(前回からつづく)
パーティは新たな人柄の発見、新たな出会いを楽しむ場でありたい。
立食パーティで仲の良い人たちだけで輪になって、固まって話を続ける光景をよく見かける。自分でお金を出して参加するパーティなら、まあ、良しとしよう。でも、会社を代表して会社経費で出席するパーティであっても社内の人間や仲の良い人とばかり話をしている人は結構多い。社外での人脈を広げ、深めるのが目的であってほしい。
筆者は仕事での立食パーティでは身近な上司、同僚、部下からは極力離れて行動していたから、誤解をされていた可能性はある。そうこうしている内に当方としては社外とのパーティでの社内群れに「アウェイ」感を覚えるようになってしまうから、世の中難しい。
また、ライブパーティなどで座席を指定する場合は主催者側が予め親疎関係を考慮して親しいグループで組み合わせてしまうことが多く、最初から新たな交流がしづらくなっていることも多い。ことほどさように人間は「ホーム」にしがみつきたいのだなあと痛感する。
思えば、筆者は小学生の頃から「アウェイ」感を味わってきた。趣味嗜好が常に少数派だったからである。時にはその少数派趣味が「面白い人」とプラスに評価されることもあったが、その時々での組織の中ではなかなか多数派になれなかった。どちらかと言うと友達は少ない方だったが、少数派趣味で知り合った友達とは年代を超えての深く長いお付き合いをしており、それはそれで充実している。21世紀に入ってからはSNS(**)での少数派内交流が可能になり、私なりの「ホーム」を見つけることが出来るようになったのだが、その「ホーム」の中にはさらにディープなマニアがたくさんいる。
このような人たちをポジティヴに表現する便利な言葉として、「コアな」という言葉がある。
「コアな」ひとたちはむしろ多数派ではないことに自らの存在価値(レーゾンデートル)を見出しており、一般の人が知らない知識を披歴する。なかなかそこまでの「コアな」人にはなりきれない筆者はまたまたそこで「アウェイ」感を体験する。
生涯、「アウェイ」感を覚える筆者ではある。(この稿終わり)
(**)SNS=ソーシャル・ネットワーク・システム……facebook、mixiなどの交流サイトの総称
2013.7.15 掲載
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