(前回からつづく)
近年では、経営者や一国の首相が「今回、〜の組織を変更させていただきます。」などと演説することもよく聞かれるようになった。権限のある人が「〜させていただきます」と言うと、そんな大事なことを「本意ではないが〜する」、あるいは「なんとか許可をもらって〜する」のか?!という疑問がわく。背後に、この発言者をコントロールしている人の存在を感じるのだ。
鎌倉・室町時代の書物には武者詞(むしゃことば)という言葉遣いがある。
たとえば、
- 太田太郎我身手負い 家子郎等(いへのこらうどう)多く討たせ
馬の腹射させて引退(ひきしりぞ)く
**「平家物語」巻一二、判官都落********
の「討たせ」、「射させて」の「せ」、「させ」はいったい何だろうかと思うと、使役なのだという。要するに子分が討たれ、馬の腹に矢が射られた(つまり受け身)のだが、決して単純に「やられた」のではなく、「命中させてやったのだ」という強がり表現なのだそうだ。
経営者や政治家の「〜させていただく」は強がりとは少し違うが、責任回避という点では、この武者詞に通じる思惑が感じられてならない。
つまり、自分の意志「〜するのだ」とは諸般の事情で何となく言いづらいので、「(〜によって)本意ではないが私をして〜させてもらっている」と言っているのだ。それでは責任はいったい誰にあるのだろうということになる。
いずれにしても、このように腰がひけたような感じがする「〜させていただきます」の使用は同一文書や発言のなかでは必要最小限にしておいた方が無難である。(おわり)
[参考文献]
山口仲美2006「日本語の歴史」岩波新書
2012年9月号「日本語学」明治書院
2014.3.15 掲載
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