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第53回 「ふたつの努力」について

皆さんこんにちは。公私共に慌ただしくて更新ができず、大変失礼致しました。
  先日身につまされるニュースを読みました。大阪府内の公立中学教員が、「勤務中に学校を抜け出して乗馬をしていた」という内容です。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081028-OYT1T00442.htm?from=navr

「家族の介護でストレスがたまっていて、動物との触れ合いで癒されたかった」と、いうのが主な理由だそうです。理由は何であれ、勤務時間内に別のことをしているのですから、処罰されるのは当然だと思います。

ただ、やはり教員で、義父の介護問題に直面している私から見れば、「仕事では思春期の生徒、家に帰ればお年寄りと、まったく違う世代の生身の人間を相手にしていて、心身の負担は大変なものだろう」と感じます。しかも、中学生とお年寄り、それぞれ違う意味で「説明しても言うことを受け入れない」のも珍しくないので、「何もかもうまくいかない、こんな状況逃げ出したい」などと思い、心身を病んで、仕事や介護を続けられなくなっても不思議ではありません。この教員は乗馬でストレスを解消していたので、それぞれの任務に取り組んでいた、とも言えます(ただ、ストレス解消は勤務時間外にすべきことですが)。

もちろん、教員以外のお仕事をしている場合も含め、家族に負担がのしかかる現在の介護制度の負担に耐えきれず、仕事をあきらめる人も多くいるのではないでしょうか。私も(義父は自分の希望で施設に行ったのですが)、施設では認められないことを「当然の常識」と思い込んで言い続け、職員の皆さんを困らせているのを見ると、「義父が在宅介護だったら、私は仕事を続けられていただろうか」と背筋が寒くなり、また、職員の皆さんに深い感謝の気持ちを抱きます。

今回のニュースや自分の体験から、少子高齢化が急速に進む現在、介護の負担が家族にのしかかっている現状を改め、大至急「介護の社会化」を進めねばならない、と強く感じています。

今回は「ふたつの努力」について考えます。
  勤務していて、「努力をしたくない」と現実逃避を試みる生徒が多くいることに、私は強い危機感を抱いています。具体例を挙げれば、

    ・宿題などをせずに放置する
    ・覚えねばならない課題に取り組まない
    ・極端な場合、授業中に集中することすら嫌がる
などです。

私の勤務先は決して「困難校」と言われるところではなく、ほとんどの生徒が進学するのですが、それでもこのような生徒たちが存在することに、教員たちは頭を抱えています。

もちろん、大部分の生徒は自分なりに努力をする意味をわかっていて、懸命に取り組んでいっていますが、このような生徒が何人もいると、クラスや学年、ひいては学校全体に悪影響を及ぼしていきます。このような生徒たちが最高学年になっても、部活動などで後輩の指導に良いわけがありませんし、受験でも良い成果を残せません。

保護者は、わが子のこのような状況に危機感を抱いている方、放置しておいても何とかなると考えている方、あるいは、どう対応すべきかわからない方などがいるようです。

こういった生徒が生まれるのは、なぜなのでしょうか。たとえば、幼児期に「お受験」を突破し、その後はなんとなくエスカレーターの流れに乗ってしまって、中学・高校から入学した生徒が積み重ねてきた努力を知らない、といったケースがあります。

他には、現在の高校入試では「推薦」を多く取り入れていることも考えられます(地域差がありますが)。少子化が進む中で、早く生徒を確保し、学校経営の安定化につなげたい私立校の場合、特にこの傾向が強いです。
  推薦入試は、内申書(調査書)・面接などで合否が決まり、学力試験を課さないこともあります。つまり、「入試の緊張感や、それに向けて懸命に努力する」ことを知らないまま義務教育を終えてしまうので、急に「努力しなさい」と言われても、意味がわからないのです。

そこで、努力を知らない生徒たちは、自分たちが何もしないでも「最後は先生が何とかしてくれる」、「逃げ続けていれば何とかなる」などと思っているようです。
  もちろん、これは大きな間違いで、努力をしない生徒を何とかすることはできません。

また、仮に高校まではギリギリの成績で卒業でき、「努力をしないでも逃げれば大丈夫」と思ってしまっても、アルバイトなどに出て、「努力したくない」という姿勢が見えれば、クビになることも考えられます。その考えのまま就職活動をしても、採用されることは難しいのではないでしょうか。

つまり、「努力をしたくない」生徒たちは、いずれ、ニートなどになる危険も大いにはらんでいます。その場は楽をしているつもりでも、後で大きなしっぺ返しとなって自分にはね返ってきます。
  少子化で若者が減るのに、「努力はいやだ」と言う若者が多くいれば、労働力がますます減少する、若いのに生活保護を受ける者が増えるなどの可能性が生まれ、社会にとって大きな負担になります。また、保護者も、そのような子どもを家庭で抱えていては、将来の強い不安になるでしょう。そのような子どもを育てたいと思う保護者はいないと思いますが、努力を拒否している子どもは、考えを改善しない限り、大人になっても自立できない可能性があると認識していただきたいです。

努力については、他に、気になることがあります。保護者は「目に見える努力の成果」に強く捉われてしまっているようなのです。つまり、「子どもが努力した結果、評価されることが、保護者(自分)の評価につながる」と思っていて、目に見える、すぐに成果の現れる努力を積極的に子どもにさせようとするのです(少子化で、学校など子どもが多く集まるところなら見えることでも、家庭の中の決まった視点で子どもを見てしまうと、努力していることに気づかなかったりする場合もあるようです)。

ですが、そもそも、努力とは「すぐに成果の現れるもの」と、「長い時間がかかって、成果の現れるもの」があるのではないでしょうか。

たとえばスポーツやダイエットの場合、持久力アップ・体脂肪を減らすなどの目的で、筋トレが欠かせません。ただ、筋トレをしたからといって、すぐ翌日に「昨日よりも5kg重いバーベルが持てるようになった」、「3kgやせた」などの効果が現れることはありません。でも、これを正しい方法で数ヶ月続けていけば、明らかに効果は現れているはずです。

仕事でも、改善してすぐに成果の現れること、長い時間が経ってから成果が現れることがあるかと思います。
  勉強でも、国語で言えば、漢字の暗記などはすぐに成果の現れるものですが、表現力・読解力などは、すぐに成果の現れにくいものです。でも、正しい方法でコツコツ努力をしていれば、数ヶ月経った時、きちんと実力はついています。

文章表現の指導で、秋頃になると、私は生徒たちに「4月の自分の文章と今の文章を比べ、良くなっているところを見つけなさい」と考えさせます。生徒たちは、「わかりやすい文が書けるようになってきた」、「内容が充実してきた」など、数ヶ月前と今の自分を比べ、成長している実感を感じ取ります。そして、更に努力を続けていこう、と意欲を持って、その後取り組んでいくことができるようになります。

努力を拒否する生徒は、社会に出れば許されず、自分にとって何ひとつプラスになることはないと、義務教育や高校生のうちに分からせねばなりません。
  教員や保護者が言い続けることも大事ですが、同じ人に同じことばかり言われていると、子どもたちは「また始まった」と聞かない場合も多いでしょう。

そこで、たとえば、勉強はもちろん、スポーツや芸術などの習い事を通し、努力について実感させていくことが必要です。また、高校生くらいになっても分からない場合、親戚や知人のお店でアルバイトなどをさせる、などの荒療治も必要でしょう。たとえアルバイトでも、自分なりの工夫や努力が必要ですし、拒否すればお給料をもらえないことを子どもなりに自覚させる必要があります。

保護者の皆さんの、「子どもの評価を通して自分も評価されたい」という気持ちもわかりますが、努力は、すぐに成果の現れるものと、成果の現れにくいものがあります。すぐに成果の現れることで、お子さんと共に喜びつつ、また、すぐに成果の現れにくいことは、お子さんを励ましつつ、歩んでいっていただけたら、と願います。


【今回のまとめ】
  1. 努力したくない生徒がいる現在の日本だが、社会ではそれは許されない。従って、その場は楽をしているつもりでも、代償は大きく、いずれ、彼らはニートなどになる危険もはらんでいる。
  2. 努力とは「すぐに成果の現れるもの」と、「長い時間がかかって、成果の現れるもの」がある。
  3. その「ふたつの努力」をうまく組み合わせ、子どもを励ましつつ、成長を促すことが大事。

2008.11.12 掲載

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