(前回からつづく)
そもそも、「げす」とは、身分、素性が卑しい人を指す言葉だ。形容動詞(げすだ。)に転じて、卑しい様を表すことになる。戦後、皇室を除く身分制度の廃止と一億総中流化の風潮、その後のマイノリティの人権尊重の時代になるに従い、表だって使われない言葉になっていた。昔からの慣用句はたくさんあるが、一般の人がよく知っているのが「げすの勘繰り」だ。それも、筆者の周りでは永らく聞くことがなかった。「げす」自体が、元々差別表現だからだ。
三島由紀夫は中学校(旧制)時代、「下司(げす)ごっこ」という伝統的な遊びがあったと自著「仮面の告白」で述べている。男子生徒の間で、誰かの股間を突然触って、「大(でっ)っけなあ、A(名前)のやつ、大っけなあ」と囃し立てるのだそうである。つまり、男性器が大きいのは卑しい者だという発想だ。筆者の少年時代には全く聞いたことがない。そのような遊びがすたれてしまったのか、あるいは階級意識の薄い公立の学校では、そのような差別的表現が成立しなかったのかはわからない。
ただし、「げすの猿知恵」、「げすの一寸」、「げすの後知恵」と、他の慣用句を並べてみると、単に身分の低い人をさげすんでいるというよりは、深く考慮しない姿勢を指摘しているという意味で使われている。
身分が低いと「げす」だと呼ぶのは、言葉遣い、しぐさ、式辞などでの常識など、形式的なことの無知を指しているのだろう。
本来、身分が低ければ品性がないとも限らないし、熟慮しないとも限らない。慣用句としては身分のことから離れて物事に対する考え方に重点が置かれている。
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冒頭の「ゲス不倫」をもう一回眺める。
「ゲス」が形容詞的に使われている。つまり、
となる。よく考えないで突っ走ってしまった性関係のことをマスコミは批判しているのだ。ならば、熟慮に熟慮を重ねた浮気は本人たちの自由なのだという意味が込められていると考えたい。(この稿終わり)
[参考文献]
三島由紀夫1950『仮面の告白』新潮文庫
日本大辞典刊行会(2004)『日本国語大辞典第二版』小学館
増地ひとみ2012『テレビ番組の文字情報における文字種の選択-番組のジャンルと語用論的要素に注目して-』早稲田大学日本語学会2012年度前期研究発表会
『週刊文春2016年4月7日号』文芸春秋社
2016.6.15 掲載
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