(前回からつづく) 本来、「芸人」とは「芸」ができる人全体を指す言葉である。しかし、明治以降、ポピュラー音楽やフラメンコ・ダンスなど西洋の芸能が流入してきてからは、どちらかというと我が国本来の芸能をする人に意味が狭まってきていた。
筆者世代がイメージする「芸人」とは落語家、手品師、紙切り影絵師、南京玉すだれ芸人などである。この中で落語家は人を笑わせることに違いはないが、どちらかというと、笑わせるかどうかは別として、長年の修行で培った技能で観客を魅了する人を「芸人」と呼んでいた。
もっとも、独特の意味説明で知られる「新明解国語辞典」(第七版)では、第一義を
としている。この点、筆者の従来からの感覚とはだいぶ違う。軽い侮蔑を含意する場合がないわけではないが、長い間の修行による成果をリスペクトしながら呼ぶことが多かった。
ところが、今やテレビ番組の中ではさらに意味範囲が狭まり、「一発お笑い芸をする人」になってきている。
この変化は、「(お)花見」という言葉に似ている。カテゴリーの上位語「花」で下位語「桜の花」を指すのが常識になっている。このような表現手法をシネクドキーと言い、提喩と翻訳されている。比喩の一分類である。
ただし、桜の花は日本における花の代表のような意味合いで使われているが、作今の「芸人」の場合はかなり違う。「芸能人」全体の中での「(お笑い)芸人」は、テレビ局から示されるどんな企画でも甘んじて出演せざるをえないような自虐的な意味合いが込められている。マスコミや視聴者が侮蔑的に呼び始めたというよりは、最近の「芸人」という呼び名は「お笑い芸人」仲間が自称し始めたところに特徴がある。(この稿おわり)
「オール芸人」とは言っても、出てくるのはお笑い芸人ばかり。
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[参考文献]
町田健・籾山洋介(1996)『日本語教師トレーニングマニュアル3・よくわかる言語学入門・解説と演習』
山田忠雄・他編(2012)『新明解国語辞典第七版』三省堂
2016.10.15 掲載
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