(前回からつづく)
さらに、これらの「普通に」に共通しているのは「面白い」か「おいしい」かが発言者の主観だということである。一方、辞書の定義による「普通」はあくまでも世の中の平均的水準なのだから客観的である。そもそも、「普通に」が修飾する感情形容詞は三人称では使えないことが多い。
(5)× 美樹さんはあの店のラーメンを初めて食べておいしかった。
とは言えない。
おいしかったかどうかは本人の様子を見たり、確認したりしないと判明しないからだ。「~おいしかったようだ。」とか、「~「おいしかった。」と言っていた。」とする必要がある。
また、
(6a)× 修平君は一日中ゲームをやって面白かった。>
では、修平君自体が面白い人だという意味のような気がしてしまう。
しかし、新しい「普通に」を使うと、
(6b)修平君は一日中ゲームをやって、普通に面白かった。
と言えるような気がする。
最近の「普通に」は世間一般の常識的な水準のことではなく、発言者が事前予想通りだったり、許容できる評価程度だということを表現しているからだ。
今後、この傾向がさらに進むと、婚約記者会見や結婚披露宴などで
(7)彼は普通に(≒思った通り)やさしい人なので、決めました。
と言って、座を白けさせる人も出て来るであろう。
また、業績見通しについて、企業の社長が
(8)今期は普通に(≒見込み通り)史上最高益となる見込みです。
と言ったりして、「どういう意味ですか。」と問われる場面も出て来るであろう。
いや、今後世代交代が進むと誰もが納得できる表現になってしまうのかもしれない。(この稿おわり)
[参考文献]
■現代日本語書き言葉均衡コーパス・国立国語研究所
■山田忠雄・他編2012『新明解国語辞典 第七版』三省堂
■北原保雄・他編2001『日本国語大辞典 はん-ほうへ 第二版』小学館
2018.5.15 掲載
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