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いわき病院の過失と違法行為
(通り魔殺人は心神喪失を意味しない)


平成20年7月26日
矢野啓司
矢野千恵


最近「誰でも良いから人を殺す」という通り魔殺人事件が頻発しています。矢野真木人も、「誰でも良いから人を殺す」としてショッピングセンターで直前に購入した包丁で通り魔殺人されました。「誰でも良いから人を殺す」行動はそもそも尋常ではありません。このような場合には犯人側は必ず「刑法第39条を持ち出して、無責任抗弁」をします。しかし「誰でも良いから人を殺す」意思を持った心の状態は心神喪失ではありません。その行動の目的意識は非常識です。しかし、この非常識であることは心神喪失を意味しません。社会規範から逸脱した非常識な行動による犯罪は処罰に値します。

国際精神障害診断基準書のICD-10やDSM-IV-TRは詳細に精神障害を定義しており、重箱の隅までつつけば、誰でもいずれかの診断基準に当てはまる要素があります。しかしそれは心神喪失を意味しません。国際精神障害診断基準書に該当する精神障害者の全てが心神喪失者と精神鑑定することは、刑法第39条の解釈と運用の暴走です。

矢野真木人が殺された当初は、専門家は誰も「統合失調症の犯人は無罪です」、「犯人は精神障害者であるだけで罪を償っています」、「犯人を治療していた病院に責任を問うことが反社会的です」と私たちを諭しました。この報告を書いている時点で、矢野真木人が殺人されてから2年半が経過しました。刑事裁判では犯人に懲役25年が確定しました。そして私たちは現時点では、犯人を入院させていて社会復帰訓練と称して単独外出させていた精神科病院の責任を明らかにすべく民事裁判を行っています。


まえがき

1、両親が子供の命を惜しむ心が間違い?

私たちの息子の矢野真木人(享年28才)は平成17年12月6日に高松市のショッピングセンターで近隣のいわき病院の社会復帰訓練で外出中の野津純一に通り魔殺人されました。事件直後から多くの精神医療と法律の専門家から「精神障害者に罪は問えません、社会復帰訓練で外出させていた精神科病院には責任はありません。精神障害者である犯人とその治療をしていた病院の責任を問いたいと考えているあなたたちこそ人権侵害です。反省しなさい。」と言われ続けました。

矢野真木人の無念を晴らし、社会的責任を見極めるため民事裁判を提訴する準備をしました。犯罪被害者支援をしている精神科医師には「殺人犯人の責任を問うのはかまわないが、犯人を治療していた精神科病院の責任を問うのは非常識です。おやめなさい。」と言われました。法廷代理人としての仕事を依頼したいと相談した弁護士のほとんどは、「あなたが提訴する民事裁判は、必ず負けます。社会に意義を問いたいとする気持ちは分かります。しかし、絶対に勝てません。」と言われました。


2、記録を残す覚悟

私たちは民事裁判の経過を、可能な限り詳しく、ロゼッタストーン社のホームページで公開してきました。私たちは感情論や空論を述べず、事実と記録に基づきます。診療録や看護記録などの医療記録、また関係者が刑事裁判の際に供述した調書の記録という証拠があります。私たちは、未来の人が次のステップを考えるために参考となる確実な記録を整理して残す覚悟です。私たちが提訴した民事裁判には地球社会に生きる日本に対する重要なメッセージ性があると確信しています。

私たちの主張は、今日の社会で何が普遍性をもった公正の基準であるべきかを考えた私たちの見解です。私たちは、より良い未来が、精神障害者であるなしに関わらず全ての人間に平等に権利確保されることを願っています。私たちは『特定の人間集団の権利と既得権の擁護のために、それ以外の人間の生命という人権が失われても許される、「それが社会正義だ!」と主張する論理は間違い。』と主張します。


3、苦境という現実

民事裁判を提訴して二年が経過して、初めて、いわき病院の代理人弁護士が平成20年6月23日の法廷に姿を見せました。これまでは法廷に出席せず電話参加でした。いわき病院代理人は、精神科病院の代理人として有能な方です。いわき病院代理人は決して根拠ある主張をしてませんし、飛躍が多い論理です。ところが、口頭の弁論では「なるほど!」と他人を納得させるような説得力がありました。私たちは、目覚めました。「なるほど、裁判官を納得させるのは、このような弁舌と論理展開であるのか…!」と。

6月23日の法廷では、「何が明確ないわき病院の過失か?」が焦点となりました。当然、いわき病院代理人は「原告の指摘はどれもいわき病院が賠償責任を課されるべき過失ではない」と主張しました。いわき病院は野津純一を治療していたのであり、個々の治療のどれを取っても、それが直ちに矢野真木人の死という結果を導きません。そもそも、矢野真木人はいわき病院が野津純一を治療していた時には、いわき病院と野津純一の認識の外におり、その時には、関連性は何もありません。

私たちは原告として挙手をして発言しました。「いわき病院の精神医療には明確な過失がある。いわき病院は野津純一に今日の精神医療の水準に即した正当で適切な医療を行っていない。精神科専門医師としてやってはならない医療過失を行った。過失は見逃されてはならない…」。それで、裁判長から「原告がいわき病院の過失を整理して、意見書を法廷に提出するよう」指示がありました。それが以下の文章の〔意見〕〔本論〕です。


4、責任を指摘する覚悟

これまで裁判所に提出した原告の文書では、あえて「違法である」「過失である」「不正である」といういわき病院を糾弾する激しい言葉を使いませんでした。それは、それを決めるのが裁判官の仕事であり、裁判官が判断する前に、私たち原告が「こうだ!」と決めつけるのは、裁判官に失礼であると考えたからです。それで、事実と論理に重点を置いた意見陳述を提示しました。

ところが、原告としては、被告の過失を明確に指摘するのが、裁判の場の戦いルールです。以下は、私たちが原告として裁判所に提出する、いわき病院の過失責任と違法行為および社会的不正行為を指摘する文章です。原文に可能な限り忠実に提示します。(なお、原文は「被告いわき病院」また「被告野津純一」となっていますが、本文では「被告」としてはありません。)


5、精神科に入院している患者さんとご家族へ

皆さん、野津純一の身に発生していたいわき病院における精神科治療の現実を見てください。これは、野津純一ただ一人だけに発生した過ぎ去った過去の不幸な事例でしょうか。かつて、宇都宮病院事件が発生したときには日本の精神病院協会は「それは、日本の片隅のただ一つの事例であり、一般化できない。」と反論しました。しかし、宇都宮病院で発生していたことは、日本が隠そうとしていた何処の精神科医療施設にでも普通にあった恥部でした。

私たちが提訴した裁判では、いわき病院は自らの医療の正統性を、宇都宮病院事件がきっかけとなって日本に派遣された、国際法律家委員会レポートを根拠にして主張しました。ところが、裁判で明らかになった事実と証拠に基づけば、いわき病院の病院経営の実態は、国際法律家委員会レポートの勧告に背いていました。それが外部の批判の矛先を逸らせるために、本来の趣旨とは逆転させた目的で、国際法律家委員会を持ち出していました。いわき病院の論理は正義ではありません。

いわき病院で野津純一に起こっていたことは、「国際法律家委員会などの権威を持ち出して建前は立派ですが、現実は主治医として野津純一の治療を放棄した無責任な医療」です。他の診療科ではあり得ない、インフォームドコンセント無視でした。また精神科の入院患者はセカンドオピニオンを求めることができないのでしょうか。このような人道が無視された現実は、野津純一だけの問題でしょうか。日本の精神科病棟では、入院患者は人間としての未来が約束されているのでしょうか。


6、今後の展望

読者の皆様には、民事裁判で原告の私たちが有利な戦いをしているのではないという事実を、ご承知願いたいと希望します。日本で普通の医療過誤事件でも被害者が病院の過失責任を裁判の場で認めさせることは「めったにない」ことで、非常に困難です。ましてや、私たちが提訴した裁判では「刑法第39条」が裁判官の判断に関係してくる可能性があります。その場合には、「最初から、刑法第39条が関係すればそもそも責任は問えず、原告の勝訴はあり得ない」が日本の法曹界の常識です。だからこそ、ほとんど全ての弁護士が「この裁判は、結局、原告の負け」と予想しました。

私たちはこれまで事件の経過を詳細に解き明かした厖大な分量の原告の意見陳述書を法廷に提出してきました。これに対しても法曹界の方々は批判的でした。「そんな厖大な文書を裁判所に提出しても、沢山の案件を抱えている裁判官には読む時間がない。数枚の紙に要点をまとめなければ意味がない。」といわれました。それでも、今回も私たちは厖大な指摘をします。それは、裁判官の判断だけが歴史の正解ではないと考えるからです。私たちはこの裁判を現代の記録にしたいと考えています。歴史に耐える記録を残すには詳細な記述が必要です。「そうでなければ、究極の目的である、日本の制度を変革する礎にはならない。」と覚悟しています。

このホームページはいわき病院の関係者も読んでいます。戦いの最中に原告の意見を公開することにはそれなりの覚悟が必要です。私たち夫婦も「(今日の日本の)民事裁判では、原告の負けと裁定される可能性は高い」と判断しています。そこから課題が発生します。私たちが民事裁判で敗訴するとして…それでは、その次に…何を?

刑法第39条が日本にもたらしている現実は、「法律の条文が本来目指している、普遍的に人類世界に誇れるべき人権を尊重する法治制度の、現実的な社会実現ではあり得ない」と私たちは指摘します。その答えを見いだすのが、矢野真木人が私たちに残した人生の宿題です。

いつの時代でも、どんな社会でも、「親が子供の命を惜しむ心」は人間倫理の基本です。


〔意見〕

1、矢野真木人殺害の直接的な過失

医療法人社団以和貴会(いわき病院)が野津純一の治療で沢山の過失と不法行為を行った。それらが連鎖反応的に次の過失を誘発して拡大し、複合過失といった様相を呈して、矢野真木人は殺害された。中でも以下の2件の過失が無ければ、野津純一は、平成17年12月6日の昼食時に単独の外出許可が与えられず、単独で外出せず、100円ショップで万能包丁を購入せず、誰でも良いから誰かを殺す行動を実行せず、結果として、矢野真木人を刺殺することはあり得なかった。

(1) 平成17年12月6日午前10時の診察拒否

平成17年12月6日のいわき病院看護記録には、野津純一のその日の状態に関して「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と共に、以下の通り記録されていた。

  1. 主治医渡邊朋之医師の診察を求めていたこと
  2. 以前から診察を受けることができなくて主治医に不満を抱いていたこと
  3. 咽の痛みと頭痛を訴えていたこと
  4. 両足の不随意運動が観察されたこと

野津純一からの上述の訴えや依頼に対して、いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は第4準備書面で「12月6日も同様の風邪症状による咽の痛みであったため、渡邊医師は外来診察を中止し、緊急に野津の診察をしない判断をしたのである。これは医師として誤った判断ではない。」と断言した。被告いわき病院では主治医は確固たる意思で患者が求めている診察を拒否したが、違法行為(医師法第19条違反)を確信して行った過失である。

いわき病院長渡邊朋之医師が野津純一を12月6日に実際に診察しておれば、野津純一の症状が風邪症状だけではない可能性に気が付いて適切な対応や処置を行うことができた。少なくとも野津純一が「院長先生に診てもらった」という満足を得られた、と指摘できる。矢野真木人が野津純一に殺害されることは未然に防ぐことが可能であった。主治医のいわき病院長渡邊朋之医師は過失が発生する可能性を抑制するフェイルセーフ機能を失していた。いわき病院は結果論であると主張するが、そもそも基本である主治医の診察義務を果たしてない。また医師の職務を全うして、安全配慮義務を果たしておれば、悲惨な事件の発生を未然に防止できた。

(2) 平成17年12月6日午前12時頃の単独外出許可

平成17年12月6日の野津純一は、午前10時にあった主治渡邊朋之医師の診察拒否や、錐体外路系副作用による四肢の振戦やムズムズやイライラなどの症状で苦しめられていた。そして「誰でも良いから人を殺そう」と考えていわき病院から12時頃に外出した。精神科専門病院としては驚くべきことに、いわき病院は同日の朝10時に野津純一に異常な状況を観察して看護記録に記載していたにもかかわらず、その日の野津純一の外出許可もしくは外出の在り方などについて治療上の見直しや再検討をすることがなかった。

いわき病院では患者の外出管理はナースステーションの前に置かれた外出記録簿に患者が自主的に記載することで行われているが、患者の記載内容についてその都度ナースステーションの看護師が確認することがない放任状態であった。いわき病院が野津純一の外出記録を証拠として提出できていない。更に、野津純一に対して、エレベータの暗証番号が教えられていた。このため、野津純一は実質的に全く自由にいわき病院から外出することが可能で、いわき病院では患者の所在を全く把握できない体制で、管理放棄した実態であった。

いわき病院は入院患者の状態の日変動を適切に観察して評価及び記録をしていない。その日の状態に基づいて、いわき病院として野津純一に適切に対応してない。外出制限が行われるか、付添付の外出が行われていたら、野津純一は万能包丁を購入することなく、殺人行為を行うこともなかった。このため、12月6日の単独外出許可はいわき病院が犯した矢野真木人殺人に至った決定的な過失である。


2、医療過誤と不法行為という事件の本質

(1) 主治医渡邊朋之医師の処方間違い

野津純一の主治医渡邊朋之医師は平成17年11月23日から12月6日の犯行まで、精神保健指定医として以下の通り処方間違いを行った過失がある。

  1. 統合失調症患者に抗精神病薬を中止したこと
  2. 錐体外路系副作用に対する治療で過失をおかしたこと
  3. 攻撃性を誘発するレキソタンを大量連続投与したこと

野津純一に攻撃性の衝動が亢進しなければ、そもそも通り魔殺人をしない。いわき病院長渡邊朋之医師の精神保健指定医としてのこれらの処方間違いは、野津純一の殺人衝動をもたらした重大な医療過失である。

(2) 主治医の怠慢と義務違反

いわき病院長渡邊朋之医師は野津純一の主治医として、以下の通り担当する患者である野津純一に対して怠慢であり、精神科病院としてまた主治医として診療義務を果たしてない。

  1. インフォームドコンセント無視(医師法第23条違反)
  2. 診療記録記載義務違反(医師法第24条違反)
  3. 処方変更の効果判定をしない過失
  4. 野津純一の診察拒否をした過失(医師法第19条違反)
  5. 無診療治療の処方変更を指示した過失(医師法第20条違反)
  6. 安全配慮義務違反

いわき病院長渡邊朋之医師は野津純一の主治医としてきめ細かな診察と治療を行わなかった過失が存在する。主治医である渡邊朋之医師が野津純一のその時の状態を正確に把握して、適宜また適切に対処しておれば、野津純一に他害の衝動を亢進させることはなく、状況に変化が生じた際には初期の段階で適切な対処が可能であった。主治医渡邊朋之医師は野津純一の治療で、医師法違反に関連して重大な義務違反と怠慢という過失を犯した。

現在の精神医学的水準では、野津純一の殺人衝動の亢進を未然に発見して抑制することは可能である。精神保健指定医であるいわき病院長は主治医として過失責任は極めて重い。

(3) 主治医の診断間違い

いわき病院長渡邊朋之医師は精神科病院長であり、精神保健指定医であるが、野津純一の統合失調症と反社会性人格障害を適正に診断できなかった過失がある。

  1. 統合失調症を適正に診断しなかったこと
  2. 反社会性人格障害を診断しなかったこと

いわき病院長は自らの診断が間違いでない証明として「ICD-10やDSM-IV(国際精神医学診断基準書)に基づく」と主張するが、具体的な引用箇所が不明であり、そもそもいわき病院長が国際精神医学診断基準書を正確に引用しているか否かを確認できない。いわき病院は診断間違いの隠蔽を意図している。そもそも、自らが証拠として提出する国際精神医学診断基準書を正確に引用しないことは、国際精神医学診断基準書に基づいた適正な診断をせずに患者を治療して、本裁判で論陣を展開していることと、同義である。

(4) いわき病院の不法行為

いわき病院が行った不法行為の各々は直接的に矢野真木人の生命を奪った原因ではないが、社会の支持を得て、地域医療の向上に貢献する医療機関としては許されない。

  1. 措置入院と任意入院に関する法的運用に違法性が認められる
  2. 病棟機能を混乱させており、「ナースコーナー」に看護師を常駐させていない
  3. 診療録とレセプトと裁判の証言が一致せず不正の存在は確実である
  4. 診療報酬の二重保険請求などが存在する
  5. 医師法や医療法および精神保健法に違反している。

3、本件民事裁判を提訴する意味

「精神科に入院中の患者が許可外出20分後に殺人を犯したという事実は、精神科病院にとっても社会にとっても不幸なことである」という前提を、いわき病院と同病院長で主治医の渡邊朋之医師は共有していない。いわき病院は、入院中の患者が許可外出直後に殺人を犯したという事実が持つ重大な意味を真摯に受け止め、地域社会に貢献する医療機関という立場から自らの責任について再考するべきである。

(1) 野津純一の両親も「ある意味」では被害者である

原告は長男矢野真木人が通り魔殺人された事件の有責者は矢野真木人を殺人をした野津純一と、野津純一の治療に対して過失があったいわき病院の二者であると確信する。

刑事裁判では、野津純一は病歴20年余の長期に及ぶ慢性的な統合失調症患者であるが、確信的な故意殺人犯であり、心神は喪失しておらず責任能力があるが心神耗弱で減刑された上で、懲役25年が確定した。入院患者である野津純一が許可外出中に殺人行為を犯したことに関しては、いわき病院および同理事長(病院長)で主治医である渡邊朋之医師の医療上の過失と管理責任が問われる。論理的には、野津純一の両親もいわき病院が医療契約に基づく適切で的確な精神科治療義務を野津純一に果たさなかったことによる被害者である(精神保健福祉法第38条違反)。

(2) 日本の精神医療制度の改善

いわき病院は、「国の政策目的に合致する患者さんの社会復帰の実地訓練をしていたので、病院には責任がない」という趣旨の発言を繰り返して、「社会的な大義名分があれば、患者に対して常識的な医療を施さず過失や過誤があったとしても病院に責任はない」と主張している。これでは、日本の精神医療の現場では、患者に適切な治療を実現するという医療が必ずしも実現されないことになる。「医師法第1条(医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする)」に違反している。

いわき病院が本法廷に提出した「国際法律家委員会レポート」は、本裁判の判断基準となるものである。同報告は、わが国における精神科病床数過多による多数の社会的入院患者の存在、精神障害者と認知症(老人性痴呆症)患者を混在して入院させるような「病院資源の浪費」を厳しく指摘している。このような日本の精神科医療の現状は、根本的から改革されるべきであり、本件裁判はそのための一助となることを目指している。

(3) 民事裁判という社会改革

原告は、いわき病院に社会的道義的責任を果たさせて、この事件が日本の精神医療改革の端緒となることを本義として、「今日の社会では、一個人が社会に問題提起をするには何が可能か」を考えて民事裁判を提訴した。いわき病院およびいわき病院長渡邊朋之医師には数々の医療上の過失責任が存在する。本質的には、社会行政的な手法もしくは自浄作用で問題解決が促進されなければならない。それが期待できないために、本件裁判を提訴した。原告の本来の願いは、いわき病院に社会的責任を取らせることである。

(4) ノーマライゼーションの実現

精神障害者を含む全ての障害者の社会復帰促進は世界共通の理念である。このノーマライゼーションの理念が日本で定着して広く普及することは、日本が国連で世界に向けて約束した国家施策であり、そのためには広く社会の賛同と理解を得る必要がある。

原告が提訴したいわき病院に対する本件裁判の目的は、日本で精神障害者のノーマライゼーションの理念が広く国民に受け入れられ、精神障害者も普通の社会生活を送ることができるようなるための条件を明確にすることである。精神障害者であっても、基本的人権が実態として認められ、それを妨げられることが無く、また行使することができる社会を創りあげることは当然の責務である。

その前提として、いわき病院が野津純一に対して、精神科医療機関として行った野津純一に対する具体的な精神医療活動の中に、数々の不正義や怠慢及び不作為を指摘してまた確認すること、が本件裁判の課題であると思量する。もって、本件裁判は日本における精神科医療の改善に資することを目的とする。


〔本論〕

【 I 過失論と事情論】

1. いわき病院の賠償責任を認定する十分条件

矢野真木人が野津純一に殺害されたのは偶然である。そもそも野津純一は矢野真木人を知らず、野津純一が矢野真木人を殺害することを事前に確定的に予想することは万人に不可能である。しかし、野津純一は「誰でも良いから誰かを殺害しよう」として矢野真木人を殺害した。野津純一の他害衝動の亢進と通り魔殺人行動は、いわき病院の医療過失が連鎖的に拡大した必然の結果である。その殺人衝動の矛先がたまたま矢野真木人であった。殺人事件は発生し、いわき病院の過失と矢野真木人殺人の間には因果律が成立した。本件裁判では、いわき病院の野津純一に対する精神医療で発生させた過失を確認することが、いわき病院の矢野真木人の死に対する賠償責任を認定する十分条件である。

(1) いわき病院の過失と社会的責任

いわき病院は過失の連鎖反応を誘発して、多数の過失および違法行為を行った。一連の不法行為や法律違反などの反社会的行為は医療機関として社会的に制裁されるべき責任を伴う過失である。いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は野津純一の診察、診断、および治療で基本的な過誤を繰り返しており、社会的責任を課されるべきである。いわき病院および同病院長で精神保健指定医の渡邊朋之医師は、本件民事裁判とは別に行政処分や資格停止などの社会的制裁の対象とされるべき過失を犯したことは確実である。

(2) 偶然であり「事情」に過ぎないという論理

いわき病院及び主治医渡邊朋之医師が犯した過失の一つ一つを個別に検討しても、それだけの要因に限定すればいわき病院及び主治医渡邊朋之医師の過失と矢野真木人の死との間には、原因と結果の間で、1対1関係もしくは、「いわき病院の過失を直接原因とした矢野真木人殺害の必然の因果律」の存在を証明することは困難である。そもそも各種の過失が発生していた時点では、いわき病院の外にいる矢野真木人の存在は認識されていない。

平成17年12月6日の12時頃に野津純一がいわき病院から外に出る時点では、野津純一は矢野真木人の存在を知らなかった。このため、それ以前の野津純一およびいわき病院の行動と矢野真木人との間には、必然の結果が論理的に導かれるべきいかなる直接の因果関係も存在し得ない。しかしながら、その時に双方が知らないことをもって、将来まで結果の影響が及ばないとする予断を持つことはできない。

今日の社会では、およそ被害は関係を持たない不特定多数の他者に及ぶ。いかなる事業活動であっても、第三者に破壊的な影響を与える可能性があり、事故が発生した場合には根本に立ち返って原因を究明して、それを是正して社会的責任を全うするとともに、被害者に賠償責任を果たすことが事業者の倫理である。

(3) 責任が問われるべき必然の過失

いわき病院と矢野真木人の間には野津純一が介在し、いわき病院が発生させた個別の原因に対して直接の結果として、必ず未来のある時点で矢野真木人が殺人されなければならないと結論づけられない。野津純一は矢野真木人でなくても、誰を殺しても良かった。そこに、いわき病院の過失という原因と矢野真木人が殺人されたという結果に対して、必然の因果律の証明を困難にする要因がある。しかしながら、誰が被害者になるかは偶然に支配されるとしても、殺人事件を発生させた要因は偶然ではなく、いわき病院の責任が問われるべき必然の過失が存在する。

(4) 事象の展開と因果律の成立

矢野真木人はいわき病院及び同病院長渡邊朋之医師の一連の過失の連鎖反応の結果の必然として野津純一に殺害された。原因と結果の間には同時性は必要ない。原因を元にした事象の展開の結果、それまで認識の対象外であった第三者に甚大な被害が及ぼされた。事象が時系列的に展開する中で、因果律が拡大した。結果論として、矢野真木人が殺害された時点で、いわき病院の医療過失と矢野真木人殺害との間で因果律が成立した。いわき病院の過失が連鎖的に拡大して、矢野真木人は必然的に野津純一に殺害された。

いわき病院が誠実性と真面目さを欠く精神医療を行った結果として発生させた過失の連鎖反応に、矢野真木人殺人事件を発生させるに至った必然性がある。野津純一はいわき病院の過失連鎖の結果として「誰でもいいから、人を殺そう」とした。その時点の野津純一には殺人被害者を発生させる確信的な意図と合目的的な行動があった。

殺人は実行されて、いわき病院の過失の連鎖と野津純一の殺人行動および矢野真木人の死に、必然の因果律が連関した。矢野真木人が被害者となったのは偶発的であるが、事件の発生で因果律は成立した。いわき病院の矢野真木人殺人事件における過失責任は明白である。

(5) いわき病院の医療過失が賠償責任の十分条件

いわき病院には、野津純一に対する治療を行い一連の過失を発生していた時点では、矢野真木人の姿は全く見えていない。しかし、いわき病院の過失が直接の原因となり、また相互に関連して、野津純一の殺人衝動と行動が誘発された。その結果、野津純一は不特定の人間に対して通り魔殺人を行い、その被害者が矢野真木人だった。

いわき病院の個々の過失はどれも深刻な精神医学上の問題である。診断ミスや処方ミスおよび管理ミスなどの過誤や怠慢、更には各種の法令違反が存在する。いわき病院及び精神保健指定医の主治医渡邊朋之医師が行った確信的な処方は破滅的な過失であった。

いわき病院と主治医渡邊朋之医師の過失の結果として、野津純一は無差別の目標に対して通り魔殺人を行った。本件裁判では、いわき病院の野津純一に対する精神医療で発生させた過失の各々を確認して認定することが、矢野真木人の死に対するいわき病院の賠償責任を確定する十分条件である。


【II いわき病院の医療過失】

2. 過失の連鎖反応を誘発した過失

いわき病院および同病院長で野津純一の主治医である渡邊朋之医師は、過失の連鎖反応を誘発した。いわき病院は野津純一の精神症状に対して適正な診断をせず、抗精神病薬を中止(故意の断薬)した処方変更により野津純一は急速に各種の症状が悪化した。

精神保健指定医である主治医渡邊朋之医師は適宜適切な診察を行わず野津純一を放置して、錐体外路系副作用に対する治療を誤り、統合失調症の患者に用いた場合には敵意・攻撃性・興奮などの奇異反応を誘発する薬剤(レキソタン)を大量継続投与したが、処方変更の効果判定をせず、診察拒否をして、いわき病院が行っている社会生活技能訓練に効果がないことを知りつつ社会復帰訓練と称して野津純一に単独での外出許可を漫然と与え続けた。

そして矢野真木人殺人事件が発生した。いわき病院が犯した一連の過失および不法行為は連鎖反応的に拡大し、野津純一は矢野真木人を殺害するに至った。過失の連鎖反応を誘発したいわき病院長渡邊朋之医師の過失責任は極めて大きい。

(1) いわき病院と医療過失の連鎖反応

いわき病院長は野津純一の処方で、統合失調症の患者に対しては中断してはならない抗精神病薬を中止して、錐体外路系副作用に対する治療上の過誤を行い、引き続いて奇異反応を誘発する薬剤(レキソタン)を連続大量投与するという過失をした。そして自傷他害の危険度が亢進していた野津純一の自傷(根性焼き)の徴候をいわき病院は発見せず、野津純一が事件発生の2時間余前に緊急の診察要請を行ったにも関わらず、主治医渡邊朋之医師は診察が可能な状況であったのに主治医として意図的に診察拒否をした。看護師は野津純一に緊迫していた他害の可能性などの徴候を発見していたにもかかわらず野津純一を止めることができなかった。いわき病院には医療過失の連鎖反応を引きおこした過失がある。

(2) 過失の暴走を防ぐチェック体制の不備という過失

いわき病院では病院長渡邊朋之医師が発生させた過失を他の病院職員がチーム医療で発見して、壊滅的な結果に至る前に未然に修正する暴走を防ぐ体制が不備であった。このため、いわき病院長の異常な処方が訂正されることがなかった。精神科医療機関として過誤や過失の発生を防ぐチェック体制が機能しなかったことは過失である。

(3) 患者保護を放棄した外出管理

野津純一はいわき病院から事前に外出許可が与えられていたが、いわき病院は患者の毎日の状況をきめ細かく把握することなく、野津純一に一人で外出を許した。いわき病院は野津純一の外出に関して精神科病院として、患者を保護するために当然行うべき管理を行っておらず、患者の自傷他害の徴候を発見する体制を持たず、他害の衝動を実行する危険などを未然に防ぐ体制を取っていなかった過失がある。

(4) 過失の連鎖反応を見逃した過失

過失の連鎖反応が発生している中にあっては、個別の過失は、次に続く過失の予兆もしくは前兆となる。一連の看護記録をみれば看護師は異変の発生を感じ取っていた。そのような中で、過失の連鎖反応を止めることができなかったいわき病院の精神科専門病院としての過失責任は甚大である。過失の連鎖反応を発生させたのはいわき病院長であり精神保健指定医の渡邊朋之医師の過失である。そして、過失の連鎖反応の進行を止められなかったのは、いわき病院の過失である。


(A) 診断と治療方針の誤り

3. 統合失調症を適正に診断しない過失

いわき病院長渡邊朋之医師は、そもそも野津純一が統合失調症であることに疑いを持っていた。本裁判開始直後の被告答弁書では「精神障害者でない者」と断言したが、野津純一が障害者年金を受けている事実が指摘されると統合失調症に証言を転換した経緯がある。野津純一の統合失調症への罹患は20年以上の長期に及び、症状は再燃を繰り返していた。いわき病院長は主治医として、野津純一の統合失調症を適正に診断せず、具体的症状への対処が不完全であったという過失がある。

(1) 当初は「統合失調症の疑い」と診断した

いわき病院長渡邊朋之医師は、平成17年2月14日に野津純一を最初に診察し、「Sc suspected(統合失調症の疑い)」と診断した。そもそも、いわき病院長渡邊朋之医師は、野津純一が統合失調症であることに関して最初から正確に診断できていない。いわき病院長渡邊朋之医師の野津純一に対する診断は、「統合失調症の疑い」→「統合失調症」→「統合失調症と強迫神経症」→「統合失調症と強迫神経症で、あくまでもメインは強迫神経症」→「統合失調症を示す数値は低い」と変動し、矢野真木人殺人事件後の、本裁判のいわき病院答弁書では「精神障害者でない者」(「統合失調症でない者」と同義である)とまで断言して、いわき病院の治療成果を誇った程である。

精神保健指定医ともあろういわき病院長である主治医渡邊朋之医師が野津純一の統合失調症を正確に診断できす、本人の診断に基づかず、何年も前の他の医師の診断に左右されて、医師として確信的であるはずの証言が裁判の議論の中でころころと変動していた事実は、実に驚くべき過失である。

(2) 渡邊朋之医師の統合失調症診断

いわき病院長渡邊朋之医師が、統合失調症と判断する根拠は「幻覚、妄想等の症状」である。統合失調症の野津純一に強迫症状があれば、統合失調症が快方に向かっている要素として誤解するような、精神保健指定医であるいわき病院長渡邊朋之医師の見識を疑うべき診断である。いわき病院長渡邊朋之医師は、野津純一の統合失調症を適正に評価診断することが無かったため、一連の処方間違いという過失の連鎖反応を誘発するに至った。統合失調症を適正に診断しなかった過失責任は極めて重い。


4. 反社会性人格障害を診断しない過失

いわき病院は、これまでの準備書面において野津純一に対する反社会性人格障害を診断できないことの正当性を主張してきたが、第4準備書面においては『野津自身の元来の気質、「おもしろくない」「ゆるせない」といった考えに基づいて誰でも良いから殺人を犯したものと考えるのが相当である。』と明言している。このことこそが、野津純一の反社会性人格を認識していたことを示唆するものであり、現在症としての本来の気質である反社会性人格障害の要素について、いわき病院が認知していたことは明白である。

これを念頭に置けば、野津純一の入院処遇においては、野津純一の反社会性人格を前提にした、綿密な評価と対応を考慮するべきであり、野津純一の行動異変に最大の注意を払う義務があった。しかしながらいわき病院は、野津純一が殺人を犯した後に、その事に関して全てを結果論としてのみ捉え、自らの診断(治療)がその動因ではないことを頑なに主張する対応振りは確信的な過失である。

(1) いわき病院の論理は根拠がないごまかし論

いわき病院は、執拗に「被告野津を反社会的人格障害であると診断することは誤りである」と主張し、その根拠としてICD-10やDSM-IVを取り上げたが、これまでの準備書面において一度も具体的な引用箇所を明記していない。いわき病院の主張は根拠や引用箇所が不明であり、その主張の正誤の判断が原典に遡って確認できない。いわき病院の論理展開は不誠実きわまりないごまかしの論理である。

(2) 自らの観察に基づかない診断をする過失

いわき病院長は野津純一の人格障害を観察しても、自らの観察に基づかない診断をしており過失である。いわき病院の医療記録には野津純一の反社会性人格障害に関する数々の記録がある。いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師が野津純一に反社会性人格障害を診断しないのは、明白な医療診断上の過失である。


5. 統合失調症患者に抗精神病薬を中止した過失

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は、矢野真木人殺人事件発生の二週間前の平成17年11月23日より、病歴20年余の慢性統合失調症患者である野津純一の処方から抗精神病薬の投与を中止した。統合失調症の患者に対しては抗精神病薬の投薬を中止してはならず、精神保健指定医である主治医として重大な過失である。

(1) 統合失調症薬は飲み続けなければならない

統合失調症における最も基本的な治療原則は、抗精神病薬の継続的投与であることは精神科医であれば常識である。統合失調症患者は必ずしも積極的に抗精神病薬を医師が期待する処方通りに飲み続けるとは限らない。いわゆる「服薬コンプライアンス」という概念であり、患者が抗精神病薬をこっそり捨てたり、故意に飲まなかったり、調子が悪くなったら再開するから今は止めておきたい等と要望して、薬の服用に抵抗することがある。

主治医である精神科医は服薬コンプライアンスが不良である患者に対して、現状の病状と今後の展望について根気よく説明して服用を奨励する立場にある。とりわけ、抗精神病薬は間欠投与ではなく、継続的与である理由について、患者が理解できるように丁寧に説明する事は、精神科主治医の義務であり、主治医としての基本的なモラルでもある。服薬指導を守らない患者を説得して、抗精神病薬を飲み続けさせることが精神科医の第一義的な役目である。

(2) 主治医による統合失調症治療薬の断薬という過失

精神科医療現場の常識として考えれば、主治医の処方による統合失調症患者の抗精神病薬服用の断薬という現象は本来考えられないことである。今回のいわき病院における野津純一に対して行われた抗精神病薬の投与の中止という決定的な事実が発見されたが、これはあり得ないはずの主治医渡邊朋之医師の指示(診療録では11月30日処方とあるが、第3準備書面〔8月21日差し替え分〕では11月23日処方)による断薬であった。

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は、患者に対しては自らの処方に則った服薬の理由を説得するべき立場であるが、病歴20年もの長期にわたり継続している慢性統合失調症の野津純一に対して、処方から抗精神病薬投与を意図的に中止した行為はいわき病院長渡邊朋之医師の過失そのものである。

これは、精神保健指定医であり正しい処方を行うべき、いわき病院長渡邊朋之医師の故意に基づく「抗精神病薬抜きの処方」であり、その行為は精神科における薬物療法の原理原則を無視した医療過誤であり、かつ重大な過失である。

(3) インフォームドコンセント無視
   および診療録記載義務違反という過失

平成17年11月21日、23日の処方変更では、患者の野津純一は抗精神病薬の中止に納得しておらず、いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師が抗精神病薬の中止を強行した責任は重い。野津純一の抵抗を受けて、主治医渡邊朋之医師は警察供述調書では「(野津純一が)処方変更を絶対に聞きいれず、毎日のように同じ訴えをする」と陳述した。主治医の邊朋之医師は患者である野津純一または家族に対して納得するまで分かりやすく説明して、その過程を診療録に記載する義務がある。看護録には「処方が変わってから調子が悪い」「先生が薬を整理しましょうと言って一方的に決めたんや」という野津純一の不満が記載されており、インフォームドコンセント無視(医師法第23条違反)と診療録記載義務違反(医師法第24条違反)である。


6. 錐体外路系副作用に対する治療上の過失

本件に関してはいわき病院は複数の処方を主張しており、そもそも何が野津純一に処方された事実であったかについても確定されてない。その上で、診療録によれば、いわき病院は、野津純一の「遅発性ジスキネジア」「アカシジア」等の錐体外路系副作用に対して薬の選択を間違えたばかりではなく、野津純一に対して事前の十分な治療根拠の説明をすることなく突然に投薬を中断するなど、精神保健指定医として過失がある。

(1) 証言と記録が複数存在する疑わしさ

いわき病院の野津純一に対する平成17年11月23日以降12月6日までの処方は診療録とレセプトおよび本裁判における証言と複数存在する。このため、原告としてはどれが事実であったのか、またごまかしの意図はどこにあるかなどを推察することになる。

診療録についても11月15日までは活字印刷の処方箋コピーを載せてあるが、11月23日から12月6日までは読み辛い手書き処方のみであり、記載事実に関して疑わしいところがある。そもそも、診療録に活字印刷の処方箋コピーをこの期間に限って添付してないのは何故か。手書きの記録だけが残された理由を含めて、いわき病院職員に「院長の過誤にはタッチしない」という責任回避の行動などがあった可能性が疑われる。

(2) 遅発性ジスキネジアを「心気的訴え」と誤診した過失

いわき病院の診療録とレセプトの記録によれば、いわき病院長渡邊朋之医師は、野津純一の遅発性ジスキネジアを心気的訴えと短絡的に判断し、プラセボと称して生理食塩水を毎日注射した。これに対して、野津純一は「全く効果がないのでおかしい」と訴えたが、いわき病院長渡邊朋之医師は取り合わず、野津純一の手足の振戦を心気的訴え(不定愁訴)と決めつけて、それ以降の治療を改善せず患者のQOL(生活の質)を低下させてストレスをためた過失がある。

(3) 遅発性ジスキネジアの副作用がある
   定型抗精神病薬に執着した過失

診療録とレセプトの記録によれば、精神保健指定医であるいわき病院長渡邊朋之医師は、長い病歴を有する統合失調症患者である野津純一の「遅発性ジスキネジア」と「アカシジア」に代表される錐体外路系副作用に業を煮やしていた。

いわき病院長渡邊朋之医師が野津純一に処方した定型抗精神病薬(第1世代)は統合失調症の陽性症状にのみ有効で、錐体外路系副作用を起こしやすい。これに対して非定型抗精神病薬(第2世代)は統合失調症の陽性症状と陰性症状の両方に有効で、遅発性ジスキネジア等の錐体外路症状も引きおこさない。陰性症状が主症状で遅発性ジスキネジアに悩んでいた野津純一には定型抗精神病薬(第1世代)中止ではなく非定型抗精神病薬(第2世代)投与に変更選択すれば問題は解決した。

いわき病院長渡邊朋之医師は定形型抗精神病薬(第1世代)の薬の処方に固執したが、錐体外路症状の副作用は非定型抗精神病薬(第2世代)に代えれば次第に減っていく種類のものである。野津純一は主治医渡邊朋之医師の処方により、症状が悪化した。野津純一は主治医渡邊朋之医師の時代遅れで適切でない処方により、副作用に悩んでいたのである。精神科専門医師としてまた精神保健指定医として過失である。

(4) 抗精神病薬を中止して抗パーキンソン薬を投与し続けた過失

診療録とレセプトの記録とは異なり、第3準備書面(8月21日差し替え分)が実際の処方であった場合には、いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は野津純一に対する処方から抗精神病薬を中止して、抗パーキンソン薬を抗精神病薬中止前と同量を投与し続けた。

抗精神病薬投与中止はドパミンの過剰放出をそのまま放置することである。その上で「ドパミン不足から起こるパーキンソン病を治す薬(ドプス)」を漫然と統合失調症患者に投与していた。抗精神病薬中止後も消えてくれない遅発性ジスキネジアに対処する必要性はあるが、統合失調症患者に抗精神病薬を出さず、抗パーキンソン薬を出し続けると、ドパミン過剰状態が促進されることになり、再発・再燃の危険が一層増すことになる。この場合にも、いわき病院の過失は免れない。

(5) いわき病院の論理的混乱と「過失の自白」

原告はいわき病院が野津純一に施した治療は、診療録とレセプトの記録にあるとおりであったと推察する。しかるにいわき病院は診療録とレセプトの治療に問題があったことを認識して、第3準備書面で8月20日付と8月21日差し替え分の二種類の処方を裁判の証言として提出した。

第3準備書面(8月20日付)では、抗精神病薬と抗パーキンソン薬を継続したと証言したが、その翌日の第3準備書面(8月21日差し替え分)では抗精神病薬を中止して抗パーキンソン薬を継続したと証言を転換した。ここに、いわき病院が野津純一が引きおこした殺人事件という重大な事実を前にして、自らの処方を合理的に説明することに窮した状況が伺える。このいわき病院が陥った論理的混乱こそ、いわき病院自らが過失を犯したことを認識していたことを示す証拠である。いわき病院は論理的混乱を裁判文書の差し替えという形で「過失を自白」したのである。


7. レキソタンの大量連続投与という過失

矢野真木人殺人事件が発生した平成17年12月6日の1週間前(平成17年11月30日)より、いわき病院長渡邊朋之医師が野津純一の重度強迫性障害の治療のためとして、レキソタンを一日あたり6錠(30mg)もの大用量を毎日連続投与したのは重大な処方ミスであると同時に、精神保健指定医としては明白な過失である。

(1) 攻撃性を誘発する薬剤を投与した過失

野津純一には、当時、主治医渡邊朋之医師から退院を迫られているという、現実的な精神的葛藤があった。その上で、いわき病院長渡邊朋之医師は、薬にこだわる患者である野津純一に説明も無く、インフォームドコンセントを無視して一方的な処方変更をした。具体的には、野津純一の攻撃性の防波堤とも言うべき抗精神病薬(プロピタン)を中止した上に、あろうことか、統合失調症等の精神障害者に使うと本来の目的とは逆の作用をして、刺激興奮・攻撃性(奇異反応)を発現する危険性がある抗不安薬のベンゾジアゼピン系薬剤(レキソタン)を連日大量投与した。

医家向け添付文書には特別注意喚起事項があり、レキソタンの重大な副作用として「統合失調症等の精神障害者に投与すると逆に刺激興奮、錯乱などをおこすことがある」と記載されている。レキソタン投与により、野津純一に攻撃性が発現し易くなり、副作用としての奇異反応(敵意・攻撃性・興奮)が惹起された。通常は、レキソタンの1日常用量は5〜15mgであるが、いわき病院長渡邊朋之医師は、最大常用量の2倍(30mg)を野津純一に対して、一週間にわたり毎日連続投与したことは過失である。

(2) 奇異反応

奇異反応とは本来鎮静を目的として使用されるはずのベンゾジアゼピン系薬剤(レキソタン)により不安・焦燥が高まり、気分易変性や攻撃性・興奮などを呈するものであり、1)抑うつ状態、2)精神症状態(幻覚・妄想)、3)敵意・攻撃性・興奮の3つのパターンが挙げられ、中でも3)の「敵意・攻撃性・興奮」が中核をなす。

ベンゾジアゼピン系薬剤(レキソタン)が奇異反応を起こす危険性因子は以下の通りである。

  1. 環境や対人関係に関する著明な葛藤下にある患者。
  2. 元々、敵意や攻撃性が強い性格で、衝動コントロールが不良な患者。
  3. 中枢神経系の抑制機構に脆弱性を有する患者(精神疾患や脳器質障害の既往)であり、投与法としては高用量で発現しやすい。

(3) レキソタン投与により奇異反応を誘発した過失

平成17年12月6日当時の野津純一は以下の通りである。

  1. 退院を迫られていたストレス、抗精神病薬を一方的に処方から外されたストレス、主治医に抗議しても聞いてもらえないストレス、遅発性ジスキネジアに効果がない生理食塩水を注射されたストレス、および診察拒否をされたストレスがあった、
  2. 生来的に敵意や攻撃性が強い性格であった、
  3. 重度のOCD(強迫性障害)であり衝動コントロールが不良であった、
  4. ベンゾジアゼピン系薬剤を高用量で連続投与されたことによる高負荷状態によって、非常にストレス耐性に脆弱性を抱えていた。

いわき病院長は野津純一に「統合失調症」と「重度強迫性障害」であると診断していた。重度強迫性障害は脳に器質障害があって起こる。レキソタンを投与した時点では、野津純一はベンゾジアゼピン系薬剤の奇異反応を起こす危険性が極めて高いことは予想される状態であった。精神保健指定医であるいわき病院長渡邊朋之医師は、野津純一の処方変更に伴う症状の変化を注意深く観察しなかった過失がある。

結果的に、予断によって「単なる風邪である」として診察拒否をし、いたずらに野津純一の奇異反応を誘発した。これは精神保健指定医として明白な過失である。


8. 処方変更の効果判定をしない過失

医師は処方を変更した後では、その効果を判定して、その結果を診療録に記載しなければならない。いわき病院は、野津純一の抗精神病薬中止等の大幅な処方変更を行ったにもかかわらず、その事に対する具体的な効果判定を実施しなかった過失がある。

(1) 処方変更の効果判定は義務

いわき病院長渡邊朋之医師は患者である野津純一のイライラ・ムズムズを軽減するための処方変更であったにもかかわらず、診療録には12月3日に一回だけ「クーラー音などの異常体験はいつもと同じ」としか記載してない。主治医は患者の野津純一に対して、遅発性ジスキネジアに関する質問をしておらず、処方変更の効果判定をしていない。ところが同時期に記述された看護記録によれば、この頃野津純一の遅発性ジスキネジアおよびイライラが共に悪化していた様子は明らかである。いわき病院長は慎重に処方変更の結果を判定して処方を見直すべきであり、処方変更の効果判定をしなかった過失が存在する。

(2) 薬の副作用発現率は100%ではないが無視すれば過失である

薬の副作用発現率は100%ではない。時には副作用発現率が極めて低い場合もある。しかしながら、いわき病院は野津純一に対して行った全ての処方に記載された危険情報は「事情であり」、必ず100%発現する必然性がないために「過失ではあり得ない」と主張することはできない。医師は処方を変更したときは、処方変更の効果判定を行う義務があり、特に危険情報が指摘されている場合には副作用が出てないかを判定しなければならない。それゆえ、12月6日の診察拒否は許されなかった。野津純一は主治医渡邊朋之医師を指名し、渡邊朋之医師はその時行っていた外来診察をわざわざ中断しており、時間的に可能であったにも関わらず、野津純一の診察を拒否したのである。

処方変更をして、効果判定と副作用チェックが行われない場合には、主治医は過失責任を免れない。この場合、副作用の危険発現率の高低は問題ではない。極端な場合には発現率が百万人に一人の場合があるが、それでも副作用の危険が甚大であるために特筆されるのである。精神保健指定医としては、処方した薬の添付文書に「重大な副作用」として記載のある危険情報は当然知っておくべき義務がある。野津純一の主治医である渡邊朋之医師は処方変更後の効果判定と副作用チェックを行なっておらず過失責任は免れない。主治医として本件は「たった数%の発現率という事情」ではあり得ない。医師としての本質に関わる過失問題である。


9. 効果がない社会復帰訓練と単独外出の過失

いわき病院が野津純一に毎日の単独外出を許可していたそもそもの目的は、野津純一の「社会復帰訓練の一環」であった。ところがいわき病院長は、そもそもいわき病院における作業療法などが効果がないことを認めていた。それでも漫然と単独外出許可を与え続けていた。野津純一はいわき病院の社会復帰訓練の過程で通り魔殺人しており、いわき病院には重大な過失がある。

(1) 自傷他害の危険性を無視して社会復帰訓練をした過失

いわき病院で行われていた精神科治療は、野津純一の精神症状改善あるいは緩和に一向に寄与しなかった。いわき病院長の渡邊朋之医師は、野津純一の単独外出に関して、「社会復帰訓練の一環としての外出」と記者会見で発言した。「社会復帰訓練の一環」とは具体的には、「いわき病院近隣のコンビニエンスストアや書店、スーパーマーケットへの散歩」というのが実態であった。野津純一の単独外出は精神症状の不安定さ等々を考慮すると自傷他害の危険性を排除し得ず、したがって作業療法士や看護師の同伴が必要であった。

(2) 作業療法の効果が無いと知りつつも漫然とそれを継続した過失

いわき病院の作業療法は放任主義的な関わりであり、野津純一の症状に対する綿密な評価が行われなかった。いわき病院の作業療法部門は野津純一に対して十分な評価(観察)をすることなく、作業療法士の都合で評価報告書を作成していたと考えられる。いわき病院長渡邊朋之医師は平成17年12月8日の供述調書で、『作業療法、SST、金銭管理トレーニングはいずれも「良好な対人関係の構築」「正常な金銭感覚の修得」のための訓練であり、私や作業療法士等により計画的に実施してきました。しかし正直なところトレーニングの記録を確認しても、目立った改善はありません。』と証言して、自らいわき病院の作業療法が効果を上げていないことを認めていた。

いわき病院長は自ら、「自らの病院で、野津純一に対してはトレーニング効果がなかったこと」を認めていた。矢野真木人殺人事件の直前の診療録には、10月27日に「SSTの時も頭に入らん、眠くて」、また11月15日には「心理教室はノイローゼがひどくなった」と野津純一の言葉が記載されている。その上で、いわき病院長は野津純一に対して、効果が期待できないと知りつつ漫然と外出許可を与えていた。野津純一に単独の外出許可を与えたことがそもそも過失である。


10. 野津純一の診察拒否をした過失

野津純一は平成17年12月6日の午前10時に咽頭痛や身体的不調を訴えて、主治医であるいわき病院長渡邊朋之医師の診察を願い出た。これに対していわき病院長渡邊朋之医師は第4準備書面で「12月6日も9月末と同様の風邪症状による喉の痛みであったため、渡邊医師は外来診療を中止し、緊急に野津の診察をしない判断をしたのである。」と証言した。これは、いわき病院長渡邊朋之医師が主治医として自らの確固たる意思によって、医師として当然の義務である診察を拒否したという証言そのものであり、重大な過失である(医師法第19条違反)。

(1) 診察もせず風邪と決めつけた過失

平成17年12月6日の朝10時に、野津純一の精神的葛藤が最高潮に達した時に願い出た診察に対して、精神保健指定医であるいわき病院長渡邊朋之医師は、それを拒否し、現実の野津純一の状況を診ることなく「単なる風邪である」と決めつけて、抗精神病薬中止の影響が発現する可能性を無視した過失がある。

(2) 野津純一の症状が悪化するに任せた過失

野津純一の精神鑑定を行ったS医師は「いわき病院に入院中に症状悪化?」と疑問を呈している。野津純一は、平成16年10月1日にいわき病院に入院して以降、精神症状が改善せず、特に主治医が平成17年2月16日に渡邊朋之医師に変更になって以降は、錐体外路系副作用(四肢の振戦など)の症状が全く改善しなかった。

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は、野津純一が訴える具体的な症状悪化に対処することがなく、「心気的訴え」と一括して、適宜適切な診察も行わず放置して、野津純一の症状を改善する医療的処置をしなかった事実は、精神保健指定医としての過失である。

(3) 主治医渡邊朋之医師が診察拒否をした過失

いわき病院長渡邊朋之医師の野津純一に対する診察の殆どは、1週間に1回程度しか行われず、しかもしばしば深夜の時間帯に行われるなど独特の状況であった。その上、被告第4準備書面でいわき病院長が断定的に主張したことに基づけば、平成17年12月6日朝10時、いわき病院長渡邊朋之医師に野津純一からの診察希望が伝えられたとき、主治医である渡邊朋之医師には「外来診察を中断して、診察をしないという判断をする時間」があったが、敢えて確固たる意思で診察を拒否した(医師法19条違反)。

(4) 野津純一を診察しておれば

いわき病院長は、平成17年12月6日朝10時の時点で診察するなり、野津純一に外来で待つように指示してさえいれば「殺人を犯すまでに至る可能性があった、野津純一の攻撃性の徴候を主治医として察知して事前に回避可能であった」と考えられる。矢野真木人に対する殺人犯行は野津純一に対する外出許可(同日12時頃)の20分後の出来事であった。

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は野津純一に対して抗精神病薬を中止していた。そのような場合、「小さな異変から一挙に触法行為に至る危険性を否定できない」ということは、渡邊朋之医師が精神保健指定医なら当然知っていることである。渡邊朋之医師は主治医として診察を拒否できる状況ではなく、診察拒否そのものが重大な過失である。これは、「医師の職分(医師は医療及び保健指導を掌ることによって、公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする)」(医師法第1条違反)である。


11. 無診察治療の処方変更を指示した過失

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は「緊急に野津の診断しない判断」をして、そのうえで処方変更を指示していたと第4準備書面で主張したが、過失の発生を容認する証言である。これらの処方変更は治療方針の変更であり、医師が診断して治療法を決めなければならない。いわき病院長渡邊朋之医師の証言は、自ら「医師法第20条(無診察治療などの禁止)」に確信して違反したということを本裁判で証言した。

(1) 診断しない判断と処方変更の判断の併存

渡邊朋之医師は第4準備書面で、平成17年12月6日に「緊急に野津を診断しない判断をした、医師として誤った判断ではない」として、『内服薬については重度遅発性ジスキネジアおよび強迫所見ともとれる「ムズムズ」と「イライラ」の対処のためプロピタンを中止したが、そのかわりに、「不穏時にトロペロンの筋肉注射」を指示し、振えたときにはアキネトンの注射と、焦燥感があるときにはセルシンの注射の指示に代えている。しかしながら、野津本人の訴えが喉の痛みだけで他の所見がないために使用していない。』と答弁した。

この答弁は、野津純一の主治医として患者である野津純一を「診断しない判断」(医師法19条違反)をした上で、「診断なしの処方変更の判断」(医師法20条違反)が並行して行われたことを証言している。

(2) 看護師の判断による
   トロペロン筋肉注射は医療法上の違法行為

いわき病院長で野津純一の主治医渡邊朋之医師の、トロペロンに関する記載は平成17年11月30日の診療録にある。処方された内服薬なら看護師が患者に渡すことができる。しかし主治医による個別具体的な指示無しには(例えカルテに記載されてあるとしても)看護師の判断だけでは向精神薬で劇薬のトロペロン筋肉注射を患者に対して行うことは医師法20条違反で許されない。

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は第4準備書面では、看護師の判断でアキネトンの注射も容認する証言をした。しかし、アキネトンの注射に関しては既に「プラセボ」の指示を与えており、実行されていた。被告渡邊朋之医師は「診療録に記載さえしておけば、あとは看護師に任せて、主治医が診察をする必要はない」(医師法20条違反)と証言したことになる。

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は「診察をしない判断」をしたのである。主治医の診察が行われないのでは、カルテに書いた記載は、患者である野津純一にとっては絵に描いた餅である。いわき病院長渡邊朋之医師が行ったように、たとえ事前に診療録に書いてあったとしても、実際の医師の診断が行われず、看護師の判断でトロペロン注射もしくはアキネトン注射をすれば「医師法第17条(非医師の医業禁止)および20条違反」である。


12. 安全配慮義務違反という過失

医療者は、患者の入院生活の安全を確保する「安全配慮義務」を負う。いわき病院において統合失調症と診断されていた野津純一には自傷他害の可能性があったが、いわき病院は自他に対する安全配慮を無視した外出許可を漫然と与えていた。野津純一は第三者の生命を奪い人生を破壊するに至ったのであるが、これに関するいわき病院の安全配慮義務違反の過失責任は重い。

(1) 医療者の安全配慮義務

医療者は、患者の入院生活の安全を確保する「安全配慮義務」を負っている。国際看護師協会(ICN)の「職場における暴力対策ガイドライン(Guidelines on Coping with the Violence in the workplace, 1999)によれば「ヘルスケアが行われる場における虐待及び暴力事件の増加は、質の高いケアの提供を妨げ、個人の尊厳とヘルスケア提供者の自尊心を脅かしている。」と宣言されている(医療職のための包括的暴力防止プログラム、P.206、包括的暴力防止認定委員会=編、医学書院)。

暴力とは「他者または自己に対して破壊的であること」である。野津純一はいわき病院に入院中の患者で、当時は統合失調症の治療を受けており、いわき病院から許可を受けて社会復帰を促進するために社会復帰トレーニングの一環として、近隣の施設への付添なしの外出を繰り返していた。このため、野津純一が外出中に犯した矢野真木人殺人事件は、いわき病院の「患者の入院生活の安全を確保する安全配慮義務」に違反している。

(2) 臨床における安全配慮

上記のガイドラインは「臨床における問題(P.210)」として以下の通り記述している。

暴行あるいは破壊的行為の前歴がある患者のカルテに印をつけることにより、スタッフに対する虐待が91%も減少したことがわかり、患者履歴を完全にとることの重要性が強調されている。すぐに起こりそうな暴力の可能性を示唆する最も有用な基準は、患者の自律神経系統における変化である。発汗、顔面紅潮、瞳孔の大きさの変化、筋肉の緊張などは、看護師が使用する12の微妙な手がかりに含まれている。その他の前兆としては、声の調子が高くなること、握りこぶし、顎の緊張、廊下を歩き回ること、などがある。

(3) 安全配慮義務を無視した過失

いわき病院は、「任意入院患者にそもそも自傷他害行為の可能性を検討することは違法である」と断言しているが、「医療者の患者の入院生活の安全を確保する安全配慮義務」は全ての医療科目、全ての患者が対象であり、精神科医療が特別に除外されるものではない。そもそも任意入院患者であっても全て医療機関は患者に対する安全配慮義務を果たさなければならない。

野津純一はいわき病院に入院中に看護師に襲いかかった経緯があり、いわき病院歯科では毎回のように暴力に対抗する安全帯を使用していた。更にいわき病院で行われた各種の精神・心理テストや過去の経歴に関する聞き取り調査でも野津純一の暴力傾向は指摘されていた。しかるにいわき病院長で主治医の精神保健指定医の渡邊朋之医師は患者履歴を取る重要性を確信して無視した。

いわき病院は奇異反応(敵意・攻撃性・興奮)を誘発する薬剤(レキソタン)を大量連続投与していた。野津純一は平成17年12月6日の朝10時には、「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、のどの痛みと頭痛が続いとんや」と看護記録に記載されている。これは「声の調子が高くなる」という前兆の一つであり、すぐに起こりそうな暴力の可能性を示唆する徴候が現れていた。いわき病院には安全配慮無視を確信して行った過失が存在する。


(B) 看護、監督義務違反

13. 病院管理の不徹底

いわき病院は患者の外出管理ができておらず、正確な記録も整備されておらず、自らの正統性を裏付ける証拠として提出する事もできない。いわき病院の第4準備書面による証言によれば、被告病院内で野津純一は「吸いやすい場所で吸う」ことが放置もしくは黙認されていた。また非常扉が大きな音を出す構造であるにもかかわらず、野津純一が入院中はその改善が図られず、深夜の静寂が確保されていなかった。いわき病院は病院としての基本的な管理機能が働いていない。これは病院管理者として、社会的背信行為である。

(1) 患者の外出管理ができない病院

いわき病院では、「入院患者の外出簿への記載の有無」をナースステーションで正確に管理できていない。患者が外出簿に記載せずに外出してもそれを注意される事がないばかりか、そもそも無断外出を発見できない体制である。患者にはナースステーションからは見えない場所に設置されているエレベータの暗証番号が教えられている。モニターテレビでも患者の病院からの外出を管理できない構造である。いわき病院は精神科専門病院であるにもかかわらず、患者の外出管理体制に基本的な欠陥がある。

いわき病院は日常の患者の外出管理は「外出記録簿に記載することになっている」と主張するが、いわき病院は野津純一の単独外出の記録を持たないことを第4準備書面で認めた。いわき病院は野津純一の外出管理に関して虚偽の主張をしたのである。これにより、「単独外出許可が過失であった」ことは明白である。

(2) 非常ドアの騒音を放置した

野津純一の病室の隣の非常ドアは閉まる時にバターンと大きな音がすることで、野津純一に精神的ストレスを与えており、その事を診察の際に申告し、いわき病院長もゴムの緩衝材を置くなどの改善の必要性を認めていたが、処置がされなかった。


14. 野津純一の自傷行為に気が付かない過失

野津純一は平成17年12月6日の事件の数日前にいわき病院内で自傷行為をしていたにもかかわらず、いわき病院の医療スタッフの誰も気付いていない。この事実は入院患者に対する普段からの綿密な観察が行われていない証拠である。

(1) テレビの報道で瘢痕が明瞭に映し出された

そもそも、いわき病院長渡邊朋之医師は「被告野津の左頬に疵があることは知っていた」と供述調書で述べている。いわき病院は第4準備書面で「タバコの火が消えるまでの根性焼き」と表現したが、これは根性焼きの有無の議論を程度の問題にすり替えて、責任論から逃げ切ろうとする論理展開である。

野津純一の顔面には、程度の問題ではなく事実として、瘢痕があったのである。野津純一が逮捕されたときに撮影された映像(TVニュース)では、野津純一の顔が大写しされ、左頬のぼこぼこになった瘢痕(火傷跡)が誰の目にも確認できた。このTV報道は裁判資料としてビデオテープを提出してある。

(2) 自傷行為を発見できない過失

野津純一の自傷行為に関する重要な事実関係は、いわき病院では入院患者が病院内で行っている「顔面に対する自傷行為という重大な徴候」に対して、「いわき病院長渡邊朋之医師をはじめ、他の職員の誰もが気がつかなかったという事実」が本件裁判で確認されたことである。

いわき病院は野津純一が病院内で喫煙時における自傷行為の結果として顔面の皮膚に異常が現れていたにもかかわらず、これを異常な徴候として認識せず、「大火傷でなければ気が付かない」と虚言を呈しているのである。

(3) 大火傷でなければ発見できないという主張

いわき病院は第4準備書面で『タバコの火が消えるまでの「根性焼き」に関する、身体的変化や異常は認めていない』と言い張り、「顔面に生々しく爛れて水膨れした大火傷がなければ筋が通らない」と主張した。これは、「タバコの火を短時間接触させて発生した程度の「根性焼き」に関する、身体的変化や異常」までも否定した証言ではない。

いわき病院の主張と弁明には、「極端な症状だけを察知可能な症状として、医療従事者であれば当然気が付くはずの状況の変化を見落としても責任はない」とする、意図的な詭弁がある。そもそも大火傷でなければ顔面の変化を発見できないような、医療機関の入院患者の杜撰な観察こそ過失である。

(4) 顔面の火傷は目立つ

顔面の火傷の瘢痕は大火傷でなくてもよく目立つものである。顔面の状況の変化を見落とすような医療とは、そもそも健全な観察眼の無い医療行為である。いわき病院には自らの過失を否定する強い故意が認められる。

精神障害者の顔面の火傷傷という自傷行為は誰が見ても分かる自傷他害の危険サインである。いわき病院がこれを見逃した過失は大きくまた重い。その上で、『タバコの火が消えるまでの「根性焼き」』と表現して事実を歪曲する意図があり、極めて悪質である。いわき病院が野津純一の顔面の瘢痕の重大な変化を見落としていたことは過失である。


15. 12月6日の単独外出許可という過失

いわき病院が、野津純一の具体的精神症状の変動について評価することなく、矢野真木人を殺害した平成17年12月6日に安易に単独外出許可を与えたことは重大な過失である。

(1) 野津純一の攻撃性の亢進を見逃した過失

野津純一の主治医であるいわき病院長渡邊朋之医師は、精神保健指定医であるにもかかわらず、投薬基準を無視して抗精神病薬(プロピタン)投与を中止し、統合失調症患者に投与すれば暴力等の攻撃性を発現し自傷他害行為の危険性を高めるレキソタンの大量連続投与を行い、効果がない生理食塩水(プラセボ)の注射を行った。いわき病院は、重度の統合失調症の患者である野津純一に効果の無いSST(社会生活技能訓練)やOT(作業療法)を実施し、患者のQOL(生活の質)を著しく下げ、野津純一がストレス亢進する最大要因である退院を迫っていた。

いわき病院長は精神保健指定医として、野津純一が奇異反応で攻撃性の発露を伴う統合失調症の症状がいつ再燃するかわからない危険な状況にあったことに慎重に対処すべき状況にあった。それにもかかわらず、主治医渡邊朋之医師は注意深く観察しなければならない自傷行為の徴候と攻撃性が亢進する状況を見逃した過失がある。

(2) 単独外出許可を与えた過失

野津純一は主治医であるいわき病院長渡邊朋之医師に診察拒否された後は、「先生にあえんのやけど…」「両足不随意運動あるが、注射・頓服要求せず」と不穏の状態であったことが看護記録にある。このような状況では、野津純一に対して単独外出を許可することは通常であれば考えられず、少なくとも医療スタッフが付添をする必要があった。平成17年12月6日の単独外出許可は過失である。

(3) 事件発生に気が付かなかった過失

いわき病院長渡邊朋之医師の病院管理監督者および精神保健指定医としての非常に杜撰な対応振りは、矢野真木人殺害事件当日の12月6日に、自身の担当患者である野津純一が殺人事件の加害者である可能性にすら全く気付かなかったところにある。野津純一は、事件翌日の平成17年12月7日でさえも普段と同様に安易に外出許可されており、その途上の外出中に警察によって身柄を拘束された。

いわき病院は、野津純一が返り血を浴びた手をポケットに隠して帰院し、自室で洗い流したことにも全く気付かなかった。事件当日の夕食と翌日の食事を続けて摂らなかったことに注目さえしていない。夕食を勧めた職員に対して、野津純一は「警察が来たんか?」と発言したが、その異常性に気を留めないばかりか、返り血を浴びた服で事件翌日も野津純一が単独外出をすることを禁止しなかったのである。

(4) いわき病院の「40回以上の外出に関する主張」は虚偽

いわき病院は「過去に40回以上外出しても問題がなかった患者である」と「野津純一に外出許可を与えた判断に誤りはなかった」と主張してきた経緯がある。いわき病院が主張した「問題がなかった過去40回以上の外出記録」は、いずれも付き添い付の外出の記録であり、いわき病院は自らの主張の根拠となる、単独の外出記録を提示することができていない。

野津純一は矢野真木人を殺害後直ちにいわき病院に帰院して自室で休息していたが、いわき病院は2時間以上その存在に気が付かないままで放置していた。いわき病院は患者の日々の状況の変化に全く関心を払わずに、漫然と野津純一に外出許可を与えていた。いわき病院は「野津純一の単独外出は安全で問題なかった」と主張することはできない。12月6日の単独外出許可は過失である。


【III いわき病院の不法行為責任】

16. 原告に対する誹謗中傷

いわき病院の論理は根拠とする原典を正確に引用せず、根拠を示さず、原告の主張や意見を意図的にねつ造するなどの虚偽および誹謗中傷が認められ、著しく不正義である。

いわき病院は意図的に原告の意見をねつ造して、あたかも原告の主張に間違いがあるかの如く主張しているが、原告がどこでそのような主張や記述したかを提示していない。いわき病院は原告に対して誹謗中傷を行った。言われなく原告を陥れる意図があり、非常に悪質である。これは司法資格を有するいわき病院代理人が関与した原告の言論に対する重大な侵害行為である。

原告は以下の項目について、一切の主張はしていない。

  1. 原告は、「野津純一は措置相当」と主張した事実はない
  2. 原告は、「タバコの火が消えるまでの根性焼き」があったと主張した事実はない。
  3. 原告は、いわき病院が第4準備書面で言及した「野放し」論、を主張した事実はない。
  4. 原告は、いわき病院が第4準備書面で言及した「精神障害へのアンティスティグマ研究会(代表世話人:SK)」、および、「患者の暴力に対する固定観念に関して注意すべき8つのポイント」に関して承知せず、関知せず、言及した事実もない。

17. 任意入院と自傷他害の可能性

いわき病院は、精神保健福祉法の「措置入院」と「任意入院」の別による外出許可の運用に関する制度理解に間違いがある。いわき病院が精神科専門医療機関であることや主治医である渡邊朋之医師が精神保健指定医であることを考慮すると、関連法制度を十分に理解していないことは重大な過失である。

(1) 原告は措置入院相当と主張した事実はない

いわき病院は第4準備書面で『(2)原告は、自傷他害のおそれある状態について、「野津の過去の傷害、暴行から措置相当」と主張するが』と述べているが、原告は「野津純一は措置相当」と断言して主張した事実は一切ない。

(2) 外出制限と喉の痛みと頭痛

いわき病院は第2準備書面のIの[被告以和貴会の主張]の3で、「外出制限、保護室隔離等の行動制限は、少なくとも精神運動興奮による他害(殺人に限られない)の可能性が認められなければ、精神保健福祉法上違法となる可能性が高い。また、仮に外出を禁止できたとしても、病棟内で他の患者、主治医を含めた医療スタッフを衝動的に襲うことを確実に事前に回避することも容易ではなく、結局は、広い意味での他害防止のためには隔離制限しかないことになるが、そのような強度の行動制限の判断を、本件のような喉の痛みと頭痛で下すことはできないと考えられる。」と主張した。

野津純一は事件前日の12月5日は37.4度の熱発があり、また事件当日の精神状態からすると、「作業療法士等の医療スタッフが付き添った上での外出許可」、もしくは「1日だけの行動制限」という運用が検討されて当然であった。

いわき病院の主張に従えば、治療目的の外出ではなくていつでも一人で全く自由な外出が行われるか、それとも、一挙に強制的な隔離制限かという極端から極端に走る処置と運営となり、そのことがそもそも人権侵害となる。

(3) 「任意入院患者」に自傷他害の可能性を診察しない過失

いわき病院は「野津純一は自傷他害が考えられない任意入院患者である」と第2準備書面で主張した。

この主張は、精神保健福祉法第36条第1項および第3項、同法第37条第1項および第2項、および「精神保健及び精神障害者福祉法に関する法律第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準」(昭和63年4月8日厚生省告示第130号)の第五「任意入院者の開放処遇の制限について」に、いわき病院は精神科専門病医院であり同病院長渡邊朋之医師は精神保健指定医であるにもかかわらず違反している。

このような知識不足と認識間違いは、精神医療専門機関としては明確な過失である。


18. 児童思春期心のケア病棟の有名無実

野津純一を入院させていたのは児童思春期心のケア病棟であるが、実際の入院患者の状態は病名も病状も多種多様であった。加えて、その病棟のナースコーナー(ナースステーションではない、いわき病院独自の呼称)には看護師が常駐しておらず、エレベータの暗証番号を事前に教えられていた野津純一は、誰憚ることもなく自由に外出が可能であった。これはもはや精神科専門病院の病棟ではなく、単なる宿泊所のレベルである。

(1) 第2病棟は老人性痴呆疾患治療病棟であった

いわき病院のホームページによれば、第2病棟は「ストレスケア病棟」と表示されているが、実態は老人性痴呆疾患病棟であり、病院機構表記と運営の実態が乖離していた。

(2) 国際法律家委員会の勧告に抵触した病院経営をした過失

いわき病院は自らの意思で「国際法律家委員会レポート」を本裁判の指導基準書として提出したが、その中のわが国の精神医療に対する改善勧告では、『精神障害者と認知症患者を混在して入院させる「病院資源の浪費」の実態を改善するよう』厳しく指摘されている。

いわき病院は、ストレスケア病棟である第2病棟に認知症(老人性痴呆症)患者を主として収容して、児童思春期心のケア病棟を併設して統合失調症患者である野津純一のような精神障害者の混在治療を行うことは、病院資源の浪費という側面の過失である。

(3) 第2病棟の児童思春期心のケア病棟

アネックス棟の三階は「思春期心のケア病棟」と表記されていたが、いわき病院の実際の運営上は、第2病棟の一部として運用されていた。36才の野津純一は「思春期心のケア病棟」に入院し、この病棟にはナースステーションならぬナースコーナーが設置され、しかも常駐の看護師は配置されていなかった。これは精神科病院の管理運営上のいわき病院の意図的かつ組織的な過失である。


19. 診療録とレセプトと裁判証言が一致しない過失

いわき病院の診療録の記録と第3準備書面で提出した記載が一致していない。これは、診療録の虚偽記載もしくは裁判での偽証証言のいずれかの過失である。

(1) 清書を求めたら虚偽が発覚した

原告はいわき病院の診療録の記載が不鮮明であったために清書を要求したが、これに対して、いわき病院から原告が要求してない部分の記載を変更した第3準備書面が提出された。その内容は、いわき病院の意図的な虚偽証言が存在することを示す証拠である。

(2) 診療録とレセプトおよび第3準備書面の記載が矛盾する

抗パーキンソン薬の処方に関して、診療録(平成17年11月30日)とレセプトでは突然中断した記録になっているが、第3準備書面(8月21日差し替え分)では抗精神病薬を中止して抗パーキンソン薬を継続していた。いわき病院の証言は診療録およびレセプトの記録と矛盾する。

本裁判における本質的な問題は、いわき病院が野津純一に対して実際に行った治療は「診療録とレセプト」に記録されたものであったのか、それとも第3準備書面でいわき病院が証言したものであったのかというところにある。前者の場合は本裁判で虚偽証言をしたことになる。後者の場合「診療録とレセプト」の記録と一致しておらず、保険医として不正である。

いずれの場合でも過失であり、本裁判でどちらであるかが確定されなければならないが、いわき病院の過失と違法性は確定的である。


20. 二重請求などの違法行為をした過失

いわき病院は、平成17年11月21日以降の診療録の記載と第3準備書面で証拠提出した同期間の投薬記録の記載が異なる他、作業療法に関するレセプト請求が重複しているなど、診療報酬の二重請求などの不正が存在する。

いわき病院は野津純一に対する医療に関連して、解っているだけでも以下の通り、診療報酬の不正請求を行った。

  1. いわき病院における効果が無く治療に活かされない、SST(社会生活技能訓練)やOT(作業療法)および心理教室などは、本質的に保険点数の請求を目的にして行われており不正である。


  2. いわき病院が行ったOT(作業療法)は、野津純一に関して少なくとも4回(平成17年6月2日、6月23日、6月30日、8月4日)の重複記載があり、レセプトも重複して請求されており、不正がある。


  3. いわき病院長渡邊朋之医師は野津純一の主治医として平成17年11月22日にプラセボ投薬を指示したが、これはインフォームドコンセントを無視しており、本来違法な治療行為である。


  4. 第3準備書面(8月20日付、8月21日差し替え分、共通)による処方が正しいといわき病院が主張するならばノーマルン(抗うつ薬)を不正に保険請求したことになる。

21. 医師法等の法令違反

いわき病院および主治医渡邊朋之医師は以下の通り医師法等の法令違反を行った。いわき病院および主治医渡邊朋之医師のずさんな医療行為の結果として矢野真木人は命を失うに至り、野津純一は社会的生命をほぼ絶たれたのである。いわき病院および主治医渡邊朋之医師の法令違反の過失責任は重大である。

  1. 医師法 第1条:「医師の職分」
    (医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。)
    ※ずさんな医療行為の結果、健康な若者の命と、患者の社会的生命が失われた。


  2. 医師法 第17条:「非医師の医業禁止」
    ※医師の診察なしに、看護師の判断で処置(トロペロン等の注射)をすることを命じていた。


  3. 医師法 第19条:「診療義務」
    ※12月6日に野津純一から診察の要請があったのに診察拒否した。


  4. 医師法 第20条:「無診療医療の禁止」


  5. 医師法 第23条:「診療方法の指導義務」
    (医師は診察をしたときは本人またはその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない。)
    ※平成17年11月21日、23日、30日に、患者への説明と同意、インフォームドコンセント無く処方変更した。


  6. 医師法 第24条:「診療録」
    (医師は診療したときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない)
    ※平成17年11月21日から12月6日まで、患者への説明から同意するまでのプロセスを診療録に記載しなかった。
    ※処方変更した日とされる平成17年11月23日の診療録記載がない。
    ※患者が処方変更に絶対同意しなかったことを認識していながら(警察供述調書(検察官番号甲53)、診療録にそのことを記載していない。
    ※煙草の火による火傷に関する記載が全く無い。火傷日時記載義務違反。


  7. 医療法 第15条:「管理者の監督義務」
    ※(1.病院または診療所の管理者は、その病院または診療所に勤務する医師、歯科医師、薬剤師その他の従業者を監督し、その業務遂行に欠けることのないよう必要な注意をしなければならない。)


  8. 精神保健福祉法第36条第1項および第3項、同法第37条第1項および第2項
    ※「精神保健及び精神障害者福祉法に関する法律第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準」(昭和63年4月8日厚生省告示第130号)の第五「任意入院者の開放処遇の制限について」違反。

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