無差別殺人にいたる高度な蓋然性 (刑法第39条の心神喪失者等無罪から発した非情な論理)
平成23年1月15日
矢野啓司・矢野千恵
息子矢野真木人が野津純一に高松市内のショッピングセンター駐車場で通り魔殺人されてから早くも5年が過ぎ、私たちの生活は裁判に開け裁判に暮れました。やっとのことでいわき病院を相手にした高松地方裁判所における民事裁判は終局に向かいつつあるようです。私たちがここまで戦い続けられた理由は「日本の精神医療をこのままの状態で放置してはならない」という私たち夫婦の確信と、沢山の方々からいただいたご理解、支援および励ましあってのことです。本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
1、いわき病院に協力する精神科医師
いわき病院は自ら推薦した精神科医師(氏名不明)の鑑定書を平成22年12月に法廷に提出すると言い、法廷も9月から12月20日まで3ヶ月以上の待ち期間を取りましたが提出できず、「医師の都合が悪くなったので、3月2日の次回法廷までに新しい鑑定者を決めたい」と弁解しました。いわき病院はカルテ提出を求められて「紛失した」と答弁し、原告側から「保存期限内の紛失ですよ」と指摘されて「倉庫を調べている」と回答変更をしましたが、いったいいつまで探すのでしょう。更には、新たに法廷に提出した証拠には「警察が事件直後に押収した同一の証拠から改竄がある」と原告に指摘されました。するといわき病院側から「その警察押収資料はどこにある」と聞いてきました。仮にいわき病院の要請を受けた鑑定者が現れても、いわき病院から渡された証拠をもとにして作業をすれば、原告から「事実確認の間違い」を指摘される可能性が高いでしょう。私どもに協力している精神科医師は「高額の報酬を支払っても、書く人はいないだろう」と言います。
私たちは平成22年10月末にこれまでに判明したいわき病院において野津純一に行われていた精神科医療の事実を元にした、副題を「市民の生命保全と精神医療を両立する課題」とした意見書(http://www.rosetta.jp/kyojin/report56.html)を提出しました。そして私たちに助言して下さった沢山の精神科医師や精神医療関係者および協力者の言葉を、氏名を特定されない配慮をして記述しました。私たちは原告側の鑑定医を募集しましたが、新たな精神科医師の協力者も現れました。しかし継続して協力者の名前は公表しないこととします。沢山の専門家が「いわき病院に見られた実態は、日本の精神科医療では全てではないが限られた一部の事例ではない」と言います。またいわき病院を擁護する医師と精神医療機関は沢山存在します。私どもに対して「5年も頑張ったのだから、そろそろ裁判を降りなさい。いわき病院をこれ以上批判してはいけません」と忠告する人もいます。しかし、私ども原告側が協力者を公開できず、被告側のいわき病院が鑑定者を得る事が困難であるところに、この裁判の特殊性があると言えるでしょう。
2、入院患者に診察拒否をする主治医
いわき病院は平成22年12月20日の法廷で「いわき病院に法的責任を問うことはできない」と主張しました。いわき病院は野津純一が「顔面左頬にタバコの火で自傷した根性焼き」と「苦しみ抜いた我慢できないほどのアカシジア(イライラ・ムズムズ・手足の振戦)」という重大な症状を無視して「病院に責任は無い」と主張しました。いわき病院では入院患者野津純一の診察は一週間に一回以下の頻度でしか行われず、苦しみながら「先生、診察を!」と願い出る入院患者に主治医は診察拒否しました。「患者顔面の瘢痕や薬の副作用による苦しみ」を診察しない医療には驚くべき怠慢と過誤がありました。
3、10人の内8人以上が殺人する高度な蓋然性
いわき病院は「精神科病院に過失責任を問うには、結果に対して80〜90%の統計的蓋然性がなければならない」と主張しました。野津純一は精神科いわき病院の入院患者で、社会復帰を目的とした許可外出中に見ず知らずの矢野真木人を刺殺しました。裁判の課題は軽い傷害や迷惑行為ではなく、実行された殺人です。いわき病院は「統計的に80〜90%の蓋然性」とは「10人の外出許可者の中で8人〜9人が殺人する頻度」と主張しました。仮に統計的に50%の蓋然性でも更には10%でも、社会としては許容できない頻度の「連続殺人事件」が発生します。仮に殺人が1%でもその背景には何倍もの殺人未遂があり、更に桁違いで大量の傷害事件が存在する筈です。巷に大量の殺人や傷害事件が発生しても「精神科医療に怠慢と錯誤がある病院に責任を問うことは間違い」と主張し、これに対して社会は責任を問わず対策をとれない論理です。このような主張を精神科医師と代理人の弁護士が、非常識と思わず、法廷で正々堂々と行ったことに驚きました。
精神障害者が実際に殺人行動を取ることは極めて希な事例です。それは健常者の中で殺人者となる事例が極めて希であることと同じ社会常識です。そもそも殺人は社会が許してはならない極めて珍しい行動です。それを「統計的に80〜90%殺人する蓋然性が無ければ責任は無い」と主張するところに、社会から信頼を得て、公的経費助成を受けて活動をしている精神科医療機関の「人命を尊重せず、社会規範から逸脱した現実」を露わにしています。法的無責任能力という法律概念は間違っておりません。同時に生存権は日本国憲法で保障された基本的人権です。刑法第39条第1項「心神喪失者の行為は、罰しない」が日本の社会にもたらした現実は、市民が命を奪われることに関して、それを当然として顧みない、基本的人権をないがしろにした精神医療と法曹界という業界の非常識です。
いわき病院は医師法に違反した精神科医療を行いました。また入院中の精神障害者に対する外出許可は、精神保健福祉法に基づいて、自傷行為を行っている患者に対しては「措置入院の対象とする」もしくは「一時的外出禁止」で対応することが可能で、またそうするべきです。そもそも殺人頻度を判断基準とすることが間違いです。それは殺人を容認し、殺人事件の発生を前提とする論理です。いわき病院には過失責任があります。
4、今後の展望
いわき病院との裁判は平成23年中には結審して判決に至って欲しいものです。残念ながら、現在のいわき病院は法廷論議の引き延ばしを行っております。しかし私たちは高松地方裁判所レベルでこの裁判が終結するとは考えません。地裁の判決は新たな展開の段階に至る折り返し点となるでしょう。
私たち夫婦は、息子矢野真木人を殺人した犯人の野津純一のご両親と協力しています。私たちは原告としていわき病院の責任を社会に明らかにして確定する覚悟です。これは「日本の精神医療の改善」、「日本における精神障害者の人権を尊重した精神医療の実現」、そして「健常者と精神障害者に平等に適用される普遍的人権の実現」が課題です。私たち夫婦は民事裁判を通して、日本の法治社会の課題として、この問題が社会に認知され、改善されることを願います。
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