いわき病院事件裁判結審前の攻防
(法廷論争でどちらがトリを取るかという熾烈な争い)
平成24年12月21日の結審法廷報告をします。なお、いわき病院事件裁判の判決は平成25年3月27日(水)13時10分から高松地方裁判所で行われます。事件発生から7年3ヶ月余で、民事裁判を提訴してから6年9ヶ月です。私たちは、判決の後に続くであろう、次なる更に困難を極めるであろう展開を覚悟して地裁判決に臨みます。
◎結審法廷報告
原告側鑑定(C意見書II、デイビース医師団意見書II、及びE意見書)の提出を受けて、KMいわき病院代理人は平成24年11月30日の法廷で「A鑑定人は再々鑑定意見書を提出する意向である」と述べたため、裁判長は提出期限を結審法廷の一週間前(12月14日)とするよう指示しました。しかし14日にKMいわき病院代理人は上申書を提出し、提出日を18日とする様に延期要請をしました。この状況では、いわき病院は当然のこととして18日に文書の提出を全て終了するべきでした。
KMいわき病院代理人は12月18日に「第13準備書面」(87ページ)を提出しましたが、A鑑定報告書(III)は提出されず、第13準備書面で引用があった札幌地裁(平成24年2月20日)判決の資料添付もありませんでした。これを受けて原告矢野は19日に(A、いわき病院第13準備書面に対する反論)及びかねて準備してあった(いわき病院事件結審法廷最終意見陳述:http://www.rosetta.jp/kyojin/report71.html)を提出しました。そしてMM矢野代理人の準備書面の最終的な文言の調整協議を行い、私たちはMM矢野代理人準備書面の提出を以て21日の結審法廷前の全ての文書合戦は終了すると考えました。
ところが、前日20日の午後1時過ぎに、KMいわき病院代理人から「A鑑定報告書(III)」(12ページ)及び「札幌地裁(平成24年2月20日)判例」(56ページ)が提出されました。札幌地裁判例は個人名が全て黒塗りにされたうえ識別記号もなく、文書の筋と論理の解読が極めて困難になっており、結審法廷が開廷する24時間前にこのような合計68ページの証拠提出を行う意図に、原告矢野がタイムアウトで反論を提出できないことを見越した悪意が感じられました。私たちは、20日の夕刻までに矢野啓司がA鑑定報告書(III)に対して、矢野千恵が札幌地裁判例に対して反論骨子を作成することにして手分けして作業を開始し、とりあえず20日18時には、MM矢野代理人に反論骨子を送り、翌朝8時までに反論文を作成して、反論書原本2部を製本して完成させました。そして、原告矢野側は矢野作成の反論書及びMM代理人準備書面を9時の始業と共に裁判所に提出する作業を行いました。
KMいわき病院代理人は東京在住ですので、原告矢野が全ての反論文書を提出した時点では移動中だったはずです(KMいわき病院代理人が裁判所に到着して始めて原告側反論文書の存在を知ったとしても、この遅延は私たちの責任ではありません)。結審法廷の開廷は13時40分で、13時頃には関係者が法廷ロビーに集合しました。矢野啓司はKMいわき病院代理人に近づき、「昨日は、膨大な文書を開廷24時間前に提出していただき、驚きましたが、きちんとボールは打ち返させていただきました、久しぶりで、大至急の作業を楽しみました」と話しかけましたら、KM弁護士は「え?」という反応でした。「この数日は大変だったけど、言論戦ではトリは必ずこちらが取ると覚悟しておりました。それにしても、大ページ数の文書を準備して、17日署名のA意見書(III) と2月20日の判例を結審法廷の前日に提出するとは、意地が悪いですが、私たちはそんな小手先の戦術には負けません」
(1)、いわき病院第13準備書面に対する反論(12月19日提出)
前提:「コピペ」の準備書面
いわき病院第13準備書面は、これまでのいわき病院答弁書及び準備書面、裁判所争点整理案、及びA鑑定書(I)及び同(II)から、いわき病院に都合が悪い箇所(プラセボ効果は持続しなかった事実や、パキシル中断の注意書き危険情報など)を削除して「コピペ」(Copy & Paste:複写と貼り付け)したものである。いわき病院の主張はこれまで行った論点の繰り返しであり、事実関係の解明や論理の追加はない。いわき病院は既に主張と論理に行き詰まっており、これ以上の審議を継続する必要性を見出せない。従って、今回をもって、結審とすべきである。
以下の指摘におけるページ表示はいわき病院第13準備書面に基づく。
1、カルテの誤記と診察日付変更(P.4)
主治医である渡邊医師の診察日の記録が「12月3日を11月30日」、また「11月30日を11月23日」の誤記であったことを、いわき病院は確認した。
上記に基づいて、以下の記述は失当である。
- 「12月3日の渡邊医師との面接ではそのような身体的変化・異常は認めていない」(P.7)
- 「12月3日、渡邊医師の面接」(P.32)
- 「12月3日、渡邊医師の面接」(P.42)
(注:いわき病院は「面接」の用語を用いて、「診察」はしなかったが「面接」をしたと主張したいようであるが、診療録に記載が無ければ、主治医の医療行為が行われた事実を証明することができない)
2、『いわゆる「根性焼き」が本件事件前に存在しなかった』とする論理(P.7)
渡邊医師は野津純一の主治医であり、医療は医師の主導で行われるものである。いわき病院は渡邊医師が診察を行った事実がない「12月3日の渡邊医師との面接」を根拠にして根性焼きが存在したことを否定したが、失当である。いわき病院の弁明の基本となる主治医の診察が虚偽である事を元にすれば「顔面に負ったたばこの火傷であり、それも一度でなく数回となると、いわき病院の職員が誰もこれについて確認していないのは全く不可解である。本件犯行の起こる1週間前に主治医の渡邊だけでなく、病棟職員、外来看護師など多くの人が野津純一を見ているが、そういった顔面の傷は全く確認していない」の記述も虚偽である。そもそも、11月30日以後に、主治医は野津純一を診察していない。更に、いわき病院職員の記述の正当性は、医療記録から確認できない。
いわき病院の主張は、いわき病院の医療と看護が患者の顔面を観察しない劣悪な状況であったことを逆に証明する。
3、歯科カルテ記載と野津純一の暴力行動(P.9〜10)
いわき病院は「身体拘束具」の使用の有無にこだわっているが、本質は歯科で野津純一の暴力行動可能性を察知して暴力の発現を未然にすべく用心していたか否かである。また、いわき病院の主張は、カルテの記載が事実でないと主張しており失当である。いわき病院の主張に基づけば、いわき病院の医療記録の記載は事実でなく信頼できないことになる。
4、本件争点について(P.11〜12)
「パキシルの中断」が欠落している。裁判所が争点整理案(平成22年7月9日付)を作成した時点では、いわき病院は「パキシルを継続投与していた」と主張しており、中断した事実を公開したのは平成22年8月7日の人証時であった。いわき病院が「本件の争点」を記述する時点は平成24年12月21日であり、「パキシルの中断」を争点から除外することはできない。重大な事実を考察しない論争に価値はない。
5、一般の精神科病院であるいわき病院(P.12)
「一般の精神科病院」という判断基準はそもそも存在しない。いわき病院の詭弁である。いわき病院と渡邊医師が適切な医療を実際に行っていたか否かの問題であり、医療に二重基準を存在させてはならない。一つの病院で適切でないと判断される医療は、他の病院でも不適切である。
6、アセスメントツール(P.13)
いわき病院は「百発百中というような完全な予測」を問題にしているが、問われているのは、危険性を予見した医療(患者の病状予測とそれに基づく治療的介入)を適切に行ったか否かである。そもそも、全ての医療行為は100%の確実性で議論できるものではないが、医療的エビデンスを否定してはならない。いわき病院の論理は無理難題の部類に属する。このようなエビデンス無視の主張を行うところに、過失を発生させた要因がある。
いわき病院はA鑑定人の鑑定理論を長々と引用しているが、誰もA教授の理論を問題にしていない。いわき病院の過失に関係する事象は、いわき病院が行った医療事実である。
7、入院後の経過(P.13)
いわき病院は平成16年10月1日以降の入院経過を元にして過失を否定しているが、原告矢野は平成17年11月23日以降の大規模な処方変更後の医療と看護に過失があると指摘している。いわき病院の主張は弁明に値しない。
8、紹介元の医療機関と情報(P.18)
いわき病院の放火暴行履歴情報の取得に関する問題は、患者家族が行った入院時の説明と、自病院が所持する患者の自傷他害に関連する過去現在の情報すら十分に調査検討しないところにある。自ら持つ情報を精査することは、他の医療機関に情報を請求する以前の問題である。他の機関に問い合わせする問題に関連して、主治医の医療知識及び自病院内の不作為を弁明することはできない。
9、慢性期の統合失調症患者の問題(P.19)
いわき病院は「仮に熟練した精神科医が診察していたとしても、その精神症状の変化を察知することは困難である」と主張したが、「精神科医が診察していないこと」が本質的な問題である。大規模な処方変更で、危険性の亢進が予想される状況で、主治医が患者を診察もしないことは不作為であり事件を発生させた本質的な問題である。精神科専門医でありながら、精神症状の変化を察知することは困難として、診察も治療的介入も行わないのであれば、精神科専門医ではない。
10、統合失調症の診断(P.20〜25)
指摘している問題は、統合失調症の診断理論や診断基準ではない。渡邊医師の統合失調症の診断が不安定であったところにある。その事実は、記録に残されている。A鑑定人も「診療録に渡邊医師が統合失調症と診断した旨の明確な記載はない」(P.24)と鑑定した。渡邊医師は統合失調症の診断が不安定なままで、定見無く抗精神病薬を中止し、経過観察を怠ったところに、過失を発生させた原因がある。「統合失調症という診断が適切になされ、その診断に基づいて統合失調症に対する適切な治療が行われていれば、過失を問われるべきでは無い」(P.25)の記述は、渡邊医師に過失があったことを証言するものである。何とならば、適切に診断せず、そもそも大規模な処方変更の後で適切な治療(中止後管理)を行った事実を証明することができない。
11、反社会性人格障害の診断(P.25〜31)
問題は診断理論や診断基準ではない。また反社会性人格障害と診断名を付ける問題でもない。野津純一の放火暴行履歴と自傷他害の可能性を主治医が認識したか否かである。反社会性人格障害の診断を行う必然性が無いとしても、独自の診断理論に基づいて、野津純一の過去履歴を無視した精神科医療を行ったところが問題である。なお、渡邊医師は、事件後に「反社会性人格障害と診断できる」と主張した事実があり、診断論理にそもそも矛盾がある。
12、抗精神病薬を中止した過失(P.31〜37)
抗精神病薬中止の仕方と中止後管理を怠った点が問題である。いわき病院は12月3日には行われていない主治医渡邊医師の診察が行われたものとして弁明しており、失当である。本項におけるいわき病院の主張は事実と虚偽の判別ができない。12月5日に行われたとされる内科MO医師の診察も「風邪の診察にしては喉の観察記録が無いなど、記述内容がMO医師の行動様式とは異なる、風邪薬を投薬した後付けの記述で、診察が行われなかった可能性がある」と指摘する内部情報がある。
(注:原告矢野は法廷審議の過程で何回もMO医師が直接証言するように誘導したが、いわき病院は、MO医師を決して前に出そうとしなかった事実がある。)
13、レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)大量投与(P.37〜38)
レキソタンの奇異反応に関してはA鑑定(I)に従う。なお、ベンゾジアゼピン系薬剤は統合失調症の陽性症状を悪化させることがあり、大量投与に変更後は経過観察を欠かせない。本件でも事件直前に野津純一は病院内で「いつもと異なる父親の悪口の幻聴」が発現していた。
(注:原告矢野がレキソタンの奇異反応及びCPK値でアカシジアを診断した問題を指摘し薬事処方の矛盾等を厳しく追及したことから、いわき病院は平成17年11月23日から実行した大規模な処方変更《抗精神病薬プロピタン、抗うつ薬パキシル、アカシジア治療薬アキネトンの同時に突然中断》を最終的に認めるに至った。その意味で、レキソタンの奇異反応を指摘したことは、精神医学的には過失を追究するまで至らなかったが、法廷審議の過程では重要な一里塚であった。また、大規模な処方変更が野津純一の攻撃性の亢進に関与したと指摘した論理は正しかったのである)
14、アキネトンに代えたプラセボ(P.38〜39)
原告が指摘しているのは、プラセボテストをして、主治医が効果判定を行わず、漫然とプラセボ投与を継続した事実である。プラセボと銘打った以上は、適時に実施される主治医の診察と評価が必須である。看護師の一時的な記述をもって、プラセボ評価を行ったことは、医師法違反である。
15、病棟機能の無視(P.39〜40)
問題は、野津純一の転棟手続きでもなく、病棟の許認可基準でもない。第2病棟とアネックス棟の機能が痴呆病棟と精神科病棟が混在した事実である。「開放病棟である第2病棟」という記述は正確でなく、事実を隠蔽した誘導である。
16、処方変更の効果判定(P.40〜44)
いわき病院は12月3日に渡邊医師が面接したことにして回答しているが、主治医の診察は事実ではない。医療スタッフのチーム医療の記述があるが、処方変更を行った事実を周知しておらず、渡邊医師から指示も出されていない。本項の記述は虚偽である。
17、患者管理上の過失(P.44〜48)
第2病棟とアネックス棟の機能を混合した弁明である。病棟の設置基準は問題では無い、患者が日中であれば自由放任で持ち物の検査も行われない事実を認める弁明として、「犬が鎖につながれる」とか「猛獣的な気持ちの職員」とか原告の発言をねつ造して誹謗中傷したが、このような非人道的な表現が行われるところにいわき病院の実態がある。
18、本件犯行当日の診察(P.48〜49)
野津純一の診察要請を拒否したことが問題であり、「後から診察する」また「代わりの「医師が診察する」などの配慮が無く、心のケアが無かった点が、問題である。
19、単独外出の過失(P.49〜50)
任意入院患者の外出管理の一般論では無く、暴力行動の危険性が亢進する可能性がある大規模な処方変更後の患者管理に不作為があったところが問題である。
20、措置入院それとも開放医療で自由放任(P.50〜51)
大規模な処方変更後に任意入院を理由にして必要な患者管理をしなかったことが問題である。また開放医療を理由にして医療介入を行わないことも不作為である。自治体の監査の問題では無い、患者に対する精神科医療の実態が伴わないところに過失がある。措置入院の問題は、原告の指摘に対していわき病院が議論を「措置入院該当ではない」と誘導した問題である。原告は任意入院患者に対する適切な医療であったか否かを問題にしている。
21、過失と損害の因果関係(P.51〜53)
いわき病院は『プロピタンを中止したが、その代わりに「不穏時にトロペロンの筋肉注射」の指示をし、ふるえたるときにはアキネトンの注射と焦燥感があるときにはセルシンの注射指示に換えている』(P.51)と主張したが、指示記載の事実は、渡邊医師に異常発生の予見認識があった証拠であり、主治医は自ら診察する義務があった。しかるに渡邊医師はカルテの方針に留めており、仮に看護師が指示を実行していたら医師法違反である。
いわき病院は「刑事裁判の判決で、本件犯行が病気でなく野津純一の気質によるものであることが明確に認定されている」(P.52)と記述しているが、いわき病院引用部分では「完全な心神喪失ではなかった」ことが明らかにされただけで、いわき病院が主張する「病気は関係ない、気質によるもの」と認定していない。なお、いわき病院が野津純一の気質によるものであると主張するのであれば、精神科医療機関として野津純一の放火暴行履歴を調査するべき必然性を認識できたが、義務を果たさなかったことになる。
平成17年11月23日に実行した、他害の危険性を亢進する可能性が高い大規模な処方変更(プロピタン中断、パキシル中断、アキネトン中断)と、その後に主治医が患者の診察と観察を疎かにしたことと、治療的介入を行わなかったことが、因果関係を構成する。一般的な症状の問題では無い。患者の個別の問題を、一般論で議論することはできない。刑事事件の判決はいわき病院を免責する理由とはならない。
22、パキシルの中断による過失
いわき病院はパキシルの中断による自傷他害の危険性が亢進する問題を議論していないが、いわき病院の過失を導いた重要な問題である。そもそも、渡邊医師が野津純一の放火暴行履歴に無関心で、病院内で発生した暴行事件から野津純一の行動の障害を検討しなかったことが問題の根源にある。その上で、暴力行動が発現する危険性を無視した精神科医療を行い、重大な処方変更を平成17年11月23日から実行して、診察と治療的介入を行わなかったのである。なお、渡邊医師は薬剤の添付文書に記載された危険情報を知らなかった、知る必要は無い、と主張するが、精神保健指定医として非常識かつ不作為である。
23、A鑑定意見に対する原告らの批判に対する反論(P.54〜84)
本項の精神医学的鑑定論争は精神医学・精神医療の専門家として医師と医師、大学教授と大学教授が行う問題であり、いわき病院側A鑑定人及び原告側鑑定人(B鑑定人、C鑑定人、デイビース医師団鑑定人、D鑑定団F鑑定人、E鑑定人)の間で、専門的な議論が行われてきた。少なくとも誠実に精神医学に貢献する医学的な妥当性の議論がある。
A鑑定意見書(II)に対して、原告側からC鑑定人、デイビース医師団及びE鑑定人が再反論を行った。これに対して、KMいわき病院代理人は11月30日の法廷で「A鑑定人が再々反論を行う旨」発言した。最初の反論期限は12月14日であり、KMいわき病院代理人の申し出により18日まで延期された。学術的な反論を行う資格者はA鑑定人であり、原告側鑑定人はA鑑定人の意見を待っていた。本件訴訟には精神医学的にも方向性の観点から重要な課題がある。今回のKMいわき病院代理人の論理には、「あと知恵」などの言葉を用い、鑑定内容を甲原告があらかじめ誘導した印象を裁判官に持たせようとする意図が認められて、断片的に自己理論に都合の良いところだけつまみ食いした要素があり、本件裁判を通して精神科医療の発展を期待する立場から残念なところがある。
これまでの鑑定意見は、臨床経験の中で立場や考え方は違うにせよ原告側・いわき病院側共に精神医療に携ってきた精神医療関係者として他の鑑定意見人に敬意を払い議論が行われていた。鑑定を行うには限られた情報を、後方的にしか検討するしかなく、そのために解釈や捉え方が異なることをも前提として、その情報の解釈について議論が行われていた。鑑定人は共に精神医療に貢献することを課題としている。悪意を以て鑑定者を偏向しているかのように印象付ける行為は、誰も行っていない。学識者としての良心に反するからである。という意見がKMいわき病院代理人に対してあった。
24、英国(UK)最高裁ラボーン事件裁判(P.83)
KMいわき病院代理人は英国ラボーン事件裁判が本件の参考事例とならないと主張したが、デイビース医師団鑑定人は精神障害者が介在した事件で5%の危険率でも病院側の責任を認定した人命損耗率の推計を例示することで、いわき病院が主張した外出許可者が行う80%から90%の殺人危険率という人命を尊重しない「高度の蓋然性」の論理をたしなめる意図で参考資料として提出したものである。野津純一の他害の可能性は、過去の野津純一本人の発言の問題ではなく、渡邊医師が11月23日に行った大規模な処方変更とその後の治療に直接関係する。過失責任を追究する論理は一般論では無い。個別具体的な治療経過と事実に基づいた責任論である。KMいわき病院代理人の論理は当て外れである。
25、参考判例(P.84〜86)
いわき病院第13準備書面は平成24年12月18日の15時過ぎに原告側関係者に伝達された。裁判期日は12月21日であることを考慮すれば、参考判例は第13準備書面と同時に原告側に伝達されなければ(仮に、事後に提出されたとしても)、原告側としては内容を検討して意見を出すことができない。従って、本犯行判例は失当である。
ところで、札幌の事例に関するKMいわき病院代理人の要約は、医療の実態に具体的な言及がない、制度論と統合失調症患者に関する一般論である。また、精神障害者の刑罰の軽重と治療していた病院の過失責任は別問題、別論理であり、混同してはならない。KMいわき病院代理人の説明では札幌の事例が本当に「当該医療措置が医師の裁量に委ねられた範囲を逸脱した場合」(P.86)であるか否かの判断はできない。本件高松の裁判でもKMいわき病院代理人の主張はいわき病院の医療事実に関連の無い議論を繰り返している。渡邊医師はKMいわき病院代理人が指摘する通り「薬物治療により症状のコントロールが容易になった」(P.85)にもかかわらず、主治医が薬物療法で混乱して、大規模な処方変更を行い、その後の経過観察も診察も治療的介入も行わなかったが、この事実には不作為と錯誤と怠慢があり、過失構成要素である。KMいわき病院代理人の論理は具体性を欠いており、本件の参考として該当する解説になっていない。札幌では過失責任が否定されたから、高松でも同様という素朴な論理は法廷の議論にそぐわない。
26、結論(P.86)
いわき病院の論理及び結論に妥当性がない。
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