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トブラッハの宿のバルコンから眺めた南に広がるドロミテ山塊

2011年5月26日〜6月22日
クロアティアと南チロルの旅(その6) トブラッハ

ドロミテ地方

6月6日、ザンクト・ウルリッヒからドロミテで一番北の谷であるプスター・タールをオーストリア国境に近いトブラッハまで、そこからミズリナ・ゼーに行くつもりでした。ところがまだシーズン・オフで、バスが通るのは6月19日ということが分かりました。その日は私のこの地に滞在できる最後の日です。
  お天気はその日も降ったり止んだりで、まさに泣き面に蜂でした。

トブラッハからコルティナ・ダンペッソへ行ってみることにしました。
  途中でドライ・チンネンが見えるはずでしたが曇りで何も見えませんでした。コルティナに着いても降ったり止んだりの天気は変わりません。宿代を聞くと一番安いところで朝食なしで35ユーロといいます。あほらしくてトブラッハに戻りました。これが正解でバルコンつきのツインルーム、勿論シャワー、トイレ、TV、朝食付きで25ユーロ、ただし四泊しました。屋根裏部屋のザンクト・ウルリッヒとは大変な違いです。ドロミテ地方の値段は南に行くほど高くなる、といえそうです。

もう一つ南チロル共通のカードを買うと鉄道もバスも三割引になります。5ユーロのカードを偶然に買ったことから、何となく料金が安いように思えてドライヴァーに聞いて、この事実が分かりました。

トブラッハの町の中心にあるマーラー像
泊った宿、2Fの真中のバルコンが私の部屋

翌6月7日も降ったり止んだりの天気でしたが、グスタフ・マーラー(1860〜1911年)が晩年の三夏(1908〜1910年)を過ごした建物を訪ねました。西隣のニーダードルフにあるこの建物は今ではレストランになっていて、隣接の動物園(Wild Park)の中には彼が作曲をした部屋も残されています。当時はまだ第一次世界大戦前で南チロルはハプスブルク家の領土でした。

マーラーが夏の休暇を過ごした宿とその記念碑

8日はやはりさえない天気なので宿でぶらぶらしていました。9日も一向に天気はよくなりませんでしたが、町の南外れにあるトブラッハー・ゼーと帰り道にドゥラウ川の源流(Drau Ursprung)を訪ねました。この川は今ではイタリア領に源を発して、オーストリア、スロヴェニア、クロアティア、ハンガリーを通ってドナウ河に注いでいます。昨年はドナウの源流を訪ねました。ついでにこのトブラッハの町は黒海とアドリア海の分水嶺になっています。

トブラッハー・ゼー

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6月10日にはプスター・タールを少し西に戻ってブルネックの町から北上してサンド経由ラインの村に入りました。ここはアルプスの紹介者として有名な故佐貫亦男先生が「天国に一番近い村」と絶賛されたところです。

ライン村から見たホッホガル
ライン村でやっと見えたホッホガル

残念ながら今回は長雨に祟られホッホガルが綺麗に見えたのはたった一日でした。ただ私の滞在期間はフィンクステン(聖霊降臨祭、12,13日)の休日で、イタリアでは原発存続の可否について国民投票が行われました。全く静かで旅行者の私にはどこで何があったのか、分かりませんでした。独、伊と廃止が決まり、これで日本が廃止に踏み切れば、三国同盟だという冗談も聞かれました。

勿論サンチャゴでお会いしたニーダーワグナーさんにもご挨拶をしました。


2011.10.1 掲載


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