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友人の車で4月11日にムンメルゼー(Mummelsee)、15日にオディリエンベルク(Odilienberg※)に案内されましたので、まとめて報告します。 ムンメルゼーについてはやはり09年4月シュヴァルツヴァルトの旅(その1)の中で触れています。 ムンメルゼーはバーデン・バーデンとフロイデンシュタットを結ぶシュヴァルツヴァルト・ホッホシュトラーセの中ほどにある湖です。ここにはムンメルという人魚が住むと伝えられこの名がつきました。普通の人魚と違う点は男の人魚がいることです。 標高は1032m、今回の訪問でも前回と同様に湖は凍っていて、その上に雪がまだ積もっていました。火事で焼けたホテルの建物は再建され、観光客で一杯でした。ここのレストランで友人はコーヒーにシュヴァルツヴァルダー・キアシュトーテ(黒い森のさくらんぼのお菓子)、私はビールを頼みました。キアシュ、さくらんぼはこの地方の名産で、キアシュヴァッサーつまりチェリーブランディはこの地方のものが最高です。
オディリエンベルク(Odilienberg/763m※)はアルザスの州都、ストラスブール(Strasbourg)から南南西におよそ四、五十キロ離れたところにあり、ドイツ語でVogesen(フォーゲーセン)と呼ばれる山中にあります。途中に通る麓の町、オベルネ(Obernai)はやはりライヒスシュタット(Reichsstadt/帝国直轄都市)で、私の泊まっていたゲンゲンバッハ(Gengenbach)とは姉妹都市になっています。 オディリエンベルクの歴史は古く、すでに新石器時代の西暦紀元前四千年前のケラミック(陶器)が発見されています。その後ケルト人によって、"異教徒の城壁(Heidenmauer/ハイデンマウアー)"が造られますが、その時期はケルト文化が栄えたハルシュタット時代(紀元前750〜450)よりも遅く、ローマ人の時代と重なって西暦三から六世紀にかけてと推定されています。 さらにその地に七世紀の終わり頃、アルザス公アティッヒ(Attich)がその娘、聖オディールのためにMont-Saint-Odile修道院(モン・サン・オディール)をホーヘンブルク(Hohenburg)と呼ばれた城を改造して造った、と伝えられています。その後皇帝や教皇が訪れる巡礼教会として栄えました。 ここからの眺めは詩人のウーラント(Uhland)も賞賛しました。お天気のよい日には、ドイツのオッフェンブルク(Offenburg)やゲンゲンバッハ(Gengenbach)まで見渡せるとのことでした。 この高台は大きな森になっていて、異教徒の城壁(Heidenmauer/ハイデンマウアー)の石積みに沿って散歩道が整備されています。静かな環境で、近くだったら毎日でも来たくなる場所でした。
※「オディリエンベルク(Odilienberg)」とはモン・サン・オディール(Mont-Saint-Odile)のドイツ語名 2010.6.23 掲載
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