WEB連載

出版物の案内

会社案内

いわき病院事件裁判結審前の攻防
(法廷論争でどちらがトリを取るかという熾烈な争い)


平成25年1月6日
矢野啓司・矢野千恵


(2)、A鑑定意見書(III)に対する反論(12月21日提出)


1、A鑑定意見書(III)の特徴

A鑑定意見書(III)(平成24年12月17日付)は、提出期限(裁判長が求めた12月14日、及びKMいわき病院代理人が自己申告した12月18日)を2回も破った上に、18日に提出された第13準備書面と同時に提出されず結審法廷の前日の昼過ぎに提出されたが、代理人による意図的な遅延が推察される状況であり、極めて遺憾である。

A鑑定意見書(III)の内容は、提出日の2日前に提出されたいわき病院第13準備書面の後半部分と同一(コピペ)である。またA鑑定意見書(II)と同様に、精神医学者が作成したはずの鑑定意見書であるにもかかわらず、精神医学論争が全く無いのが特徴である。驚くべき事に、A鑑定意見書(II)も同(III)も共に、「過失はあっても、法的には免責されるべき」という論理で、法的主張一色である。


2、A鑑定意見書(III)の前提の誤謬

A鑑定意見書(III)の前提(P.4)は次の通りである。

  1. 当事者双方に争いのある事実(たとえば根性焼きの有無)を前提とした意見を述べることは適切ではない。
  2. 過失の認定は、平成17年12月6日当時の一般の精神科臨床における医療水準に基づいて判断される必要がある。
  3. 判断に当たってはこの当時の一般的な精神科病院であったいわき病院の性格等も考慮する必要がある。
  4. 現在の一般の精神科病床では当たり前になっている臨床的治験であっても、平成17年12月6日の時点において当たり前になっていないような臨床的治験であれば、それに基づいた医療的行為が行われていなくとも過失があったとは判断できない
  5. 欧米諸国では一般的に行われている臨床的治験であっても、わが国においては一般的に行われていない臨床的治験であれば、それに基づいた医療的行為が行われていなくとも、そのことが過失とは判断できない


1、当事者双方に争いのある事実(たとえば根性焼きの有無)前提とした意見を述べることは適切ではない。

A鑑定人は「当事者双方に争いのある事実」に関して判断を行わない方針であるが、このことは鑑定人として精神医療専門家としての見識に基づく専門家としての判断を行わず、問答無用に「いわき病院が主張した事実の前提」に従って鑑定意見を述べたものであることを、宣言したことになる。A鑑定人は(たとえば根性焼きの有無)と記述しているが、いわき病院側と原告側で事実認識が基本的に異なる事項は「根性焼き」である。

いわき病院は「根性焼きは12月7日に野津純一がいわき病院を14時頃に外出後に自傷したもの」と主張した。野津純一は14時30分頃に身柄を拘束され、15時35分から40分の間に撮影された(写真番号5)。拘束直後の写真では左頬の前上部に瘡蓋を初期と思われる瘢痕があり、頬の中央部に黒の瘡蓋が見える。拘束後2日を経過して12月9日午後16時00分から10分までに撮影された写真(写真番号3と4)では、頬前部上の瘢痕は瘡蓋形成が進み、中央部の黒の瘡蓋は剥がれて乾いた赤の地肌が見えている。

12月7日に拘束された直後の黒い瘡蓋は根性焼きであり、かつ黒化した瘡蓋を形成するほど古いものであることは明白である。即ち、同日にいわき病院から外出後に自傷したとしても、わずか1時間で黒化した瘡蓋を形成することはあり得ないことである。

いわき病院の医師も看護師も他の医療スタッフも全員が根性焼きを発見しなかった事実は、いわき病院の医療と看護に恐るべき「医療とは言えない実態」があった証拠である。A鑑定人が「一般的な病院だから」と免責するに値しない事実である。

◎根性焼きの経時変化

撮影日時:平成17年12月7日 午後3時35分から午後3時40分までの間
写真番号:5

【注目点】左頬前部の赤色の瘢痕2カ所と、頬中央部の瘢痕(「黒い瘡蓋」前上部瘢痕は瘡蓋を形成しつつあるように見える)

撮影日時:平成17年12月9日 午後4時00分から午後4時10分までの間
写真番号:3


撮影日時:平成17年12月9日 午後4時00分から午後4時10分までの間
写真番号:4

【注目点】黒い瘡蓋の瘢痕は表面の瘡蓋が取れて赤の地肌が見えている。前部上瘢痕は中央部に瘡蓋が固まりつつあるように見える。


2、過失の認定は、平成17年12月6日当時の一般の精神科臨床における医療水準に基づいて判断される必要がある。

A鑑定人は「平成17年12月当時の一般の精神科臨床における医療水準」が何であるか、明確な定義をなにも証拠提出していない。また、何が、当時と現在で異なるかについても、明確に定義していない。これでは、医療鑑定意見は鑑定人の恣意に基づくことになる。

A鑑定人はパキシル中断の危険性の知識は当時では一般的ではなかったとしているが、同時に平成17年12月の2年4ヶ月前から薬剤の添付文書には記載されていたことを認めている。A鑑定人が主張する「一般的云々の議論」は弁明と弁護のための詭弁である。薬剤の添付文書に記載があれば、それは医師として承知する義務がある「一般的であり」かつ基本的な情報である。A鑑定人の論理に基づけば、添付文書に重大事項の記載があっても、10年後でも100年後でも、鑑定人が「一般的でない」と主張すれば良いことになり、「一般的であるか、一般的でないか」は鑑定人の恣意に依存することになり、適切ではない。


3、判断に当たってはこの当時の一般的な精神科病院であったいわき病院の性格等も考慮する必要がある。

A鑑定人はいわき病院が「この当時の一般的な精神科病院であった」ことは自明の理であるかのように記述しているが、「この当時の一般病院」とはいかなるものか、明確な定義を示していない。ここでも「鑑定者のAが一般的な精神科病院と言っているから、一般的な精神科病院なのだ」という尊大な姿勢が見受けられる。A教授が主張するとおり、社会が受け入れるべき裁判の判断基準となる「一般性」には客観性と普遍性が必要である。

なお、いわき病院は、平成17年当時香川県内で最初に日本病評価機構に認定された精神科であることを誇ったが、当時でも平成24年12月の現在でも、日本病院評価機構に認定された病院は「一般病院の水準」ではなく「飛びきり優良な病院」であり、いわき病院は香川県内では最優良の精神科病院という客観的な事実である。

A鑑定人は鑑定書(I)および同(II)で記述していた「一般的な病院の一般的な医師」から「一般的な医師」を削除して鑑定書(III)を提出した。更に、鑑定書(I)と同(II)では「大学病院の医師でもない」とも表記していたが、鑑定書(III)で削除した。今回の意見書が同一の主張に基づくのであれば、当然「大学病院の水準にない、一般的な医師」と渡邊医師を記述するべきである。A鑑定人は渡邊医師が「香川大学医学部付属病院精神科外来担当医師」を兼任していた事実を踏まえた上で、持論を展開すべきである。更に、渡邊医師は精神科開放医療を推進する医療専門家集団であるSST(社会生活技能訓練)推進協会の全国役員であると共に北四国支部長という指導者であった事実も踏まえるべきである。渡邊医師は精神科開放医療では当時も今日も決して「一般的な医師」ではない。高度な学識に裏付けられている筈の大学教員レベルの「指導者」である。この事件の本質は、指導者たるべき高度な医師の、驚くべき基礎医学知識の不足と、薬理知識の不勉強、錯誤した薬事処方、そして臨床精神科医療の怠慢と不作為という、情けないほど貧困な医療に責任を取らせる問題である。


4、現在の一般の精神科病床では当たり前になっている臨床的治験であっても、平成17年12月6日の時点において当たり前になっていないような臨床的治験であれば、それに基づいた医療的行為が行われていなくとも過失があったとは判断できない

A教授は言葉遊びをしてはならない。そもそも「一般の精神病床」が何であるかの定義をせずに、鑑定意見を述べることが基本的なルールからの逸脱である。その上で、医師であれば誰でも簡単に入手可能な薬剤の添付文書や治療薬マニュアル(医学書院)などの市販本にも記載されたパキシルの危険情報を「一般的な情報ではない」と常識外れの主張を行った。

更に、「リスクマネジメント」と「リスクアセスメント」が英語からの借用である事を根拠にして一般的でないと主張するが、そもそも精神科臨床では患者の過去履歴を承知した上で治療することが前提である。野津純一に関しては、いわき病院が他の医療機関に問い合わせるまでもなく、いわき病院自らが必要かつ十分な野津純一の放火他害履歴の記録を有していたのである。いわき病院は、患者の情報に無関心であった、お粗末な医療の問題である。

また、大規模な処方変更は患者にとって大きな侵襲行為であるので、変更後は綿密な経過観察と病状把握(リスク論を主張する大学教授に指摘することはおこがましいが、これがリスクアセスメントである)が欠かせず、把握した病状に応じて治療的介入をするのがリスクマネジメントであり、カタカナ用語が目新しいだけであり、内容は精神科医本来の基本的な仕事である。「英国においてのみ理解なもの」では決してない。
(注:英国のリスク論を日本に紹介したのはA教授であり、極めて残念な鑑定意見と言うしかない)


5、欧米諸国では一般的に行われている臨床的治験であっても、わが国においては一般的に行われていない臨床的治験であれば、それに基づいた医療的行為が行われていなくとも、そのことが過失とは判断できない

本件裁判で、わが国の国内判断基準によらず、国際標準による判断が行われる必要性を最初に主張したのはいわき病院であり、自己矛盾に満ちた弁明である。

本件事件の本質は、いわき病院長渡邊医師の「一般常識」に欠ける医療知識であり、その一端が「CPK値でアカシジアを診断した非常識」であり「統合失調症と反社会性人格障害は二重診断できないとの論理にもかかわらず、事件の後では反社会性人格障害と診断できた」と主張した事実に現れている。また「数種類の薬剤を突然同時に中断する大規模な処方変更」も「一般的に行われていない臨床的治験」の部類に属している。更には、処方変更後の2週間の間に夜間にたった1回だけしか行わなかった主治医の診察、また患者の病状の変化を観察しない医療も「一般的に行われている臨床」とは言えないはずである。いわき病院の渡邊医師が行った精神科臨床医療が平成17年12月当時の日本の精神科医療の「一般病院の標準」と主張することは、無責任な医療を容認する方便であり、非常識の極みである。


3、A鑑定意見書(III)の問題点

A鑑定意見書(III)は平成24年12月17日に作成されてから、KMいわき病院代理人が自ら申告した提出期限の18日から遅れること2日にして、また結審法廷が開催される24時間前に原告に伝達されたものである。本反論は大至急で作成したため、指摘するべきであるが欠落した論点がある可能性を踏まえて、開廷時間に滑り込みで間に合わせたものである。


(1)、「予測不可能な他害行動」という不可知論

A鑑定意見書(III)(P.6)でE意見書に反論して以下の通りの記述がある。「いかに綿密に情報を収取し、綿密な観察を行っても予測不能な他害行為(異常行動)は存在しているのである。刑事裁判で認定された犯行動機を前提とする限りでは、純一による殺人事件もそうした予測困難な他害行為であったというのが筆者の見解である」

上記の主張は精神医学の専門家とは思われない無為な主張であり、精神医学における患者の過去履歴を調査する意義を見失った見解と指摘するしかない。野津純一の場合は、抗精神病薬定規処方を中止とパキシル突然中断による病状悪化は綿密に情報収集していたら当然知って置くべき情報であった。ましてやパキシルの危険情報は添付文書に記載されているのであり、綿密な努力を要さない、日常の医療活動で徹底すべき簡単な情報確認作業である。また主治医の渡邊医師は大規模な処方変更を実行した後で夜間に1回だけの簡単な診察を行ったのみであり、1回も病状の診察(アセスメント)を行っておらず「綿密な観察を行っても」と主張できる実態は存在しない。不可知論を持ちだして、医療の怠慢を弁護することは専門家としてあるまじき鑑定姿勢である。

(注:本項は、24時間以内で反論を完成させるという時間的な制約があったために、E鑑定人と協議せずに、原告矢野の責任で記述した)


(2)、鑑定と後知恵論

A鑑定意見書(III)(P.7)で「筆者が強調しておきたいのは、自ら診察を行ったわけでもない患者の診断について、事件が起こったあとで、診療録を含む過去の記録をもとに議論することは、いわゆる後知恵であると言うことである。」と記述した。

上記は驚くべきA鑑定人のお言葉である。そもそもA鑑定人も野津純一を診察しないままで鑑定意見書を提出した事実がある。また「後知恵」と非難していては、いかなる事件事故も検証して事実と原因解明を行うことが不可能となる。そもそも後知恵論を持ちだして、自らは不問として、他者の鑑定意見を非難することは道理に反している。


(3)、幻覚・妄想など病的体験に基づく犯行

A鑑定意見書(III)(P.7)で「本件犯行は幻覚・妄想などの病的体験に基づくものではなく、また、精神運動興奮状態や緊張病状態で行われたものでもない」と主張した。ところで、刑事裁判判決文(P.6)では「このような本件犯行動機は野津純一の被害・関係妄想に由来すると考えられる上、思考の歪曲も見られるのであって慢性鑑別不能型統合失調症という野津純一の精神的疾患が影響していることは明らかである」、また同(P.9)では「純一は慢性鑑別不能型統合失調症に罹患しており、本件犯行はその影響下に行われたものである」として、犯行動機を被害・関係妄想に由来するとした。A鑑定報告書(I)及び同(III)は刑事裁判判決文と矛盾する。


4、C鑑定人の反論

C意見書IIに対するA鑑定意見書IIIは、以下の点で争点が合致せず、議論として成立していない。

パロキセチンの副作用に関する知見および治療・看護水準のついては、A鑑定書IIが学術及び所属医療機関の水準についていわき病院および渡邊医師をより低く、C鑑定人の水準をより高く印象付けるよう記載し、「一般精神病院の水準とC鑑定人の学術及び所属医療機関の水準の差」が存在するとの主張に対し、C意見書IIは具体的な根拠を挙げて、A鑑定意見書IIの一般的水準の基準について疑義を呈した。A鑑定意見書IIIにおいては、「看護の一般水準からの逸脱とは言えないと判断する」と結論のみあり、医療および治療の水準についての主張、一般水準の基準についての疑義への説明と(A鑑定人が基準とする)一般水準からの逸脱はないとの結論の根拠がなく、C意見書IIと学術的な議論が成立していない。

リスクアセスメントおよびリスクマネジメントの論点においては、A鑑定意見書IIIは日本の精神医療がリスクの問題を等閑視しているので、一医療機関が求められる医療水準ではないとの主張がなされている。この点においては、精神科病院の開放化が臨床上のリスク管理に対する意識を喚起し、自傷他害という問題水準に限らず、外出や外泊におけるトラブルの防止について注意を払い、管理するようになってきた精神科医療の現状を鑑みると、総論的かつ一般論に偏り、いわき病院の医療体制の適否を検証する議論とかみ合っていない。いわき病院において入院治療上の危機管理の適否は、当時の医療・看護水準において適正と思われる危機管理の実施がなされていたことの証明を持ってはじめて議論なされるべきものであり、議論されるべき争点から乖離している。

C意見書IIにおいて医療観察法病棟を引き合いに出すことについてのA鑑定意見書IIIにおける批判は、『C意見書II2.2)いわき病院の診療・看護水準に関する問題点』内の意見に対するものである。この項におけるC意見書IIの趣旨は「医療観察法とは関係なく、医療保護入院または措置入院を引き受けることができる精神科病院は、入院患者に対し個々のレベルに応じたリスク評価とリスクマネジメントを行うべき責があり、任意入院の患者であっても状態悪化等の可能性や暴力等の問題行動の発生について予見する努力を行うべきことは当然の責である。」ことであり、指摘箇所への批判は主となる論点ではない。

A鑑定意見書IIIは、民事裁判において診断や予見可能性についレトロスペクティブな検証を後知恵的な可能性の示唆として否定し、臨床評価の意見についても診察をしていない医療者は謙抑的であるべきだと主張している。本裁判においては、いわき病院の診断や治療方針の説明が精神医療の臨床従事者として説得力を欠き、なおかつ実際に診察した鑑定医の反社会性人格障害の診断の適否についても議論されている。このような状況を踏まえたときに、臨床的視点から客観的に情報を整理することによって、どのような治療上の情報が評価され、どのような情報が見落とされていたのか、またそれらの情報が治療上の危機を招く可能性があったかについて診療録や裁判記録を基に検証し意見を述べることは原告といわき病院の議論を意義あるものとするためには必要である。診断等へのC意見は、臨床医としていわき病院側の説明では納得し得ない点を指摘し、いわき病院がどのような臨床的な水準で、症状観察および治療を行ってきたかを評価するうえで必要な視点を提示したのであり、このような高度の医療知識を必要とする裁判において医療情報の客観的検証という視点からA鑑定意見書IIIの主張によって否定されるべきものではない。臨床的かつ事実認定に関する議論であれば、後知恵と呼ぶ前に、指摘の具体的内容に対し議論を行うべきであり、論点が相違している。

以上より、A鑑定意見書III【C第2意見書について】は、C意見書IIが提示した論点とは合致しておらず、不適切である。



(3)、札幌地裁判例(平成24年2月20日)に対する反論(12月21日提出)

平成24年12月20日の午後に提出された12月18日付けいわき病院第13準備書面の付属資料である札幌地裁(平成24年2月20日)判例が、本件裁判の参考として、いわき病院と渡邊医師の免責理由となる判例ではないことを指摘する。


1、病院と主治医の注意義務

札幌地裁判例(P.42)は、精神科病院入院中の精神障害者が他者を伴う事故を起こして他者の生命体等に危険を加える事がないようどのような注意義務が病院・主治医にあるか以下の通り記載している。

  1. 患者の動静に注意し
  2. 当時の医療水準に照らして、社会通念上要求されるところに従って、入院患者の病状に内在する危険を把握・予見した上で、
  3. 診察や説得などの治療行為(等に加え)
  4. 必要に応じて法令上与えられている権限を適切に行使する

上記の注意義務は本件裁判でも援用できる視点である。しかしながら、いわき病院と渡邊医師が野津純一に対して行った医療は、上記の1から4の全てに逸脱したものであった。


2、医師の裁量範囲と過失

札幌地裁判例(P.44)は、「当該医療措置が医師の裁量に委ねられた範囲を逸脱した場合に限り医師の過失が認められる」と指摘した。以下は、「上記病院」といわき病院の比較である。いわき病院は「上記病院」と同等の医療を行っていなかったことは明白である。

  1. 上記病院では病院敷地外への外出・外泊について医師への届出により許容されていた。犯人は「1時間早めたい」と看護師に言ったところ「医師に相談するよう」説得されたことから、外出についても(その都度)医師の指示が必要だったと考えられる。
    (いわき病院での外出は看護師に声をかけるどころか外出簿に書くだけだった。外出簿に帰院時刻を書かなかった事件当日の翌日にもノーチェックで外出許可が続行されていたという杜撰さがあった)

  2. 上記病院では、事件当日の朝看護師に外出時間を1時間早める要望を伝えたが、この時看護師が異変を感じた様子はない。
    (野津純一はプラセボ効果が消失し、イライラ亢進し、根性焼きを自傷しても治まらず、強く診察を希望していた。そのためYD看護師が外来診察中の主治医に《診察してくれないことは、解っていたが》連絡した)

  3. 上記患者には持続型注射薬の抗精神病薬(1回の注射で4週間有効のデポ剤)が投与されており、当日に薬効が消失して症状が急変する怖れはなかった。
    (野津純一は、抗精神病薬を中止され、その上に突然の中断で攻撃性が高まるパキシルを突然中止され、副作用止めのアキネトンも中止になって純一のQOLは無視された薬物療法は医師の裁量権と言うには余りにもメチャクチャでその上経過観察も怠った)

  4. 上記病院は外出にさえ医師の許可が必要で許可を取るための診察をしてもらっていたと考えられる。1時間外出を早めたい希望を伝えた看護師は、担当医と相談するよう説得した。
    (野津純一は大規模な処方変更後に夜の診察1回で、アカシジアの苦しみに耐えられなくなって診察要請をしたら拒否された。渡邊医師は代診も頼まなかったし、その日の午後も、翌日も診察をしていない)

  5. 被害者の死因について「死体検案書」より詳しい「司法解剖」の結果は「直接死因は急性心機能不全」で内因死(病死)である。

3、事件の比較

本件札幌の事例のように、犯人が不起訴無罪になると警察・検察押収の捜査資料が被害者遺族に渡らず、病院任意提出のものだけが資料となり、被害者は決定的に不利である。日本では統合失調症の病気があるだけで犯人に心神喪失無罪が言い渡されるケースがほとんどである。本件札幌の事例では、患者(犯人)は父親のみを狙って攻撃しており、攻撃対象が決まっていた」これは本当の意味での「完全な心神喪失」ではない。

この事件は刑事手続き上は統合失調症による精神症状からの犯行と判断されたのだが、民事裁判では「抗精神病薬は持続型デポ剤(1回の注射で4週間有効)が継続的に投与されていて、事件当日の犯行直前の外出は妄想や幻覚に支配されているとは考えられない状況だった。抗精神病薬を中断されて幻覚・妄想あった野津純一とは異なる状態である。

刑事裁判判決は事件毎に判決が異なるのである。判決の軽重で病気の軽重を測ることは誤りであり、ましてや病院の責任の軽重の判断をすることは正しくない。医療措置が医師の裁量権に委ねられた範囲を逸脱していたか否かが判断のポイントである。いわき病院が野津純一に懲役25年が確定したことを以て免責を主張する理由は無い。

判例の事件では切りつけられた父親の真の死因は司法解剖で内因死(病死)とされた。その父親が死亡したことで、精神科病院に損害賠償請求できるのか疑問である。いわき病院の場合は、大規模な処方変更と引き続いて主治医が経過観察を怠ったことが主要因であり、札幌の事例はいわき病院を免責とする参考にはならない事例である。



(4)、追記:「事情」から「過失責任」への転換

(1)、「事情」として請求が早期に棄却される可能性があった危機

いわき病院事件裁判が平成18年6月23日に提訴されて2年後の平成20年6月26日の法廷で「議論を終結して早期に終了する審議」が行われました。この時に行われた、KMいわき病院代理人の主張は「明確な『過失』はない、原告の主張の全ては『事情』である」でした。この時点では私たちは『事情』という法律用語を理解しておらず、それでも矢野元代理人が「事情ではなく過失である」と反論できない姿を見て、法廷審議が原告矢野には重大な局面を迎えていることを察知しました。私たちは特別に発言許可を求め、薬剤師である矢野千恵が「一般論ではなく、渡邊医師の野津純一に対する薬事処方には直接的に害を及ぼした重大な問題があり過失責任が問われるべき」と主張しました。裁判長は一か月の猶予を原告矢野に与え、具体的に過失を構成する薬事処方の問題点を指摘して法廷に提出することを求め、平成20年7月21日に提出した意見が「いわき病院の過失と違法行為:http://www.rosetta.jp/kyojin/report37.html」です。この時から法廷審議は「薬事処方が過失責任に繋がったか否か」が焦点となり裁判は継続しました。野津夫妻が提訴していわき病院事件裁判に原告として参加したのは平成20年11月17日でした。

参考1:「事情」(日本国語大辞典):物事がいまどうなっているか、また、どう変わってきたかというような細かい状態や理由。ことのありさま。ことの次第。

参考2:「事情判決」(広辞苑):行政事件の取消訴訟で、処分又は裁決が違法であっても、それを取り消すことにより公の利益に著しい障害が生ずる場合、原告の受ける損害の程度、その賠償の方法など一切の事情を考慮し、公共の福祉の観点から下される請求棄却の判決。

矢野コメント:上述の「事情」の意味を拡大して忖度すれば『「事情」とは、過失認定までに至らない失態や過誤であり、「事情判決」が認定される場合には、いわき病院の精神科医療に過失性がある違法性があり、不作為や錯誤ある医療で殺人事件が発生していたとしても、精神科病院の営業には公共の福祉と利益の意義があるため、請求棄却の判決が行われなければならない』ことになる。

(2)、いわき病院の薬事処方申告が混迷した経緯

いわき病院は薬事処方の申告で、過去に野津純一に対して実行した医療事実であるにも拘わらず、事件発生時の薬事処方の説明が以下の通り混迷しました。

  1. 診療録(H17年11月30日)
    プロピタン(抗精神病薬)(-)、 パキシル(抗うつ薬)(-)、アキネトン(-)
  2. 第3準備書面(H19年8月20日付)
    プロピタン(抗精神病薬)(+)、パキシル(抗うつ薬)(+)、アキネトン(-)
  3. 第3準備書面(H19年8月21日差し替え分)
    プロピタン(抗精神病薬)(-)、パキシル(抗うつ薬)(+)、アキネトン(-)
  4. 渡邊医師人証(H22年8月7日証言)
    平成17年11月23日から
    プロピタン(抗精神病薬)(-)、パキシル(抗うつ薬)(-)、アキネトン(-)

上記の記録で、1. の診療録の記録(平成17年11月30日)は診療録に記述されていたがこの日の不明瞭な手書き処方の解読に原告矢野は苦労し、「これで、正しいか?」といわき病院に質問したものです。それに対する回答が2.3.でした。いわき病院がプロピタン(抗精神病薬)を中断していた事実を「認めるか、否定するか」で迷った姿が読み取れます。この時点では、パキシル(抗うつ薬)は継続投与されていたことになり、原告矢野も「パキシル突然中断の問題」を追及することがありませんでした。

いわき病院事件裁判の重大争点と判明した「パキシルの中断」が明らかになったのは、裁判所が争点整理案を作成(平成22年7月9日付)した後の平成22年8月7日の渡邊医師の人証時の発言でした。この時に、渡邊医師は「処方変更を平成17年11月23日に一切に行った」こと、「診察日に誤記があり、11月30日は23日、12月3日は11月30日だった」と訂正しました。この時から、大規模な処方変更が行われた事実、及び、処方変更後に主治医の渡邊医師が夜一回しか診察していない事実が、重大な問題として議論されることになりました。実に、裁判が提訴されてから4年2か月後に重大な事実関係が確定したのです。即ち、裁判所が作成した争点整理案の前提となる事実が大きく異なることになりました。A鑑定意見書(I)(平成23年7月29日付)は争点整理案(平成22年7月9日付)と同じく、上記の3.の処方報告(平成19年8月21日付差し替え分)を基にして作成されております。


(3)、事情で請求棄却という、事実を隠滅する手段

上述の経過に基づけば、犯人野津純一に有罪が確定して、民事裁判を行うに当たって刑事裁判資料を入手して、いわき病院が任意提出した資料以外の証拠を入手していた私たちでも、証拠不十分により「事情」と判断され、早期に請求棄却されていた可能性がありました。精神障害者が原因となる殺人事件ではほとんどが心神喪失者等として、刑事裁判で有罪が確定することはありません。いわき病院事件でも、野津純一に懲役刑が確定していなかったとしたら、民事裁判では原告矢野敗訴が既に確定していたことでしょう。それが、これまで殺人事件被害者が一様に敗訴してきた事実の背景にある厳しい現実です。しかし、殺人事件における「事情判決」の論理は、不法行為としての殺人を法治社会として容認しており、おぞましいが、日本の人権問題の現実です。

いわき病院事件裁判では、「事情で請求棄却」という危機を乗り越えることができました。むしろ、「事情と判断される場合には過失責任を問えない」と 問題を突きつけられたため、原告の私たちは必死になって直接的な原因を探り、精神科医療、精神薬理学、精神科看護の側面を深く追究することが可能となりました。これにより原因と結果の論理が具体的になり、過失予見可能性と過失回避可能性の論理も、精神医療が野津純一に対して行われた過程の何処に問題があり、何をなすべきだったがいわき病院と渡邊医師は何も行っていなかったか無視したかを明確に指摘できるに至りました。過失責任を問われないためには記録を残さないことがこれまでの論理でした。しかし、いわき病院事件裁判では、記録が無いところで決定的な過失を導いた要素が浮かび上がりました。いわき病院と渡邊医師は行うべきを行わない不作為と怠慢を衆人が納得する形で弁明することができません。そもそも、患者が顔面に自傷した複数の火傷の瘢痕を発見することがない精神科医療と看護の事実が明らかになったことは重要です。人間の心は顔に表れます。その顔を毎日観察しない精神科臨床医療が存在していることが驚きです。このような精神科医療は改革される必要があります。それが日本の精神医療を改善する道です。



 
上に戻る