ていて気になるのが、「言った者勝ち」という考えのもとに行動している者がいるように感じられることです。クレームなどを言えば要求が通ると思い、それで教員の指示にも文句を先に言うのではないか、と私は考えています。
ただし、文句を言って授業進度が遅くなったり、宿題が減ることはありませんし、社会に出れば、文句ばかり言っている者は、容易にリストラ対象になってしまうのではないでしょうか。
また、「我慢して、やみくもに努力しなさい」と言っても、なかなか難しいのも実情です。まずはきちんと目の前のことができたら、ほめて次につなげるようにしていただきたいです。
そして、将来の夢や目標を見つけられると、努力もできるようになることが一般的なので、学校の紹介する催し物だけでなく、あらゆる機会を使って家庭で折を見て話し合いをしてほしいです。たとえば、「一日医師体験」などを高校生に実施している病院もあります。
子どもはいつまでも幼いわけではありません。成長の課程で、保護者を始め、周囲とさまざまな対立や葛藤をし、その結果成長していくのです。しっかり成長した子どもは、周囲の者をきちんとサポートしてくれます。これは、しっかりした生徒たちに助けられている日常から、私が痛切に感じていることです。
夏休みに入ったばかりの今だからこそ、親子で話し合う時間を作り、お子さんが充実した高校生活を過ごせるようになってほしい、私は切実にそう願います。
【今回のまとめ】
- 高校は、生徒の立場から見れば、「将来の進路へ主体的に進むための通過点」としての存在意義がある。高校の立場から見れば、「進学・スポーツなどでさまざまな実績を挙げた、優れた受験生に入学して欲しい。入学後はこれらの点で、生徒をしっかり指導したい」という意味が強まっている
- 「義務教育ではない高校生は、成人、また、社会人への重要な準備期間」であるが、そのことを意識して育てられていない幼稚な生徒があらゆる学力レベルで存在する
- 大人になるためには楽しいことばかりしていれば済むわけでもなく、つらいことや、また、高度な勉強をするための基礎的トレーニングも必要。しかし、幼稚な生徒は「楽しくないものはできない」と文句を連ねたり、また、高度で大量の勉強に恐れをなして、不登校になってしまったりする。子どもの成長には個人差があり、最近人気の上昇している学校に子どもが入学すると、毎年勉強のレベルが上がっているので、入学する前の予想より勉強がハードになっている。精神的に子どもが追い込まれてしまったら、無理にそのペースについていくのではなく、学校を変わるほうが良い
- スポーツなどでも共通するが、すぐに結果が見えないことでも、基礎的なトレーニングは重要。文句を言うだけで努力しないと、大学にはどうにか入れても、その後再び改善できるまで厳しい指導を受けることになる。改善できなければ、高額の教育費を投じても就職は難しい
- 「幼稚化する高校生」は、大学を選ばなければ入学できるが、世の中への関心や学力が低いまま進学しても、進級、卒業、そして就職は困難。「ニート予備軍」に直結しかねない。彼らの自立は難しく、日本の財政への大きな負担になることも容易に想像できる。このような若者を多く生産することは、日本の将来の危機につながる
- 将来の夢や目標を見つけられると、努力もできるようになることが一般的なので、学校の紹介する催し物だけでなく、あらゆる機会を使い、家庭で折を見て話し合いをしてほしい
2012.7.26 掲載
|