第62回 「高校進学の意義」について
皆さんこんにちは。今回も連載をご覧下さりありがとうございます。
毎年この時期になると、「授業料を滞納していて卒業できない高校3年生」が出ないかと、現場はハラハラします。授業料に未納があると学業優秀でも卒業させられず、中退扱いにせざるを得なくなりますが、経済状況の悪化でそういう生徒が毎年多く出るようになっていて、大変いたましいです。
今年は厚生労働省が指揮を取り、そのような高校3年生への救済策が取られるそうで、安心しています。各都道府県の社会福祉協議会で受け付けるそうです。詳しくはこちらのニュースをご参照下さい。
http://www.news24.jp/articles/2010/02/13/07153483.html
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今回は「高校進学の意義」について考えます。
現在の日本の教育体系では、高校は義務教育ではありません。義務教育化すべき、という声もありますが、このことに関しては後ほど意見を述べます。
中学卒業後は現在、ほぼ全員の生徒が高校に進みます。公立校の場合、毎月の授業料は1万円前後ですが、貧困家庭にはこの負担も重いので、政権交代により、「高校の授業料は公立校の場合無償、私立校の場合公立校と同額補助か、家庭の所得に応じて増額」と決まりました。
なお、高校は普通科以外に商業科、工業科、農業科などもあるので、「将来の進路へ主体的に進むための通過点」としての存在意義があると思います。私は、高校は普通科でしか教えたことがありませんが、商業科などに勤務される教員は、普通科と異なるさまざまな特色ある取り組みをされています。
ただ、普通科では、少子化で推薦入試が当然になっている現在、実質的に義務教育の気分で進学してくる生徒が後を絶ちません。私立校の推薦入試の場合、あらかじめ学校が示した基準に成績が達していれば良いので、入試と言っても面接と作文だけ、「落ちない」前提の試験なので、このようなことになります。
しかも、中学時代の成績も絶対評価なので、「この生徒のレベルで(5段階成績の場合)標準の3なら、今や3という成績は、極端な話、さぼっていてもつくのか」という教員同士の会話さえ出ています。
なお、公立(難関)校の推薦入試の場合、委員長やクラブの部長などもがんばり、学業も努力した生徒が集まりますが、倍率も高いので不合格になり、一般入試で再チャレンジすることも珍しくありません
このような状況ですので、高校入学後、「予習・復習」の宿題を出しても、嫌がったり、極端な言い方をすれば、「黙って座っていれば卒業できる」と思っている生徒もいます。
そこで、学校ごとに、「落第点(学校によって赤点、欠点などと表現しています)があると追試、最悪の場合、卒業保留や留年になる」とか、「評定平均が○点以下(学年で○位以下)の場合、付属大学へ進学をさせられない」などと言い、一方で予習などの姿勢を身につけさせ、生徒に自覚を持たせていかねばなりません。
本来なら生徒自身の高校進学前に自覚はできていなければならず、周囲の大人も指導しているはずですが、少子化で入試が形骸化した結果、「努力しないでも進学でき、大人になれる」という勘違い生徒を多く生み出してしまう結果になりました。中高一貫校の場合でも、自覚ができないまま高校進学すると、同様のことが起こります。
ただ、たいていの生徒は、課題を出しつつ、根気強く話していけば「黙って座っていてはいけない」と気づきますが、中には、かなり早い段階で努力をあきらめてしまう生徒もいて、教員たちは手を焼いています。全員が100点を取れるようになる必要はありませんが、その生徒なりに「努力したら得られるものがある」と自覚できるようにならないと、社会に出ることが難しくなり、ニートやフリーターにそのまま進んでしまいかねないからです。
「中学卒業後は現在、ほぼ全員の生徒が高校に進みます」と先ほど書きましたが、卒業、となると話は別で、中退者が後を絶ちません。ただ、高校中退後、通信制などの高校に転学して卒業できれば、高卒資格が得られますが、それは貧困家庭には苦しいことで、更に、高校中退のままではアルバイトなどにしか就業できず、「貧困の再生産、固定化」の恐れが指摘されています。
ですので、授業料無償化は、このような悲劇を食い止める貴重な手段でもあります。
そこで、「いっそのこと高校を義務教育化すべきである」という声が挙がります。ですが、高校も、(無試験で進学できる)公立中学と同じ形にすると、「難関校を目指す生徒から小学生レベルのままの学力の生徒」まで、学力がさまざまな高校生が同じ教室にいることになり、教員はどのレベルを対象に授業や進路指導をすべきか、設定できなくなります。
難関校を目指す生徒に合わせれば学力下位層の生徒は「授業は理解できず、放課後は補習漬け」となるのは目に見えていますし、下位層に合わせれば上位層の生徒は学校の授業は無意味、無価値と切り捨てて、予備校の授業の予習・復習ばかりしかねません。
また、義務教育にすると、「問題行動を起こした生徒への処遇をどうするか」という問題が浮上します。携帯電話の所持、保護者の知らない裏サイトへの接続や友人からの誘いなどで、犯罪が低年齢化しています。今年に入り、「中学生が大麻で逮捕」という前代未聞の事件も起き、私も衝撃を受けました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100107-OYT1T00926.htm
このような悪質な場合は逮捕されてもやむを得ないと思いますが、義務教育ではよほど悪質な犯罪行為や、周囲への授業妨害などの悪質行為をしない限り、基本的に停学(出席停止)処分にできません。公立校の場合、退学は不可能です。私立校の場合ですと、校風を乱し、改善の見込みがないと判断されれば、退学させることがあります。義務教育はインフルエンザなどで「登校できない」場合でもない限り、「教育を受ける権利をむやみに奪ってはならない」からです。
むやみに退学させれば良いとは思いませんが、悪い行ないをした生徒が、改心もせず教室にいれば、必ず周囲に悪影響を与えます。そういう生徒が複数いて、他の生徒を巻き込んでしまえば、授業が成立しなくなり、まじめな生徒が「勉強したいが、他の生徒のせいで学業ができない」ことにもなりかねません。
それとも、万引きや喫煙などでもどんどん警察に子どもを逮捕させ、厳罰処分を科して平穏を保つことにするのでしょうか。それも子どもの将来を傷つけはしないでしょうか。
(現行法ですと、14歳以上ですと、逮捕されれば大人と同様の取調べなどを受けたのち、家庭裁判所に送致されます。14歳未満なら児童相談所に通告後、必要があれば家庭裁判所にやはり送致されます)
ですので、義務教育にするのであれば、このような「授業レベル」と「生徒指導」の問題を同時にクリアする必要が生まれます。
私は、高校は「将来の進路へ主体的に進むための通過点」としての存在意義がある、と最初に書きました。いずれ誰もが、社会へ出て自立できるようにするのが教育の重要な役割です。特に、成人直前の高校時代は、自立への重要な役割を担っています。
そのためには、義務教育化するのではなく、現行のように授業料負担などで貧困家庭を支えつつ、また、万一退学してもサポートして、「自覚を持って努力できるようにし」、高卒資格を得られるようにするのが良いと考えます。
【今回のまとめ】
- 現在は義務教育ではないので、「将来の進路へ主体的に進むための通過点」
- ただ、少子化で推薦入試が主流化し、実質的には義務教育の延長の気分で進学し、予習や復習などの自学自習の意義がわからない生徒もいるので、自覚を持たせる必要がある
- 高校中退で家庭に資金があれば、通信制高校などに転校できるが、資金がないと、高卒資格が得られず、一生低賃金で貧困層から抜け出せず、貧困層の固定化につながる恐れがある、授業料無償化はこのような流れを防ぐことができる
- 義務教育化した場合、無試験で進学できる形にすればさまざまなレベルの生徒が存在し、適切な学習指導などができにくくなる
- 更に、義務教育化すれば問題行動を起こした生徒も退学させられず、学校によっては授業が成立しないなど多大な弊害が出る恐れがある
2010.3.1 掲載
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