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B、医療過誤の立証要素医療過誤は「医師の過失に起因する権利侵害であり、患者を治療する義務を負った医師がなすべきでなかったことをしたり、現在の医療行為から見てなすべきであったことをし損なったりすること」を意味し、立証要素は4つのD(義務{duty}、逸脱{deviation}、損害{damage}、直接因果関係{direct causation}の全てが存在すれば責任が認定される論理となります(カプラン司法公衆衛生、第57章、司法精神医学、P.1448:C医師提供)。通常の場合医療過誤は医師と患者の関係に限定されますが、本件は放火暴力既往歴がある統合失調症患者に重大な他害行為の発現を助長する可能性が高い処方変更をしたが、社団以和貴会及び渡邊医師は予見可能な他害(殺人)行為を回避しない精神科医療を行って重大な結果を招いたのであり、被害者に対する過失責任があります。 (1)、野津純一に対する治療の義務
(2)、野津純一に対する治療の逸脱
(3)、矢野真木人の損害
(4)、逸脱が直接に矢野真木人の損害を引き起こしたこと
C、矢野真木人に対する損害賠償責任義務(1)、損害の範囲
(2)、損害賠償責任者
(3)、損害賠償負担義務
1、市民生活と共存する精神医療A、矢野真木人の死(結果の重大性)(1)、親の涙長男真木人が通り魔殺人事件で命を失ってから私たち一家の生活は一変しました。それまでは1年に2回夫婦で海外旅行し、高知大学・高知医大留学生を支援する会、小学校の英語授業、日本語教師のボランティア活動、中国語クラスの友人や先生達との交流、ピアノ、生け花、自宅パーティーなどで人生を楽しんでおりましたが、事件以後は何も手が着かなくなりました。ボランティア活動やお稽古事は全て止めました。犯行と同じ形の包丁や、先が尖った包丁を見ると恐怖感が走るので、料理も以前ほどできなくなりました。ジャンパーを着た男性とすれ違う時には緊張します。包丁を手に隠し持っていないか気になるのです。人にも会わなくなり楽しかったもの全てに興味を失いました。クリスマスカードも年賀状も私的なものは全て止めてしまいました。眠れず、食欲が無く、更年期障害が突然出るようになって、精神科と婦人科に通いました。低血圧だった血圧が170になりました。精神科に4年通って、薬物療法の限界を感じ、体中が痛いので昨年からは整体に通っています。悲嘆の分かち合いをしようと、家族と死別した人の会にも行きましたが、事故死や病死で家族を亡くされた方から、「うちは事故死だから、殺されるよりはまし」とか「子供を亡くしたなんて、しかも殺されるなんて、これ以上の不幸はない」と言われることが度々で、返って傷ついてしまい行けなくなりました。ならば自助グループと思いましたが、不幸はそれぞれにちがいます。なかなか、被害者と言うだけで、一致できるものではありません。 あの日以来、何故、あの日、あの時、あの場所に息子を行かせることになったのか、今も自分を責めています。友人に「思っていたより元気そう」と言われると、「そんな不幸に逢って、何故まだ生きているのか」と言われたような気がしました。一人になると死にたい気持ちが心を占め、「今もう一人家族を失ったら、本当に生きてゆけなくなる。夫にとってもそれは同じ事」「この眼や腎臓、心臓、肝臓、肺を生きていたい誰かにあげられる?」と自問しては死にたい気持ちを抑えてきました。被害者は笑わないもの、被害者はいつも喪服のような服を着ているもの、と思われているらしく、5年近い今も「笑ったね」とか「明るい色の服ね」という言葉が非難されているように感じます。笑った後で「子供のことを忘れて笑ってしまった」と自己嫌悪するときもあります。夫はお酒が増えました。注意すると「酒ぐらい飲ませろ」と言います。快活だった人がよくため息をついています。「真木人が死んじゃったね」とぽつりと言って、それから夫婦の間に沈黙の時が流れます。真木人の代わりには誰もなれません。たった一人の大切な跡取り息子でした。真木人には永遠に会えなくなりました。真木人を思い出すと突然涙があふれ出て困ります。夫は事件の後タオルを運転席に置いていました。運転していてトンネルに入ると涙が後から後から出るので、ハンカチではびしょびしょになるのです。 (2)、矢野真木人の命の社会貢献矢野真木人は何の落ち度もなく生きる権利を奪われました。事件直後から私たちは心神喪失で犯人が罪に問われない可能性が高いことに悩まされ続けました。最も怖れたことは「犯人が心神喪失とされた場合には、事件の本質が解明されず、矢野真木人が命を奪われた教訓が社会に活かされることがない」そして「矢野真木人の命が無駄死に終わる」という喪失感と絶望です。 私たちは大切な息子の命を奪われた被害者だからこそ頑張り、薬剤師矢野千恵の知識と矢野啓司の国際的な経験から得られた知識と、精神医学に限定されない多分野の知恵の協力を得て、いわき病院の精神医療の怠慢を究明し、そこにある社会的課題を指摘してきました。私たちの努力には膨大な時間、労力と資金、そして多才な友人の支援も必要で、誰もができることではありません。「私たちがやり通さなければ、次に法廷で精神医療に関して議論して戦える被害者はなかなか出てこないだろう」という覚悟と使命感で裁判に臨んでいます。この事件と裁判をきっかけにして、日本で精神科医療事故の責任を解明して医療を改善する制度と機構を確立することに期待を持ちます。また法制度が改善されて、被害の喪失から誰でも回復可能な社会であって欲しいと願います。 私たちに対しては、精神障害者を支える家族からも支援の声が密かに届きます。この日本では精神障害者本人、その家族及び精神障害者の犯罪で回復不能な被害を受けた人々が社会の救いを求めているがこれまで見捨てられてきた実態があります。そこに光が当たることは、矢野真木人が、精神科開放医療の患者に通り魔殺人された事で可能となった、矢野真木人に残された唯一の命を代償とした社会貢献の道です。 B、健全な市民生活を約束する精神医療私たち夫婦がいわき病院と渡邊医師の精神医療の問題点を追究していることに関連した、精神科医師からの反応には共通するものがあります。「ご両親がご子息の命を大切にする心は分かります」と異口同音に言われます。その先の言葉の影には「しかし、精神医療には精神障害者の治療を行い、社会復帰を促進するという崇高な目的があることを理解して下さい」という気持ちが一様に含まれているように感じられます。私たちは精神医学の進歩と精神障害者の社会復帰の促進を心から願います。この裁判の目的は、市民生活の安全と市民である精神障害者の幸せを築く精神医療の改善を導く責任のあり方を問い、病院運営の改善を求めるものです。 社会の中で、精神医学関係者が背負う使命の重大さを否定する気持ちはありません。さらには、医療関係者が患者の救済に最善をつくしても、予測不能な突発的な事故が患者を襲う可能性が皆無ではないことも理解できます。それでもなお、「精神科開放医療は崇高な目的を持って行うものであり、それを促進する上で、一般市民に多少の犠牲がでるのは仕方がない」という論理が展開されるのであれば、強く異を唱えなければなりません。治療過程の事故に対する医療関係者の免責のためには、それまでに行った医療の無誤謬性の証明が必要です。この裁判を通じて私たちが求めているのは、このような検証を厳密に行う「制度と機構を整備する必要がある」という指摘であり、それが精神病治療を真の意味で発展させるために必ずプラスになると考えるからです。 精神科開放医療を促進すれば、市民の生命に犠牲が生じることは必然でしょうか。それを社会は容認しなければならないのでしょうか。残念ながら、このような常識が精神医療の専門家と法曹界の中にあると思われます。現実に私たちはそのように言われたこともあります。しかし、市民の生命に犠牲が生じる可能性を容認する精神医療には同意できません。またその見解に基づく医療では精神障害者の社会復帰の促進という成果を、社会から支持を得て達成することは不可能だと指摘します。いわき病院が起こした事件の本質は「市民に生命の犠牲を容認する精神医療は、精神障害者の治療では過誤と怠慢を容認する医療の退廃を導いた、また精神障害者の人権を尊重していない」という現実です。 精神科病院が社会で果たすべき機能には「病状が悪化してそのままでは自傷他害行為に走る危険性が極めて高い患者の保護と治療」および「精神障害の病気の亢進が著しく、現在の精神医療の水準では治癒や寛解を期待することが出来ないレベルに達している患者に保護と隔離された環境で安全な人生を確保する役割」が厳然としてあります。いわき病院は開放医療を建前として、患者の保護に怠りがありました。また、患者が他害行為をする危険性を予見して回避する義務を怠り、社会の安全に対する不作為がありました。いわき病院が実現した精神医療を放置することは「社会の安全弁を機能させず、社会的な不幸を招聘する」ことに無作為で社会崩壊に至ります。 本件裁判の課題は精神障害者による殺人事件で被害者となった矢野真木人と多数の市民のかけがいがない人権である生存権の問題です。精神障害者の犯罪を見逃す精神医療と社会は、同時に精神障害者の人権を保全しておりません。矢野真木人は生きる権利を奪われましたが、その背景にある精神医療の問題が解明されることで、日本の精神障害者の社会復帰の促進に貢献することができれば、それもまた本人が生を受け命を奪われたことで社会に貢献することになり、矢野真木人が生きた意義です。これは日本国憲法で保証された基本的人権を実現する問題です。 C、精神医療の市民に対する責任(1)、市民に要求する生命の犠牲私たちは民事裁判を提訴したことで「開放医療の促進に障害となる」と批判されてきました。「国の方針通り積極的に開放処遇を進めれば、必然的に『事故』は多くなる。患者の人権尊重とトラブル防止の責務の両立は困難」という意見です。果たして、野津純一が行った通り魔殺人事件は、精神科開放医療に必然的に付随し「対策困難な事故やトラブル」でしょうか。開放医療が促進されるためには市民の命が失われることは「必然」でしょうか。精神科開放医療を実行する過程では、患者の家族や市民の命の犠牲は必然でしょうか。精神科開放医療という大義名分は「市民に生命の犠牲を要求できる」ものでしょうか。 「日本の精神科病院ではいわき病院が野津純一に対して行ったような医療義務上の不作為と怠慢は一般的ではないとしても、珍しくない事例です」と複数の精神科医師が言いました。精神科医師の世論として、「野津純一の事例でいわき病院に過失責任が問われると影響が大きいので、病院に過失責任を問うことは間違い」という主張があります。医療契約は医師のためにあるのか、それとも患者と医師の共通の利益を確認するためにあるのかが問われます。 健全な精神医療を期待するからこそ、野津夫妻が私たちと共に原告となるように説得しました。それは「患者である野津純一に対するいわき病院の医療が珍しくない事例であるならば、日本の精神医療は改善されなければならない」と確信したからです。D医師は「これからの精神科病院のありかたを問いかける裁判と思います」という意見です。この命題は私たちが野津夫妻に民事裁判の原告となるように提案したそもそもの理由です。 (2)、精神医療の許容範囲と医師の水準本件裁判を見守る精神科医師の感情と感覚として「精神医学の分野に医学的知識と技量が許容範囲を超えて劣る医者が存在するとしても、それでも全ての医師には裁量権がある。その診断と薬処方に過失責任を問うと、将来性として、過失責任に関する提訴が増え、また法廷判断が容易に拡大して、結果として精神医療の停滞を招く可能性があり、望ましくない」という見解があります。しかし、医学的知識の錯誤に責任を問わないことでは、本当に精神医療は改善されることにはなりません。現実問題としても、いわき病院と渡邊医師のような錯誤と怠慢に満ちた精神医療が社会に放置されることが日本の精神医療の退廃を招いております。精神医療の進歩と改善のためには、犯した未必の故意と過失に責任を問わなければなりません。 責任を問わないところで、進歩と良好な医療は約束されません。責任を問われないと確信していたからこそ、いわき病院は精神障害者である野津純一の人権を無視した精神医療を行いました。専門家が専門世界の中だけでよしとしてきた慣行や考え方には、第三者のチェック機構が働くべき必然性があります。これにより、精神医療が真の意味で発展することになるでしょう。 (3)、精神医学の健全な発展いわき病院と渡邊医師の一連の薬事処方には、間違いと錯誤があり、過失責任を問わなければなりません。精神医療の診断は、血液検査値などの客観的なデータは存在しません。国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)に基づき診断要素を客観化する努力が行われておりますが、診断に至るまでには精神科医師の観察という個性と主観等の要素に大きく左右されます。しかし、そのことは医師に責任を問わなくても良いとする理由にはなりません。精神科医師の診断に数値化できる客観的データがないからこそ、また人間の精神という人権の本質に関わる社会の実践であるからこそ「許容範囲を逸脱してない精神科医療であること」を確認する社会の監視が必要です。 渡邊医師は人証で、「野津純一の12月6日のイライラと激情(本人が警察、検察、S鑑定で一貫して述べ、刑事裁判判決でも採用)を全面否定する」と主張しました。渡邊医師の論理を普遍すれば、いかなる鑑定書が提出されても、渡邊医師の意に沿わない場合には「見解の相違」として反論します。渡邊医師は、野津純一に対する診断と治療で現在の精神科医療の許容範囲を超えた間違いをしましたが、本人は、自らの論理で「間違っていない」と主張します。しかし、精神科医師の裁量権には社会規範として限界が必要です。「渡邊医師の極端な診察診断の論理と断片的な理解が、患者である野津純一の症状を無視した、いわき病院の精神科臨床医療として実現して、野津純一を苦しめる結果になった」と指摘します。 (4)、開放医療は必然的に殺人事件を増やすかいわき病院は精神科開放医療を積極的に促進していた病院でした。渡邊医師は精神科開放医療という大義名分を掲げても、適切に患者を診断せず、不勉強で自らの思い込みによる診断理論を振り回して、患者の病気の実態という裏付けがない治療を行いました。また患者にインフォームドコンセント(説明と同意)を行わず、患者のQOL(生活の質)を悪化させる薬事処方を実行しました。E医師は「患者のQOLが著しく障害されるのも『重大な副作用』に準ずる」との考えです。渡邊医師は入院患者からの診察要請があっても診察拒否をして、患者の人権を尊重した精神科医療を実践しておりません。いわき病院は精神医療の質を向上する努力を放棄して、無責任な医療を実践しました。過失責任が追及されることがなければ、この状況は改善されません。 精神科開放医療は必然的に殺人事件を増やすので、精神医療機関に責任を追及しないことが社会の善となるのではありません。これは全うするべき努力を否定した専門家の怠慢を許す詭弁です。開放医療が社会に信頼され、精神障害者の社会復帰が促進されるには、事故やトラブルを未然に防ぐ精神医療の改善が行われることが条件です。私たちは精神科医療と精神障害者の犯罪に関するシンポジウムを見学して、「被害者は家族や一部の市民であり、問題にするほどではない」というパネリストの発言を聞いて、驚いた経験があります。精神医療は患者の人権を尊重し、合わせて患者家族と市民の人権を尊重するという義務を認識し、これに基づいた医療を実践する必然性があります。これは達成困難な理想論ではなく、社会機能の一端を担う者の責務です。精神医療に従事する者は「必然的に事故やトラブルが増える」と無責任であってはなりません。それは専門家としての義務と責任の放棄です。 D、市民矢野真木人に対する責任(1)、市民に対する犠牲矢野真木人は精神障害者による殺人行為で命を失った多数の一般市民、精神障害者の家族および病院関係者の一人です。誰も社会と専門家の努力不足により一度限りの命を失いたくはありません。私たち夫婦は矢野真木人の死を通して、命を失う悲しみを知りました。また野津純一に科せられた懲役25年の拘束を通して、自由を失う意味を心に深く刻みました。私たちは被害者の両親と加害者の両親として協力して問題の本質に迫り、社会に改革と改善を求めることを目的にして、共に原告として精神科病院の責任を問うことにしました。共に市民として人権を守る願いです。社会が矢野真木人の死に関する過失責任をいわき病院に償わせることが、その第一歩です。 私たち矢野夫妻が野津夫妻と共同原告として精神科病院の医療責任を問うことに関連して、精神障害者の家族からの支援の声が届きます。精神障害者の親でもあるF医師から「精神疾患の患者の家族が本当の被害者と思います。病人をかかえて真っ暗なトンネルを歩いていくようなものです。家族に対しては、今の状態では、どんなケアも救いも考慮されていません。貴方の起こした裁判は、精神疾患の患者の家族のおかれている立場を改善する一投石と思えます。自分の問題と思っています。野津御夫妻もそうと思います」という意見をいただきました。その声は「愛する家族が精神障害者になった悲しみ」や「精神障害の治療を委託した病院の精神医療を信頼できない悩み」等です。沢山の精神障害者の家族が「日本の精神医療が改善されなければ、救われない」という切実な願いを持ち、そして果たせないでいます。そこには病状が極度に進展して措置入院をさせた「不幸な子や兄弟姉妹や親の人間性を守りたい」という悲痛な願いがあります。矢野真木人はある日突然生存権を奪われました。精神障害者は緩慢なる時間で人権を奪われています。精神障害者の殺人事件には加害者側と被害者側に共通する、社会が再考するべき人権問題があります。それは現在日本が国際社会の中で生きる上での大きな課題ではないでしょうか。 (2)、非現実的な無理難題論いわき病院と渡邊医師は「野津純一が包丁を購入して、矢野真木人を特定して殺害することまでは予見できない」と主張しましたが、そもそもそこまで特定して、未来を予想または予見することは万人に不可能です。いわき病院と渡邊医師は「非現実的な無理難題」を主張して、過失責任からの回避を意図しました。このような非現実的な論理を振り回している限り、渡邊医師がいわき病院長として、人権を尊重した精神科病院の経営を行う事はありません。いわき病院と渡邊医師のこの詭弁には社会として制裁を科すことが、正義と誠意に基づくより良い精神医療を実現するための要件です。いわき病院の論理は市民生活の安全に対する脅威です。 (3)、精神医療機関と医師の責務統合失調症の患者が自傷行為を行う場合には、他害行為の危険性が切迫している可能性を予見することは精神医療機関と精神科医師の基本的な義務です。野津純一は顔面に誰にでも容易に判別できる火傷をたくさん自傷しておりました。また野津純一が苦しんでいたアカシジア(イライラとムズムズ)は自傷他害行為を誘発する症状であることも精神科医師の常識です。渡邊医師は精神保健指定医であり、自傷行為が転化して他害行為に発展する可能性を予見することは職務上の義務です。いわき病院と渡邊医師に責任を問うことに関して、いわき病院の実情と渡邊医師を知っている精神科医師からは「同意」の意見をいただきます。しかし、全く知らない精神科医師は一般論の立場で、精神科医療に責任を問うことに疑問を呈します。 いわき病院と渡邊医師は統合失調症患者に抗精神病薬の定期処方を中断するという重大な処方変更を行った後で、真面目に患者の観察と診療をしておらず、医師としての義務を果たさず、他害の危険性が亢進しつつある患者の保護を行わず、市中に放置したことは精神科医師として、重大な怠慢であり、義務違反です。いわき病院は社会の公益性に対して重大な責務を負います。その一環として、矢野真木人の死に対する過失賠償責任が発生します。 (4)、市民に犠牲を出してはならない殺人された被害者が矢野真木人であったことは結果論です。矢野真木人は野津純一の名前を知らずに死にました。野津純一は矢野真木人を視認して数秒後に矢野真木人を刺殺しました。野津純一の矢野真木人選択が偶然であったことをもって、いわき病院と渡邊医師の過失責任が消滅する論理はありません。矢野真木人の死はいわき病院の未必の故意の結果であり、いわき病院には矢野真木人の理不尽な死に対する直接的な過失責任(業務上過失致死)があります。いわき病院の論理が通用するならば、日本で今日多発している無関係な他人の殺害に関連した社会問題に対策を立てることが不可能になります。社会は、真面目に働き、納税の義務を果たし、社会人として義務を全うし、個人の幸せを追求する市民の生存権を最大限尊重しなければなりません。 (5)、医師の社会公益的責務:医師法第1条違反いわき病院は本件裁判の過程で「精神科医師と精神科病院はパレンスパトリエの論理で患者の治療に当たるべきでポリスパワーの実行者であってはならない」という論理を展開しました。いわき病院は「精神科医師は精神障害者の治療を保護者の立場で行うべきであり、精神障害者の権利制限者や抑圧者であってはならない」と主張したいようです。しかし、現実におこわなれていたいわき病院と渡邊医師の医療は無責任かつ怠慢で精神障害者の人権に配慮しない「パターナリズム」の実態でした。特にポリスパワーという言葉から、警察権力による人権抑圧的な思い込みをして「精神障害者を適正で適切な精神科医療で積極的に保護する」という視点が欠落しておりました。野津純一の場合は、渡邊医師の薬事処方の錯誤によりアカシジアに苦しめられ病状が悪化して、根性焼きの自傷行為を行いましたが、渡邊医師といわき病院はそれに気付きませんでした。いわき病院に入院中の野津純一はアカシジアが亢進して矢野真木人を通り魔殺人しました。渡邊医師がパレンスパトリエとポリスパワーという言葉を断片的に理解して、精神科医師の本務である精神障害者の治療と保護を全うしなかったところに、矢野真木人の死に対する過失責任が存在します。 医師法第1条(医師の職分)には「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。」と医師の職分を定めてあります。矢野真木人は渡邊医師が法に定められた医師の社会公益的責務を果たさなかったことにより、命を奪われました。矢野真木人はいわき病院の患者ではありませんでした。しかし、渡邊医師は医師法第1条により、矢野真木人に対する責任から逃れることはできません。 E、刑法39条と精神医療の責任(1)、市民と精神障害者の人権の両立いわき病院は「心神喪失者等医療観察法の下では、積極的に心神喪失が認定されて罪を問わないことが法の考え方」と主張しました。しかし、心神喪失と裁判で認定されたなら、悲惨な事件が無かったのではありません。「安易に認定された心神喪失」の裏で命を奪われた被害者自身がおり、それに悲しみ涙を流す遺族がおります。現在施行されている法規則に基づいた社会的処分の如何に関わらず、事件の背景には事実として重大な社会問題があります。殺人は最大の人権侵害です。刑法第39条が関係すると、何故日本は社会の責務として人権が侵害された事実に目を向け、社会の義務として改善する意思を失うのでしょうか。心神喪失で罪に問わないことで事件の実態が放置され、同様の事件が発生して殺人事件が繰り返されることは、被害者には最大の悲しみです。精神障害者の犯罪に対する無作為が日本の現実です。正直にまた全うに生きて社会生活を行い、社会に貢献する普通の市民の人権が守られておりません。本当にこれが日本なのかと疑います。 精神障害者には、まともな治療を受け裁判を受ける権利があります。いわき病院で重大な処方変更をしてもその後の経過を十分に観察せず診察拒否をする医師の態度は他科では考えられません。精神障害者は例え心神喪失と精神鑑定された場合でも、心神喪失ではない者として刑事裁判を受け民事裁判をする権利があり、自らが受けた精神医療と自らの人権に関して質問する権利があります。精神科医師が心神喪失と診断した場合には、法的手続きが簡素化されるという日本の実態は、そのことが手続き的にも深刻な人権侵害です。日本では、「精神科病院や精神医療の前では精神障害者には人権が無い」と言わざるを得ません。いわき病院の医療実態から垣間見えたことは、日本では精神障害者は必要最低限の医療すら受ける権利も無い実態があるということです。この現実の下で、精神障害者は人権が無視されています。そして殺人が社会に垂れ流されておりました。 (2)、日本の法秩序の信用力私たちの訴訟に対して「古代ローマ法以来2000年かけて形成された法的原理を無視して、精神障害者の人権を侵害している」と精神科医師及び法曹関係者から批判されました。B医師の父親と兄はスペインで弁護士をしております。B医師は、矢野真木人殺人事件を知り、スペインにおける精神障害者の犯罪と処分に関する実態を父と兄と議論した上で、「スペインは古代ローマ法の法秩序が色濃く残った国であり、心神喪失者は法的責任を免除される。しかしその前に、精神障害者の犯罪は全て公開の法廷に処せられ、心神喪失であるか否かは、医師の精神鑑定ではなく、裁判で決定するものです」と日本国内で報告しました。古代ローマ法の伝統に基づく社会運営は自動的に「精神障害者であれば裁判もなしに積極的に無罪とし」、「精神障害者の犯罪にかかる全ての損失を免責とし」そして「精神科医療に責任を問わないことを前提とする」ものではありません。むしろ、法手続きと秩序が貫徹されることが前提となります。それが法治社会の原理です。 A医師から聞いたところでは、心神喪失の問題で、英国と日本では心神喪失認定の実績が二桁のオーダーで異なります。英国では心神喪失を主張する精神障害の犯罪者はほとんどおりません。それは一生涯を高度保安病院の閉鎖病棟で過ごすことと同義であるからです。英国では最高刑の終身刑でも、刑が停止されないだけで、態度等が良好な受刑者の場合には保護観察を受けて市中生活をすることは不可能ではありません。他方、日本では、少しでも精神障害があれば、心神喪失を主張する傾向があり、罪を償うことなく、直ぐにでも放任された生活を回復できます。英国が精神障害に関連して人権侵害の国であり、日本が自由と人権を尊重する社会であると国際的には評価されません。むしろ、日本は市民と精神障害者の人権を守らない情けない法秩序で運営されていると見られています。重大な犯罪を行った精神障害者の刑事責任能力を判定する問題は、精神障害者と健常者が共生する社会を形成するための基礎となる普遍的な人権問題に関連する課題です。 (3)、刑法第39条と精神障害日本で刑事責任能力を議論する際には、「刑法第39条」が前提となります。刑法は100年以上前の明治40(1908)年に成立した法律であり、刑法第39条第1項には「心神喪失者の行為は罰しない」と規定されています。刑法第39条を精神障害と結びつけたのは昭和6(1931)年12月3日の大審院判例です。大審院(最高裁)は「心神の状態」を「精神障害」とリンクして判断することを決定しましたが、これは80年も前に判例とされた先例主義に基づく慣行であり、法律の規定に基づくものではありません。日本では、刑事責任能力を精神障害の有無により判断することが当然と考えられていますが、「法律は精神障害に関しては何も定義していない」ことを認識することが重要です。本来的には、最高裁の判例は時代と精神医学の進歩に合わせて修正されるべきものです。 参考:Jurist増刊 2004.3 精神医療と心神喪失者等医療観察法 P.85 責任能力の概念と精神鑑定のあり方) (4)、向精神薬の開発による状況変化刑法第39条が制定された時代の精神障害の状況を客観的に認識することが、本来の意味で法律に期待する社会的方向性です。刑法第39条はあくまでも心神喪失および心神耗弱と定義されており、精神障害には言及がありません。更には大審院判決が行われた当時には向精神薬は開発されておらず、精神障害は治癒もしくは寛解しない病気でした。刑法第39条に基づいて大審院判例が確定した当時は「一度精神障害に罹患すれば、治癒することは期待できない」という常識がありました。その意味で、大審院が心神の状態を精神障害と密接不可分の認識を持ったことは、当時の時代背景としては間違いではありません。 その後の精神医学の進歩はめざましく、向精神薬の開発が促進され、精神障害者の治療では作業療法やリハビリテーションの技術も開発され、精神障害者を取り巻く情勢は大きく変化しました。今日では、精神障害は寛解を期待できる病気です。既に、大審院の決定が行われた前提に基本的な変化が生じました。精神障害者の多くは、適切な治療が行われる場合には、社会復帰が可能です。だからこそ精神科開放医療が促進されます。他方、殺害された人間は生き返りません。犯した罪と被害との相関関係を考えるならば、精神障害の入院治療を促進するために、精神障害の兆候があれば積極的に心神喪失と精神鑑定することは間違いです。また責任と処罰の均衡がとれないことになります。殺人などの重大犯罪者の場合には、制裁を通した教訓と強制を行うことが、社会規範です。 (5)、一時的興奮と心神喪失者の法的医療的保護心神喪失や心神耗弱の状態は、長期間にわたる持続的な精神の状態を元にして鑑定することが求められます。日本では、「精神鑑定で心神喪失とされて無罪処分となった」にもかかわらず、直後に診察した精神科医師が「入院も通院も必要ない」と診断することは希ではありません。また入院しても「極めて短期間の治療で寛解した」とされる事も頻発します。精神鑑定者が被験者に騙されている可能性があるとしたら、犯罪者の処分としては極めて不適切です。社会制度は重大犯罪を助長してはなりません。悪貨が良貨を駆逐するような制度が、人権に関連して温存されるとしたら、深刻な課題が日本に存在していることになります。 重大犯罪を行っても心神喪失者は罪に問えないことは当然です。その場合、心神喪失と診断された者は、高度保安精神医療施設の中で残る人生を社会が人権を尊重して保護することが適切です。これは人権侵害ではなく、人権擁護です。心神喪失は簡単に正常な精神に回帰するものではあり得ない筈です。また仮に短時間で心神喪失から正常に容易に転化する精神であるならば、容易に正常から心神喪失にも転換する論理となります。これは重大犯罪を行った者に、未来の再犯を許すことになる社会処分です。その者が過去に殺人などの重大犯罪を行っていた場合には、その人間の一生涯を保護して安寧の人生を与えることも、本人の名誉と人権を守る社会の務です。 心神喪失者等医療観察法における入院と通院期間の規定は殺人を行った心神喪失者等の場合にはあまりにも短期であると言わざるを得ません。短期間の治療で寛解する精神障害であるのであれば、治療終了後に刑罰を科す制度を制定するべきです。 (6)、開放医療の過失責任いわき病院は「野津純一は懲役25年が確定したので完全責任能力が法廷で認められたことになり、いわき病院には責任はない」という論理です。それでは、野津純一が心神喪失で罪に問われない場合には自動的に「いわき病院に責任がある」という論理になり、いわき病院の責任を認めることになるでしょうか。この場合には、「罪に問われなかった者の個人情報」ですので、被害者遺族は犯罪に関する全ての情報から隔離されて、民事裁判を提訴しても「証拠不十分で負けが決まり」です。実質的に刑法第39条は精神科医療を過失責任から法的無責任能力の恩典で保護しています。いわき病院は「心神喪失者等医療観察法の下では、積極的に心神喪失として認定されなければならない」と主張しましたが、精神障害者であれば普く心神喪失で、法的権利が無いことに繋がります。いわき病院は開放医療の対象となる「任意入院患者には外出制限はできない」と主張しつつ、一旦事件を起こせば「心神喪失と認定すべき」と主張します。これは精神科病院のご都合主義の刑法第39条の解釈です。 精神障害者に生命を奪われた者の権利は刑法第39条で消滅するものではありません。犯罪者が心神喪失で罪に問われない場合にも、憲法に規定された基本的人権である生存権は守られなければなりません。基本的人権は刑法第39条に超越します。矢野真木人にはいわき病院に対する請求権があります。それを行うことが、国民の普遍的な人権を守ることに道を拓くことになります。 (7)、精神科治療により、精神障害者による殺人事件は減らせる精神医療を正しく行えば、精神障害者による殺人事件は、100%とは言えないまでも確実に減らせます。精神医療をきちんと受けて、抗精神病薬を服薬すれば、多くの精神障害者は社会復帰できるようになります。統合失調症は病状が悪化した時に暴力がでることがある病気です。その事実から目を背けることなく正しく対処しなければなりません。現在の精神医学では、抗精神病薬の継続投与などの病状管理により精神障害者による殺人事件は減らせます。医療法人社団以和貴会が現在の医療水準で約束されるべき適切な医療すら精神障害者に実現していないことは明白です。これに責任を問うことで精神障害者による殺人事件を削減することは可能です。日本の精神科ベッド数はEUの倍の水準であり、大幅に削減することを国際社会から求められています。それは、精神障害者による殺人事件を減らす努力と同時に行われるべき社会課題です。精神障害者の社会復帰を大義名分にして、渡邊医師の許容範囲を超えて技量が劣る錯誤と怠慢の精神医療に改善を迫らず責任を問わない理由としてはなりません。 精神障害者の全てが真っ当な治療を受けることが普通になれば、不幸な事件は抑制されます。矢野真木人のような理不尽な死がこの日本から減ることを心から願います。また、野津純一のように病院の過失で不幸にして犯罪者になる人間がこの日本から無くなることを願います。これは刑法第39条第1項を積極的に適用して罪に問わないことではありません。殺人事件の発生そのものを防止する精神科開放医療が日本で実現されることが大切です。 2、提出した証拠の事後修正いわき病院は本件裁判が開始されて4年を経過した段階になって、以下のA及びBの項に記載した野津純一に対する治療事実の基本的な部分を変更して主張しました。これは提出した証拠の「事後の修正」であり、いわき病院が法廷に任意提出したカルテ等の医療記録が最初から真正では無かったと疑いを持つに足りる、いわき病院の不誠実な対応です。またいわき病院と渡邊医師が行ってきた精神医学的主張に偽証や欺瞞を疑うべき信用失墜行為です。 A、診療録(カルテ)日付記載の変更(1)、カルテの日付変更いわき病院が主張した変更内容は以下の通りです。
(2)、医師法第24条(診療録)違反渡邊医師は、カルテ記載日を変更した上で、「12月3日も診察した」と主張しましたが、記録の日付を変更した後では、既にカルテにその事実記載がなく、医師法第24条違反です。G医師は「カルテ記載がなければ、医療行為があったとは認められない」と指摘しました。また、いわき病院は12月のレセプトでも入院精神療法(II)を請求しておらず、診察した記録が存在しません。 (3)、診察室の実態に合わない渡邊医師は「外来診察の後、野津純一を診察室で診察した」と主張した上で日付を変更しました。外来患者の診察では次の来院日の決定などのため診察室には必ずカレンダーがあり、診察日にその日の日付を間違えることはあり得ません。医師が外来患者を診察すれば全ての患者に共通で、その度に日付を真っ先に正確にカルテに記載します。入院患者を多数の外来患者の後で診察したのですから、日付を間違えて書くことは考えられず、2回続けて同じ患者のカルテだけ日付を間違える訳がありません。いわき病院が本法廷に提出したカルテがそもそも真正でない証拠です。 (4)、カルテ改竄の可能性いわき病院が本法廷に提出したカルテの記述は最初から日付の横並びが一致しておらず、野津純一が拘束されて逮捕されるまでの1日以上(約30時間余り)の間に、12月7日から8日にかけて大急ぎでまた大慌てで、改竄された可能性が疑われるものでした。現実にカルテには不用意で杜撰な記述が散見されます。その上で、裁判が4年経過した後でカルテ日付を書き換えて事後の修正を行ったことは記載の不備や矛盾等、いわき病院主張の不都合を解消する目的があると推認され、カルテに記載された診察等の記録が後から書き加えられた可能性を証明する行動です。 B、薬処方の変更(1)、平成17年11月23日以降の野津純一に対する薬処方いわき病院の主張を取りまとめれば、野津純一に処方された薬処方は以下の通りとなります。 1)、定期処方
2)、頓服処方
3)、処方された薬の効能
(2)、いわき病院が申告した薬処方の修正いわき病院は法廷議論の進行と共に、統合失調症治療薬である抗精神病薬及びアカシジア(イライラとムズムズ)に関連した薬処方内容を変更してきた経緯があります。これは私たちが指摘した「精神薬理学的な問題」に関係した、民事裁判の議論の進展に対応した「事後の修正」です。いわき病院がこれまでに主張した薬処方は4種類存在します。薬処方が法廷議論の進展と共に繰り返して修正を重ねた事実もいわき病院が法廷に提出したカルテが真正のもので無い可能性を追認します。いわき病院と渡邊医師は自らの主張に良かれを期待した、短慮で弁解的な行動です。
(3)、薬処方を事後に修正した根拠に疑い今回の訂正まで、いわき病院の薬事処方の申告から3年が経過しました。また裁判所が争点整理案を作成して内容の確認を訴訟関係者に求めてから8ヶ月の間に訴訟関係者に相議して何回か内容の書き換えも行われました。その間、いわき病院は何も訂正申し込みをしておりません。 渡邊医師は人証で「いわき病院の薬処方はコンピュータ管理されていて、記録を変更した場合は全て変更者と変更日時が記載され、記録保全は完璧である」と主張しました。コンピュータに記録されたはずの薬処方をこれまで正確に申告できないことが、いわき病院が説明した薬処方記録管理が事件当日から今日までの事実ではなかったことを示しています。薬処方に関する渡邊医師の主張は事件当時の事実を発現しておりません。正確な事実を申告できないことは過失です。 3、いわき病院の不正と反社会行為いわき病院は日本病院評価機構に認定された優良病院であることを誇っています。渡邊医師にとって、野津純一に「事件前に反社会的人格障害の兆候は見られなかった」と主張することは本件裁判で過失責任を認定されないためには極めて重要でした。しかし、野津純一の反社会的人格障害を否定する弁明が、医療法人社団以和貴会歯科等の不正という反社会行為の証言を導く結果に至りました。これは身から出た錆です。いわき病院長渡邊医師は宣誓の上で、下記(1)と(2)の反社会的行為を行ったことを主張しましたので、自ら名誉と信用を失墜しました。 (1)、歯科のレセプト不正請求渡邊医師は、「野津純一に反社会的人格障害はない、暴力が出る危険性はない」と主張するとともに「歯科がレセプト不正請求をした」と証言しました。いわき病院歯科のレセプトには野津純一が「統合失調症、日によって暴力行動をするため抑制器具を使用」、また「精神不安定、ヒステリーを伴い暴力行動あり看護師介助のもとに治療」と記述してあります。ところが、渡邊いわき病院長は「いわき病院の歯科は抑制器具を所持していない」「野津純一は暴れることがない患者である」と明言しました。その上で、「患者が暴れて危険なので抑制器具を使用したと記述すれば、レセプト請求点数が高くなるので、通常行っている便宜的な記述である」と主張しました。いわき病院長自らの「公金不正請求という反社会行為をした」という証言です。 (2)、障害者年金の申請時の不正記載渡邊医師は、野津純一の一級障害者年金の更新時に「衝動的に暴力をふるう」と記述してありましたが、これは「年金をもらうための方便であり、事実とは異なる」と主張しました。渡邊医師は、野津純一には「衝動的に暴力をふるう」可能性はない、と主張しました。渡邊医師は、年金申請書の不正記載(反社会行為)を主張しました。 4、結果予見可能性と結果回避可能性いわき病院と渡邊医師は「予見可能であり」また「十分に対応可能であった」単純な問題を、「そもそも予想不可能」と弁明しています。本質は、精神医学では基礎的な常識事例であるにもかかわらず、「非常に珍しい事例」だから「何も対応できなかった」と不作為を弁解しているだけです。 (1)、精神科病院に求められる危機管理本件で現実に発生した結果は「矢野真木人刺殺」でしたが、渡邊医師は「包丁を購入して矢野真木人を刺殺するという結果までは予見できない」と主張します。いわき病院が「精神病患者の自傷と他害行為に関連して予見して回避するべき結果」は次の項目の全てです。これらのどれが現実に発生するかはその時の状況の展開です。いわき病院は個別事例を限定的に述べて弁明しました。精神医療が普通に発生し得る危険に対して「常識的で回避可能なことを予見する義務」を怠らなければ、「結果である矢野真木人殺人事件の発生を未然に回避できる」ことは必然でした。いわき病院と渡邊医師には精神科病院に求められる基本的な危機管理に怠りがありました。G医師は「私は病院長としてこれまで事故(自殺、他殺)は起こしたことはない」と言いました。死亡などの医療事故を起こさないことは、全ての精神科病院に期待するべき努力目標であるはずです。 いわき病院が予見して回避すべき義務の対象範囲 (2)、深刻ないわき病院の人命損耗率野津純一に関して過去に自殺企画を行った報告はありません。しかし、複数のいわき病院職員から内部情報として伝えられた矢野真木人殺人事件前後のいわき病院の死亡事故は、「平成15年12月6日の第6病棟窓からの転落死亡(矢野真木人殺人事件と同月同日であることに、職員がショックを受けたそうです)、平成17年の事件、そして平成18年2月頃の患者一時帰宅中の入水自殺」で、2年余の期間に少なくとも患者死亡事件・事故が3件発生し、矢野真木人殺人を加えると人命損失は少なくとも4件4名です。偶発的な事件と断じて問題ないとするには異常性が感じられる、いわき病院の精神科医療を取り巻く事実です。いわき病院の結果予見義務違反と結果回避義務違反は、深刻なレベルに達しており、社会が放置してはならない問題と思われます。「いわき病院の職員であることは、ロシアンルーレットのゲームをしているようなもので、いつ自分に殺される順番が回ってくるか分からず大変怖い」と言った人がおります。また「患者の自殺に無力であることが専門家として辛い」と言いました。また「このような状態に、どうして社会は適切な対応がとらないのか?」と言った精神科医師もおります。いわき病院長として、渡邊医師の責任は重大です。 (3)、野津純一と他害の「結果」の予見可能性野津純一の過去歴をたどれば、患者家族に対する他害行為、病院スタッフに対する攻撃、往来における不特定の人間に対する他害行為や放火(弄火)、近隣に怒鳴り込んだ行為などがあり、野津純一が時折突発的に見せた他人に対する攻撃性は特に重要な他害要素でした。 矢野真木人殺人は多数の予見可能であった「結果」から偶然発生した一個別事例です。野津純一がいわき病院に包丁を持ち込まなかったことは僥倖で、いわき病院内で野津純一が病院スタッフや患者を襲う可能性も高かったと考えられます。いわき病院と渡邊医師は社会的機能としては上記(1)、の1)〜6)の全ての可能性を予見して、「結果」が発生することを回避するべき努力を傾注する必然性と義務がありました。 (4)、予見して回避することが可能であった項目渡邊医師は、本来可能である結果予見性を予見せず、また回避可能な結果を放棄した精神医療を行っておりました。医師が当然可能である予見をしない医療を行うことは、発生した事件に対しては未必の故意が成立します。 1)、放火・暴力既往歴ある統合失調症患者に対する病状悪化時の予見渡邊医師は人証で「抗精神病薬の中断で病状が悪化することを知っていた」と発言しました。渡邊医師は「野津純一は統合失調症」と診断し、病院内でも看護師を襲った既往歴がありましたので、統合失調症の病状の変化に伴う自傷他害行為に関連して、重大な自傷他害行為をする可能性を予見して回避する事は可能でした。 渡邊医師は野津純一に反社会的行動歴があったことは承知しても、国際診断基準に一部合わないので「反社会的人格障害と診断できない」と主張しました。野津純一が反社会的行動を突然起こす可能性を認めて対策を講じておれば、殺人事件を回避する事は可能でした。 2)、根性焼きを見逃した医療と看護 渡邊医師といわき病院第2病棟看護師は野津純一が顔面に自傷していたタバコの火傷を発見しておりません。顔面の火傷は重大な自傷行為で、これを見逃す医療と看護では、他害行為に転じる可能性を予見することも回避する事も不可能です。 3)、抗精神病薬中断に伴う結果予見性 渡邊医師は統合失調症と診断した野津純一に抗精神病薬の継続投与を中断して少量の不規則投与に切り替えました。その場合には統合失調症の病状が悪化する可能性を予見する義務がありました。渡邊医師は抗精神病薬の定期処方を中断した後で、患者の診察を怠りました。渡邊医師が抗精神病薬の維持量を継続投与して適宜適切な診察をしていたならば、野津純一が他害行為をすることを予見して回避可能でした。 A医師とH医師は「副作用軽減のために抗精神病薬を激減や中断すると精神症状がいつ悪化するか分からない、そのリスクは1日1日高まるので、心配で私だったら毎日患者の様子を見に行く」と言いました。渡邊医師に精神科専門医としての良心があれば、自ら診察することで病状悪化に気がついて、野津純一の他害行為は未然に回避できました。内科のI医師から「精神科では診察は週に1回くらいが普通ではないでしょうか。しかし、重症度に合わせて適宜変更だと思います。もちろん入院しているわけですから重症化しないようにすることを最低限として診察を行っている必要があると思います」というコメントをいただきました。これには他の精神科医師も同意見で「症状が悪化する可能性がある時に最大でも週一回の診察しか行わないのは問題」と指摘します。 4)、アカシジアに伴う結果予見性と回避可能性 野津純一は抗精神病薬と抗パーキンソン薬を中断した後では深刻なアカシジア(イライラとムズムズ)に悩まされておりました。渡邊医師が抗精神病薬を中断した理由がアカシジアの改善でしたので、薬事処方を変更した後では慎重かつ頻繁にアカシジアの症状の推移を診察する義務がありました。患者のアカシジアが亢進した場合には自傷他害の危険性が高まることは精神保健指定医としては事前に承知して対策を講じるべきエビデンスです。渡邊医師は予見可能な結果を予見せず、回避可能な結果から野津純一を保護しませんでした。 野津純一のイライラについて渡邊医師は人証で「ムズムズは訴えたがイライラ訴えはなかった。頓服のイライラ時の名称は、単に名称だけ」として「野津純一にイライラはなかった」と主張しました。渡邊医師はイライラを非言語的情報としておらず、「イライラする」と言葉に出して言わなければ「イライラはない」との主張です。これに関して平成12年当時香川医大で主治医だったJ医師は「野津さんについては体格が大きくイライラしている様子が窺われたので、主治医である私は野津さんの暴力的な行動は気を付けていた」と警察に供述してありました。K医師は「野津純一は鎮静が必要なとても焦燥感が強い患者という印象です」と述べました。 渡邊医師は「抗精神病薬を中断すればアカシジアはよくなる筈」と思い込みました。しかしL医師によれば「抗精神病薬を中断してもアカシジアが続くことがある。場合によっては増悪することがある」また、カルテと看護記録を見て「殺人事件に至った病状の変化は、アカシジアの憎悪と関係していると思います」との意見でした。M医師もカルテと看護記録を見て「平成17年12月に入ってからの野津純一のアカシジアと精神症状の悪化は手が付けられない程」と指摘しました。またN医師は「(主治医が)病状に応じた対応を怠ったために事件が起った」と付加しました。抗精神病薬(プロピタン)と抗パーキンソン薬(アキネトン、タスモリン)の急激な中断による病状悪化は精神保健指定医なら予測可能でした。抗パーキンソン薬は急に服薬を止めてはならず、症状の急性増悪や悪性症候群を起こすことがあります(治療薬マニュアル2006、医学書院、P.242)。また、低力価抗精神病薬(プロピタン等)を減量した場合に症状悪化例が多いと指摘されています(抗精神病薬の離脱症状、裁判文書)。渡邊医師が人証で発言した「高力価抗精神病薬減量時に病状悪化例が多い」は間違いです。 5)、ベンゾジアゼピン系薬剤の過剰投与による結果予見性と回避可能性 渡邊医師は抗不安薬のレキソタン他のベンゾジアゼピン系薬剤の最大承認薬用量を無視して大量投与を行いましたが、発現する可能性があった奇異反応(脱抑制)を予見しておりません。奇異反応は薬剤添付文書にも注意書きがあり、渡邊医師は「脱抑制を知悉していた」と準備書面で主張しましたが、「発生頻度が低い」という理由で渡邊医師は結果を予見しない医療を行いましたので、そもそも結果回避可能性はあり得ません。精神保健指定医が脱抑制を認識していて危険性を予見しない医療を行ったことは矛盾しており過失です。11月23日以降の野津純一はレキソタン最大常用量の2.7倍に相当するベンゾジアゼピンを服用する日もありました。野津純一は重度の強迫性障害があり、もともと強い衝動行為があります。ベンゾジアゼピン系薬剤の過剰投与で、脱抑制による攻撃性、興奮の衝動行為が増幅され、陽性症状が悪化した可能性が高いと考えられます。渡邊医師が脱抑制発現の可能性を予見することは当然の義務でした。 O医師は「カルテと看護記録によれば野津純一に投与されたベンゾジアゼピン系過剰投与の副作用で脱抑制が発現した」と推察しました。「レキソタン6錠投与は絶対おかしい」はP医師の意見です。また、レキソタンの販売元のエーザイ『お客様相談室』にレキソタンの「適宜増減」に関して質問して、「患者が統合失調症であり、他にもベンゾジアゼピン系薬剤が処方されている条件では、『依存形成しやすいので、必ず承認薬用量内で使うように』」との回答がありました。
6)、患者を放置した後の診察拒否 渡邊医師は12月6日の朝10時に診察拒否をしました。野津純一は抗精神病薬を中断し、抗パーキンソン薬を中断し、脱抑制の危険性を伴う抗不安薬を大量投与されましたが、12月に入ってから放置された状態でした。渡邊医師が「診察するか、代診をするか、後から診察する」という意思を明確に伝えて自室に待機する様に指示をしておれば、診察拒否による怒りと失望で野津純一が「切れる」ことが避けられて、結果を回避する事が可能でした。
7)、精神不穏でも外出許可 渡邊医師は「野津純一は任意入院患者であり外出制限をすることは違法」と精神保健福祉法の規定に沿わない主張をしました。野津純一の平成17年12月1日以降の病状の悪化は顕著で、12月6日には主治医に診察要請をして断られた後では、強い不満を口にするなど、心理状態は悪化しておりました。このような状況では他害行為を行う危険性を予見して、結果回避を可能とする外出制限を行えます。渡邊医師は予見可能な結果を予見せず、可能な結果回避の可能性を自ら否定しました。 5、いわき病院の診断上の過失矢野真木人殺人事件の直接的な原因はアカシジアに苦しめられていた野津純一によるイライラ解消のための衝動的な殺人行動でした。しかしその背景には精神科専門病院であるいわき病院と渡邊医師による「錯誤に満ちて、不誠実な精神科臨床医療」という現実がありました。 渡邊医師は患者の病気に関連した事実と症状を見て診断をする行動ではありません。渡邊医師は根性焼きに関しては「タバコの温度と傷の程度が合わない」として事実を否定しました。統合失調症の診断で病状の悪化を黙殺しました。反社会的人格障害の診断では「診断基準に満たない」として反社会行為の可能性を予測しない選択をしました。「事実を正確に認識しない」、「事実が目の前にあっても見ない」という診断です。渡邊医師が残した医療記録はいい加減な内容ですが、渡邊医師は医師の裁量権を前面に出し、重大な事実関係で「事後の修正」まで行い、責任回避を意図しております。渡邊医師は精神科臨床医師であり、正確に事実を認識できないことは、医師としては重大な欠陥です。 Q医師は「民事訴訟では、放漫な治療をした医師が記録を残さないため証拠不十分で過失責任を問われず、真面目で熱心な医師が不可抗力の不幸な事例で、真面目に対処して記録を残したがために過失責任を問われる場合がある。そのような医学的に見た不公平を是正する制度が必要」との意見です。A医師は「精神障害者の診察をするときには『症状を確認すること』を先ず行い、『診断名を付ける事』は二次的な行為です。ICD-10やDSM-IVに基づく診断は、国や保険会社に請求する保険点数の根拠とするための社会的必要性から発したものであり、患者の治療という観点からは『症状』が基本です。国際診断基準に当てはまらないから、『目の前の症状を否定する』『診断したくないから症状を見ない』行為はもってのほかです」と指摘しました。
A、「アカシジアにしてはCPK値低い」の真贋(1)、CPKに悪性症候群を持ち出しただけでアカシジア診断の説明になってない渡邊医師は「トロペロンを使っていて筋強剛があり、悪性症候群の可能性があった」と答えましたが、「トロペロンで悪性症候群が発生する可能性があったか否か」は問題の本質ではありません。アカシジアは、悪性症候群とは関係ありません。渡邊医師は、CPK値でアカシジアを診断したことに関して、答えておりません。R医師は「CPKでアカシジア?」「悪性症候群は40年の精神科医師生活で2回しか見ていない」と言い切りました。S医師も「20年以上の医師生活で一回だけ」と言い、悪性症候群が発生する可能性は極めて低いと断言しました。 渡邊医師は「CPK検査を行った理由は何か」の質問に対して、「CPKの検査はいつも一緒にやっている血液検査の一つ」また「トロペロンを使っていて筋強剛があり、悪性症候群の可能性があった」と答えました。渡邊医師は、自己弁明で、CPKと悪性症候群を結びつけなければならず、トロペロン錠剤投与を持ち出してきただけです。 (2)、精神科における悪性症候群の検査私たちは「アカシジアをCPK値で判断することの無意味さ」を指摘しましたが、そもそも精神科でCPK値を日常で検査することにも疑問があります。T医師から精神科で悪性症候群の検査を行うことに関して次の意見をいただきました。 悪性症候群は、抗精神病薬によって錐体外路系のD2受容体が強く遮断されて起る現象であると考えられています。発熱とともに、著しい筋剛直・振戦・嚥下困難などの錐体外路症状、無言無動あるいは激しい興奮、頻脈・発汗・唾液分泌過多などの自律神経症状が比較的急激に出現し(1〜3日)、適切な処置を講じないと死亡する事もあります。激しい筋剛直が生じていますから、必然的に筋組織の崩壊が起り血中に筋肉酵素のCPKが放出されて、その値が上昇します。悪性症候群を診断する場合には、まず臨床症状が重要であって血中CPKの値は二次的な意味しか持たないと考えられます。それは、筋剛直が激しくなければ筋肉の損傷はそれほどでもなく、従ってCPKはさほど上昇しないと考えられるからです。 精神科病院では患者さんに定期的な血液検査を行っています。肝臓や腎臓、膵臓のような身体所見から異常を見いだす事が難しい臓器に関しては、定期的に血液検査を行って異常を早期に発見する事は大切な事ですが、悪性症候群が起るかもしれないからCPKを常に測っておくというのは、上記の理由で首を傾げざるを得ません。 (3)、悪性症候群はアカシジアではない(アカシジアは精神不穏を伴うのが特徴)野津純一にトロペロンが使用されたのは主治医交代時のみでした。主治医交代時点では、野津純一は、熱は36度で吐気はあるが、悪性症候群ではありませんでした。悪性症候群は著しい筋強剛で、通常38度〜40度の高熱を伴います。アカシジアと筋強剛は関係があり、筋強剛と悪性症候群には関係があります。しかしアカシジアと悪性症候群とは関係がありません。悪性症候群でも錐体外路症状が出ますが、それはアカシジアではありません。アカシジアは中脳皮質のドパミン受容体D2を遮断し、イライラなどの精神不穏を伴うのが特徴です。他方、悪性症候群の錐体外路症状は基底核のドパミンD2受容体を遮断し、精神不穏を伴いません。従って「悪性症候群と関係する悪性症候群に由来するアカシジア」は存在せず、渡邊医師の主張は誤りです。 B、根性焼きの見逃し(1)、開放処遇の制限の要件となる自傷行為渡邊医師は「野津純一は任意入院であり、外出規制をすることは違法である」と主張しました。渡邊医師は「精神保健及び精神障害福祉に関する法律第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準」の「第五の二のイ」の規定を読んでおりません。根性焼きの自傷行為を繰り返していた野津純一は「自傷行為のおそれがある場合」ではなく「自傷行為を行っている状態」であり、「開放処遇の制限を受けるべき」状況でした。いわき病院と渡邊医師は野津純一の自傷行為を発見せず、開放処遇を継続しました。野津純一はいわき病院から許可されていた2時間以内の外出中に矢野真木人を刺殺しましたので、いわき病院は発生した重大な殺人事件に対して責任を負います。 参考:精神保健及び精神障害福祉に関する法律第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準 「精神保健及び精神保健福祉に関する法律」第36条は「精神科病院の管理者による入院中の者に対する、行動について必要な制限を行うことができる」と規定して、第3項で「精神保健指定医が必要と認める場合」としています。野津純一の場合は、いわき病院管理者であり精神保健指定医でもある渡邊医師の責任は重大です。 (2)、根性焼きが証明した事実関係根性焼きが存在していた事実から以下の現実関係が付随して証明されました。
(3)、自傷行為と過失責任自傷行為を見逃したことは、精神科医師としては基本的な過失です。顔面にある根性焼きを発見せず、外出許可を出したことは、野津純一を適切に看護と診察をしていなかった事実を示します。精神科臨床医療の現場で患者の顔面を観察しないことは基本的な過失です。
C、統合失調症は重症だった(1)、統合失調症と確定証言した渡邊医師は人証で「野津純一は当初から統合失調症であると診断していた」と明言しました。これは私たちが求めていた確定証言です。なおV医師は渡邊医師が野津純一に統合失調症を否定するかのような主張をしていた頃、「野津純一は重い統合失調症であり、渡邊医師がそうではないかのように主張するのは間違い」と言いました。 (2)、統合失調症は回復基調ではなかった渡邊医師は「野津純一は回復基調にあった」、「野津純一の統合失調症は極めて軽いから、抗精神病薬の定期処方を中断して、頓服で対応した」と主張しました。しかし、中学1年の3学期に発病して、20年以上継続し何度も再発再燃を繰り返し、放火や暴力行為の既往歴がある慢性統合失調症の患者に対する抗精神病薬を中断し、自ら経過観察をせず放置して重大結果を招いたことは過失です。W医師は「症状が比較的安定していたのは11月中旬まで、12月は増悪」と指摘しました。 (3)、外来患者より軽い統合失調症と固執した渡邊医師は「野津純一は12月の時点では退院は困難である(第2準備書面P.7)」また人証では「12月6日の時点で外来患者よりも軽症であり、本人からの要請があっても緊急に診察する必要はない」と主張しました。「外来患者よりも統合失調症の病状が軽い野津純一は退院困難で、既に1年2ヶ月入院」しておりご都合主義の矛盾です。野津純一の統合失調症の症状が軽かったのであれば、速やかに入院治療を終えるべきでした。渡邊医師が野津純一の入院理由とした、頻繁な注射を軽減するための治療を始めたのは、入院後1年1ヶ月を過ぎた平成17年11月23日からであり、治療事実と主張の間に整合性がありません。X医師は「野津純一の病状は軽くない。野津純一の外出時にはいつも父親がついていた。そもそも野津純一に、付き添いの無い単独外出許可を与えたことが間違い。野津純一が社会復帰できると期待したこと自体が間違い」と言いました。 渡邊医師は、20年以上経過した統合失調患者で、酷いアカシジアで苦しみ、前日には37.4度の発熱をしていた入院患者である野津純一を「外来患者より軽症」と主張する事にこだわりました。現実の野津純一の統合失調症の症状は重く、渡邊医師はこれに対して適切な治療を行わず増悪させましたが、渡邊医師は「軽症だった」と固執しています。いわき病院のカルテと看護記録を見たY医師、Z医師、C医師は「12月1日以後の野津純一の病状は悪化していた」と指摘しました。 (4)、重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症は重症私たちが「統合失調症に重度の強迫性障害を伴う場合には特に予後が悪いとメルクマニュアル(裁判文書)に出ていますが」と質問したところ、渡邊医師は「それは統計資料的に推測だけ」と答えました。野津純一は統合失調症に重度の強迫症状を合併して、発病後22年を経過した重症度が高い慢性統合失調症です。以下に統計資料の結果を示します。
(5)、野津純一の病状悪化を予想したのに放置した渡邊医師は、11月23日(元は11月30日付け)のカルテに「不穏時」として「振るえた時、不安焦燥時、幻覚強い時」が出現する可能性を予告し、病状の悪化を予想しました。野津純一は抗精神病薬の定期処方を中断していた間、「右方向から聞こえてきた幻聴」「父親の悪口を言っていると憤怒をつのらせた被害妄想」「誰かが喫煙の邪魔をするという被害関係念慮」があり、「不穏時」に相当しました。D鑑定書では「いわき病院入院中に病状が増悪」と3回も記載されています。刑事裁判では「犯行動機のイライラは野津純一の被害関係妄想に由来すると考えられ、思考の歪曲も見られ、本件犯行には慢性鑑別不能型統合失調症という精神疾患が影響していることは明らかである」として心神耗弱が認定されました。E医師は「12月3日付けのカルテを見て、この診察が運命の別れ目」と言いました。いわき病院が日付を11月30日に変更しましたので、11月30日以降は野津純一の病状は明らかに悪化しておりました。渡邊医師は病状が悪化した野津純一を一週間も放置しておりました。これでは入院治療を受ける意味がありません。 渡邊医師は、12月6日に患者を診察もしないで「病状の悪化はなかった」と言い切りました。この主張は、根性焼きの熱傷を発見しない医療という現実の前では、患者を見ずに現実を無視した医療です。渡邊医師は看護師からの診察要請に関連して12月6日には診察をしないで「このような症状は、よくあることで、特に問題としない」と無視しました。患者を診察しないで前週と同じ治療(臨時処方)を続ける決定は無診察治療に相当し医師法第20条(無診察治療等の禁止)で禁止されています。F医師は「民法上も入院医療契約の債務不履行です」また「患者に対して極めて不誠実な医療姿勢です」と言いました。 (6)、看護師の診察要請判断を却下渡邊医師は病棟看護師が伝えた野津純一の診察要請を拒否し、何の代替案も用意せず、野津純一に適切な医療を施すことなく放置しました。看護師は「前日から処方されていた風邪薬では病状に対処できないと判断した」からこそ、診察要請をしたのです。「主治医として責任を持つ野津純一に対する診察拒否」であるとともに、「看護師の言うことは却下」する渡邊医師の日常の態度が現れています。私たちが得た内部情報では「職員が患者を識別して『あの患者が危ない』と進言すると、院長のプライドを傷つけ怒られる、院長自体が全然分かっていない」、また、「事件前に『野津純一に通常と違う幻聴の危険サインが出ている』と渡邊院長に伝えたが取り合わなかった」という話がありました。11月30日(カルテ日付は12月3日)付けカルテに「幻聴はいつもと同じ」と書いてあるのは、事件後に看護師からの情報を意識して、自己防衛の論理で「統合失調症の症状は軽かった」と主張する目的で書き加えた「証拠の捏造」と推測します。渡邊医師は11月23日のカルテに不穏時の対処を記載してありました。病院の医療はチームワークが基本ですが、看護師から診察要請が伝えられても、主治医が無視して対応しないのでは、そもそも医師による不穏時の対応は不可能でした。渡邊医師は医師法第19条(診察義務等)違反です。 D、反社会的人格障害の診断名がつかなければ反社会行為はない?(1)、国際診断基準に合わないから反社会性人格障害ではなく他害の危険性はないと主張渡邊医師が野津純一に「反社会的人格障害を診断しない理由」は野津純一が看護師を襲った行為などの他害行為が一時的であり継続性がないと判断したからです。渡邊医師は「ICD-10やDSM-IV等の国際診断基準が規定する反社会的人格障害の診断基準通りでないので、反社会的人格障害ではない」と診断しました。その上で「反社会的人格障害ではないと診断すれば、野津純一に他害行為の可能性や危険性はない」という見解です。そこに、渡邊医師の間違いがあります。渡邊医師は一時的または突発的な他害行為歴を確認したのですから、突然発生する可能性がある他害行為の可能性を予見する義務があります。 A医師は「反社会的人格障害の診断名の問題ではなく、『反社会的な症(行動履歴)があるか否か』を見なければならない」と指摘しました。G医師は「香川医大で野津純一が当時の主治医であるH医師の所に包丁を持ち込んだ時に、非常ベルを聞いて駆けつけた。野津純一は反社会的人格障害と診断しないまでも間違いなく攻撃性がある統合失調症患者です」と言いました。I医師は「DSM-IVの反社会性人格障害の除外基準は『反社会的行為が見られるのは、統合失調症や躁病エピソードの経過中のみではない』とありますので、統合失調症診断前に人格障害とするに足る反社会的行為が見られたことが必要であることを押さえておいてください。いまさら診断は変わらないわけですが、同時に始まっていたとしたら、事実は『反社会的傾向の強い統合失調症』です。ポイントは診断名ではなく、反社会的傾向の認識があったか否かだと思います」と指摘しました。 (2)、野津純一の反社会的行動歴を無視し突発的な攻撃性を否定した渡邊医師は「野津純一は看護師を襲った後では急速に沈静化したから反社会的行動は継続的ではなく一時的突発的である」と主張し反社会的人格障害を診断しませんでした。渡邊医師が野津純一の行動の特徴である「一時的突発的な攻撃性」の予見を否定したことは論理矛盾です。 野津純一は17歳の時に自宅および両隣三軒を消失する火災の原因者でした。香川医大カルテによると「放火」に記載があり、いわき病院は第2準備書面P.6に「放火」と記述しました。J医師は「放火だけでも、極めて重大な過去履歴」と言いました。反社会的行動はそもそも患者の社会性の質であり、その行動を社会が受け入れがたい場合には大きくマイナス評価されます。放火(弄火)は精神科医師であれば無視してはならない重大な過去歴です。野津純一は医大に包丁を持ち込んだり、路上で他人に襲いかかったりの行動履歴がありました。これらを踏まえれば、主治医としては、野津純一が一時的突発的に他害行為をする場合には、重大な結末(殺人)を引き起こす可能性があると、精神保健指定医としての義務として予見しなければなりません。 6、精神障害の治療上の過失精神障害者である犯人の野津純一に対しては、現在の精神医療水準では最善ではないとしても、必要最低限で満足するべき精神科臨床医療が約束されておりませんでした。 A、病状の悪化に対応した治療を怠った過失(1)、専門家の鑑定書が無くても過失責任を認定できるはずK医師から「今回の事件で彼が非難されるべき点は、第一に真剣に治療に当たっていないこと、つまり野津純一の病状を観察し、それに応じて外出制限をする、閉鎖処遇にするなどの適切な処置をとらなかった事です。病状が明らかに悪化しているのに長期間放置するというのはそれこそ許される事ではありません。病状が悪化するはずがないという何らかの思い込みがあったのかもしれません。この思い込みに関して同情の余地があるかもしれないし、ないかもしれない。しかし、病状の悪化を見逃して患者が殺人を犯したとしたら、どこまで過失が許されるのか、こういう裁判なのではないでしょうか。医療の現場では最善の治療は望むべくもないのに結果責任を問われ、最低の治療であっても責任を問われないことがあるのです。病状に応じた対応を怠ったために事件が起ったということは専門家の意見を求めなくても証明可能だし、渡邉医師が反論できない様な追及は可能だと思いますがいかがでしょうか」という意見をいただきました。 L医師も同意見で「精神医療専門家に頼らなくても、過失責任の判断は可能」と言いました。「平成17年11月23日に抗精神病薬の中断を初めとする重大な処方変更を行った後で、渡邊医師は野津純一の病状の悪化に対応した治療を行わなかったことが過失である」という視点です。これに関連して内科のM医師は「精神科独自の診察基準があっても、入院患者の場合、重症化しないことを最低限としており、主治医は症状の変化に対応した診察をする義務がある」という意見です。 (2)、ドプスが無効でアカシジアのムズムズを心気的訴えと誤診した渡邊医師は、パーキンソン症候群をパーキンソン病と誤診してドプスを投与して無効だったため、野津純一のアカシジア(イライラとムズムズ)の病状悪化に有効に対応出来ず治療方針が混乱して、11月30日(カルテ上は12月3日)に「ムズムズは心気的訴え」と誤診した根拠となりました。N医師は「アカシジアにドプス?パーキンソン症候群とパーキンソン病は違います」と指摘しました。O医師も「パーキンソン症候群にドプス投与は論外」と述べました。 いわき病院は野津純一に対する抗精神病薬の投与を「平成17年11月23日から中断した」と言っておりますが、「12月6日の事件の一ヶ月以上前から中断していた」というP医師の情報もあります。また渡邊医師自身も10月27日のカルテに「プロピタン(抗精神病薬)を変更する」と書いてあります。全ての向精神薬は投与しても急激に中止や減量しても心身双方に大きな侵襲作用があります。渡邊医師は、薬事処方の効果を一つ一つ確かめるのではなく、いきなり抗精神病薬の中断、抗パーキンソン薬の中断、また抗不安薬の大量投与という重複して複数の重大な定期処方の変更を行いました。その上で、渡邊医師は向精神薬処方変更後には必須の経過観察をきめ細かく行わず、放置しました。渡邊医師は統合失調症治療の基本方針を間違えました。野津純一の病状が悪化していたことは12月1日以降に特に顕著であったことが看護記録を見れば明らかです。Q医師は「看護師がアカシジアの病状悪化を認識しているのに、12月に入って主治医が診察したのは12月3日の夜だけ?」と疑問を呈しました。 渡邊医師は人証で「アキネトンに依存と耐性ができつつあったから、アキネトンを中止した」と証言しましたが、これは事実誤認です。「耐性ができつつある判断」は「アキネトンが効かない時がある」と同義です。カルテ、看護記録に「アキネトン注射は良く効いた」としか記載されておりません。また人証で野津純一は(アキネトン)注射は良く効いた」と証言しました。平成17年10月のビペリデン総投薬量は頓服30回(30mg)、アキネトン14A(5mg×14=70mg)、定期処方タスモリン(1mg×31日=31mg)で合計131mgです。ビペリデンは1日6mgまで増量できるので、常用量内です。またビペリデン総使用量中のアキネトン筋注の割合は53%で、中止しなければならないほど多くはありません。定期処方で投与したビペリデンが全体のわずか23%で、定期処方と頓服、注射の比率が逆転していました。薬効がない生理食塩水注射を続けて野津純一のストレスを増大させました。渡邊医師は「ムズムズとイライラは心気的」と診断していたので「生理食塩水が効く」と思い込んだのです。事実は、S医師によれば「12月に入ってからの野津純一は手が付けられないほど酷い病状」でした。患者のQOL無視です。 (3)、事件当日の病状は悪化していたが外出許可を続行した事件当日の12月6日に、野津純一は病室を出てナースステーションまでの間に、はっきり「ここで声(幻声)が聞こえた」と場所まで明記した供述(警察調書)をしています。エアコンの音が人の声に聞こえるなどの普段の幻聴とは異なる、父親の悪口を言っている幻聴で、病状が悪化していた証拠です。野津純一が外出簿に記載する時にナースステーションの担当者が「幻聴の聞き取り」や「患者の様子の観察」もしくは「声かけ」などを行っていたら異常を発見して外出制限することは可能でした。精神障害者の観察は日常のわずかな兆候の変化を見ることが重要です。渡邊医師が言うように「暴れていない限り外出禁止をしない」では患者を外出管理する意味がありません。これに関してはT、U、V、Wの各医師にも確認しました。 X医師は「自分の病院では2時間以内であっても外出許可を出すときには必ず毎回2人以上で患者を観察する決まりになっている」と言いました。ところがいわき病院関係者は「X医師の病院のような毎日のきめ細かな患者観察と管理は、いわき病院では行われておりません」と一様に「任意入院患者の外出管理をきっちり実行している病院が存在すること」に驚きました。 以下(4)〜(6)の表題は、Y医師が高知新聞(平成17年12月9日)に矢野真木人殺人事件に関連して記述した文章から引用しました。(4)、きちんとした医者ならそれに気付く筈野津純一はイライラやムズムズなどのアカシジアの症状で苦しめられたにもかかわらず、主治医の渡邊医師に治療を放棄された状態で、顔にタバコの火を当てて根性焼きを自傷しました。いわき病院に入院中の野津純一の顔面左頬に根性焼きの1cm大の熱傷があったことは、12月6日の犯行当日に100円ショップ・ダイソーのレジ係店員と野津純一の母親が目撃確認しております。 (5)、追究されるべきは、この加害者に行われた治療内容いわき病院の医療過誤の本質は薬事処方の間違いにあります。野津純一のような病歴20年以上の慢性統合失調症の患者は、病気の治癒は期待できませんが、適切な薬物療法を行うことにより寛解に近い状態に治療してその良好な状態を維持することは可能です。渡邊医師は抗精神病薬を中断して、抗パーキンソン薬と抗不安薬の使用を誤るなどの薬物療法をおこなっておりました。その上で、経過観察を行わない治療をしておりました。 (6)、患者はきっとサインを出していたはずいわき病院の「患者からのサインの見落とし」は野津純一の根性焼きを見逃していたことで代表されます。いわき病院は渡邊院長も第2病棟看護師も誰も野津純一の顔面を正視しない医療と看護を行っていました。顔面に行った自傷行為を見逃すという精神科の診察と看護とは何でしょう。野津純一は精神障害者であり、その病状変化の判断は顔面を正視することで行われます。いわき病院は野津純一の顔面を観察しておりません。Z医師は「そもそも11月30日(12月3日付け)の診察で気付くべきだった」、またQ医師は「12月に入ってからの野津純一はおかしい」と言いました。 以下(7)、(8)の表題は、四国新聞(平成17年12月18日)から引用しました。(7)、患者は、自分の状態が良くないから入院を希望して治療を託した
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参考 | : | 向精神薬には身体医学で用いられる薬物とは大きく異なる点があります。身体医学における薬物は、身体症状を改善するために、身体に投与されるのに対し、向精神薬は「精神症状を改善するために身体に投与されます」。向精神薬は「中枢神経系」という身体次元に作用する物質であり、同時に「気分、思考過程、行動」という心的次元に効果を有する物質という二通りの定義を持っていて、精神医学的薬物療法には、精神と身体の二つの次元にまたがるという特殊性が存在します。(専門医をめざす人の精神医学、第2版、医学書院、P.121) |
いわき病院と渡邊医師の精神医療の現実の中から判明した、「簡単で可能なことをしない」また「できない」と主張するような、不誠実で問題が多い精神医療の実践は「日本では必ずしもいわき病院に限られた特殊な事例ではない」と多くの精神医療関係者が発言します。いわき病院と渡邊医師の不始末は善良な病院が偶発的に遭遇した不幸な事件ではありません。矢野真木人殺人事件は発生するべくして発生した通り魔殺人事件です。精神障害者の殺人犯罪の犠牲者の多くは家族や医療関係者です。これら市民の生命を犠牲にしない精神医療を実現することは、日本で精神医療が健全に発展し、精神障害者の社会復帰が促進されるためには避けて通れない課題です。
渡邊医師は平成22年12月1日以降には主治医として診察怠慢でした。また平成22年12月6日の朝10時には診察拒否をしました。A医師とK医師は「統合失調症の患者に抗精神病薬の定期処方を中止したら、1日1日再発の危険性が高まるので、心配で毎日見に行く」と言いました。しかし渡邊医師は「看護師から伝えられた、咽の痛みと微熱という風邪症状だけでは、診察することはできない」と証言しました。現実問題として、統合失調症における妄想気分を教科書的に説明できる患者はほとんどおりません(専門医をめざす人の精神医学、第2版、医学書院、P.158)。渡邊医師は自ら患者を観察することを放棄して、看護師からの伝聞による「言葉で表せる症状だけ」で「実態を見ずに、また薬事処方の変更後に野津純一に発生していた一連の体調と精神状態の連続的な変化を考慮に入れることなく」診察拒否をしました。渡邊医師は患者が言葉で伝えた症状のみが診断の全てという医療を行っており、患者が「イライラする」と言葉で訴えなければ「イライラはない」と診断しておりました(渡邊医師人証)。病人の全体像を把握せず病気の本質を理解しない渡邊医師の臨床精神科医師としての不作為があります。
渡邊医師は現実を見ず医師法に基づいて記録すべきカルテの記録がないので「症状が悪化していたとする事実の証拠がなく医療過誤ではない」と主張しています。これは不誠実な主張です。精神科では、看護師から告げられた言葉だけで病状を判断するのは医師として責任放棄です。臨床医療で患者を診察もせずに、症状の事実や病状の変化を否定した議論をすることは、医療の本質から外れた詭弁で、それだけでも重大な過失責任が発生します。L医師は「渡邊医師の精神医療には、正されなければならない本質的な間違いがある」と言いました。
参考 | : | 面接における非言語的情報は言語による情報に劣らず重要です。精神科医師が対面観察で観察しなければならない項目は「患者の全体的状態(イライラ、不安焦燥感が強そうか等)、ライフステージ、体型、外傷の痕跡、顔の表情、身だしなみ、動作、姿勢、等」です。(専門医をめざす人の精神医学、医学書院、P.143、P.157) |
野津純一は入院患者であり、主治医は毎日の変化を観察して診察する義務があります。入院患者の診察は通院患者と同じレベルではありません。M医師は「入院患者の診察要請拒否は診察義務違反で違法」と断言しました。また、N医師は「入院患者は毎日一回必ず様子を見る」と医師の心得を言いました。入院患者が異常を伝え、病棟スタッフがそれを認めている状況では、主治医は病状の悪化を疑い、優先的な対処を行うことは、当然の入院医療の責務です。渡邊医師が12月6日に入院患者から診察要請があったにもかかわらず診察拒否をしたことは過失です。
O医師は「11月下旬からは患者から様々な要求がでるようになり、具合が悪そうと言う印象です。看護記録で見る限り、前々日からは近寄りたくないという状態。看護師もそうだったのではと想像します」と言いました。渡邊医師は、統合失調症が「重篤=他害の危険度が亢進する」という論理を用心していると推察され、「重症ではなかったので、また病状が回復基調にあったので、診察する必要はなかった」と弁解しております。一般的に統合失調症が重症であることは、必ずしも他害行為の危険性が高まることにはなりません。問われているのは入院中の統合失調症患者の診察の必要性と優先度の問題です。野津純一の場合は、人格崩壊(D鑑定では破瓜型統合失調症の要素)と自傷行為の根性焼きを繰り返していた時期に当たり、他害の危険性が高まっていたことは事実です。渡邊医師は野津純一の診察拒否をしてはならない状況でした。
渡邊医師は、平成17年11月23日から野津純一の薬処方を大幅に変更しました。医師には治療内容の継続的評価を行う注意義務があります(P医師)。A医師とB医師は共に「そもそも大きな処方変更をした後で毎日診察しないことは考えられない。医師としては基本的な常識だし義務です」と言いました。渡邊医師が薬処方の変更をした理由はアカシジア(イライラとムズムズ)であり、渡邊医師は特にこの点に注目した観察と診断を行う義務がありました。渡邊医師は11月30日から日付変更した23日のカルテにも「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」をあげて野津純一の兆候の変化で注目するべき不穏時の症状を指定しています。また12月3日から日付を変更した11月30日の診察記録でも渡邊医師は野津純一に「振るえた時」と「幻覚と妄想」の症状に気付いておりましたので不穏時の兆候を認識しておりました。Q医師は日付変更前の12月3日付けのカルテを見て「プロピタン(あるいは他の抗精神病薬)の再開の時期を見逃したのではないかという質問は妥当だと思います。12月3日(11月30日に変更)が、事件が発生するかどうかの分岐点だったのでしょう。このとき病状が深刻であると考えなかったことが事件につながったと思われます」、また12月3日のカルテ記載が無いことに関連して「カルテに記載がないこと:一刻を争う救急ならともかく、それ以外の状況では『記載がなければ医療行為があったとは認められない』のは当然のことです」と指摘しました。
看護記録によれば野津純一は12月1日以降アカシジアの症状が頻発しておりました。野津純一は根性焼きの自傷行為を繰り返しており、野津純一を診察する必然性がある状態でした。渡邊医師は「スタッフからの報告がないので異常や不穏時の発生はなかった」と主張しており、主治医として無責任かつ不作為です。そのような状況の中での12月6日の野津純一の診察要請でした。診察拒否をしたことは、医師法19条(診察義務等)違反および医療契約違反です。
野津純一は重大な薬事処方変更を受けており慎重に経過観察をするべき患者でした。渡邊医師は「野津純一は重篤でない」と主張しましたが、野津純一が12月6日に事件を引き起こした時点では、結果論として「外来患者より重篤である事実」が判明しており、渡邊医師の「重篤ではないという判断は間違っていた」ことが確定しました。これは渡邊医師が診察拒否したことが過失であった証明です。この発生した結果の重大性を見て過去の判断の是非を問う論理は「後出しじゃんけん」という表現で医師の多くが嫌います。しかしながら、結果の予見性と回避可能性を検定する場面では、避けて通れない議論です。渡邊医師の場合には診察義務に違反した不作為があり、未必の故意が成立する条件が整っており責任回避はできません。
R医師は「そもそも野津純一の病状が社会復帰できるほど改善すると渡邊医師が考えたことが間違い」と言いました。S医師は「いわき病院で唯一差額ベッド代が取れるアネックス棟の部屋が開いたので野津純一を入れたが、アネックスは退院してもかまわないくらいセルフコントロールできる患者が入るべき病棟で、野津純一はまだまだ手厚い看護が必要だった」と述べました。12月6日の診察拒否に関連して、T医師は「主治医は入院患者から診察要請がある場合には、『診察する』または『代替案を示す』義務があり、病棟看護師から診察要請が伝えられた時点で、主治医は診察拒否できない」また、「渡邊医師はいわき病院長であり他の医師に指示できる立場にあり、「診察をしない決定をした不作為の責任」は免れない」と指摘しました。渡邊医師は「後から診察するつもりだった」と主張を変更しましたが、U医師によれば「野津純一に、診察の予定(意図)が明確に伝わってなかったことが重大な過失」です。渡邊医師は野津純一を診察できなかった理由として、母親の訪問をあげましたが、不穏時が発生した可能性がある状況では、医師としての義務違反の弁明です。渡邊医師に「患者の求めに応じて診察義務を果たす意思がなかった」ことは明白です。
渡邊医師は「診察するかしないかは医師としての判断で、医師として野津純一の12月6日の状況では緊急に診察する必要性を判断しなかった」と医師の裁量権を主張します。しかし、いわき病院と渡邊医師は12月6日に既に野津純一の顔面左頬にあった根性焼きの熱傷を見逃しておりました。誰が見ても異常であることに容易に気がつく、顔面の火傷を見逃すほど、いわき病院と渡邊医師の診療と看護には怠慢がありました。渡邊医師は患者の状況を正確に把握する義務を果たさずに「野津純一は診察しなければならない状況にはなかった」と主張しているだけです。渡邊医師は診察拒否をする正当な理由がなく、主治医として責任を負う患者の診察拒否をしました。
入院患者からの診察要請に対する診察拒否は「入院医療契約の債務不履行」に相当し、民法第400条(善管注意義務)、同第415条(債務不履行)違反です。この民法違反はV医師の強い指摘で、「渡邊医師は医師の裁量権を前面に出して、個別の診断や処方の問題では『見解の相違』と主張して精神科医療問題では決定的な過失責任を回避する戦略だが、医療契約上の責任からは逃れられない。患者である野津純一に対する入院医療の『善管注意義務医違反』及び『医療契約の債務不履行』だけでも過失責任を問われなければならない」と言いました。
入院精神療法は「一定の治療計画に基づき精神面から効果のある心理的影響を与えることにより、疾患に起因する不安や葛藤を除去し、情緒の改善を図り、洞察へと導く治療方法」とされます。入院精神療法(I)は入院日から3ヶ月以内で、精神保健指定医が30分以上行った場合に、週3回まで行なえ、一回当たり360点です。入院精神療法(II)は野津純一のような入院日から4週間を超えた患者には週1回までという制限があります。いわき病院は全病棟が精神科病棟として登録されており、3ヶ月以上の長期入院患者の場合には、患者の疾病や重症度に関係なく週一回の入院精神療法の保険請求しかできません。また保険点数も3ヶ月から6ヶ月までは診療一回150点ですが、6ヶ月超の入院患者は80点で、野津純一はこれに該当しました。渡邊医師が野津純一を週に何回診察しても、保険点数は一回80点が限度でした。但し、重度の精神障害者で、精神保健指定医が認めれば入院期間に係わらず週2回行えます。
渡邊医師は「精神科であるので診察は一回30分以上かけて行った」と主張しました。これは入院精神療法(I)の診察であり、入院日から3ヶ月以内の患者に対して週3回まで各360点を請求できますが、野津純一は該当患者ではありません。渡邊医師が誠実で熱心な医師であれば、入院精神療法(I)の診察をして、入院精神療法(II)の保険請求をすることはあり得ます。しかし渡邊医師は「診察は夜7時から30分以上の時間をかけて行った」と主張しましたが、それにしては11月23日(元11月30日)、11月30日(元12月3日)のカルテ記載は30分かけた診察とは思われないほど内容が乏しく野津純一の具体的な肉声や訴えが伝わりません。更に12月3日にはカルテ記載すらありません。内部情報によれば、「入院精神療法(II)の現実の運営では、主治医が患者に対して声かけをする程度でも、保険請求を行うことが普通」であるようです。渡邊医師の30分以上かけた診察の実態は疑わしいと言わざるを得ません。
W医師は「入院精神療法を週一回しか算定できないことも渡邊医師の診察回数が少ない理由」と言いました。X医師は「入院精神療法(II)が週一回の診察で適当とされている精神医学的理由」について、「私が医師になった頃から、そしてその遥か以前から(多分、ヨーロッパの精神病院の習慣として輸入されたものだと思われます)慢性統合失調症の患者の回診は週一回程度が適当であるとされていました。患者にとって負担にならないし、病状の変化が把握しやすいという配慮だと理解しています。病状の変化が激しい時は当然この限りではなく、一日一回、あるいは朝晩の回診、場合によっては2〜3時間病棟に留まる事があるのは当然の事です」と説明しました。精神科長期入院患者の場合は、必要とされる治療は病状が安定している場合と不安定な場合では、異なります。
渡邊医師は野津純一の病状とは無関係に週一回以下の頻度でしか診察をしておりません。平成17年11月23日以降の野津純一は抗精神病薬と抗パーキンソン薬の中断と抗不安薬の大量投与という処方変更を受けており、現実に病状が悪化していなくても、主治医の渡邊医師は入院精神療法(II)のレセプト請求基準に限定されず、野津純一を毎日また時間をかけて診察するべき義務がありました。ましてや、野津純一はアカシジアの悪化で激しく苦しみ、体調の悪化を訴えておりました。渡邊医師は野津純一を頻繁に診察するべき状況でした。入医院精神療法(II)の請求限度が週一回を理由にして、患者の病状が変化しても週一回以下しか診察をしないことは許されません。病状が悪化しているのに、診察を受けられないのでは、患者にとって入院治療を受けている意味が全くありません。医師の責務に反し、入院治療の社会的役割と機能の否定です。
内部情報によれば、「渡邊医師は何週間も入院患者を診察しないことがあり」更には「入院患者の診察は夜7時から行うことが通例で、深夜に行うこともある」そうです。「渡邊院長は入院精神療法(II)の野津純一に対しては、義務的に入院精神療法を行ったようにカルテに記載していた」また、「その診察は病室外から窓を通して患者を見てカルテに記載するのはまだ良い方で、患者を見ずにカルテに記載することも希ではなかった」そして、「渡邊院長は、患者を見なくても、カルテに記述だけは、さらさらと淀みなく書いていた」と聞きました。このことは平成22年1月25日の人証で野津純一が「渡邊医師には事件前に診察を受けていない」と強く主張したことからも裏付けられます。ある職員は「渡邊院長は患者を見ないで診察するので、患者の実態に合わない処方間違いをして困る。その場で訂正してもらわない場合には、間違いの処方が継続される」と言いました。渡邊医師が野津純一の病状の悪化に気付かなかった理由は、そもそも、野津純一を真面目に診察していなかったからです。その上、週に一回以上野津純一を診察するつもりもなかったのです。内科のY医師は「精神科独自の診断基準があっても、入院患者は重症度に合わせて適宜変更して診察しなければならない」と指摘しました。渡邊医師は主治医として患者に対して不正義です。
渡邊医師は病院経営者として収益性が低下した患者である野津純一を速やかに退院させたい一心で薬事処方の大幅な変更を行いました。野津純一はアカシジアで苦しんでおりましたので、アカシジアの原因と考えられる抗精神病薬と抗パーキンソン薬の処方を全て変更して抗不安薬(レキソタン等)を増量すれば患者は落ち着くはずと期待しましたが、野津純一は離脱症状に加えて脱抑制した可能性が高く、酷く苦しみました。
渡邊医師は「12月3日には野津純一の診察をした」と主張しています。その診察時間は渡邊医師がこれまで繰り返した主張によれば夜7時からです。仮に実行されていたとしても極めて簡便な診察であったはずですが、カルテとレセプトの記録がありません。渡邊医師が12月3日に本当に野津純一を正視して診察をしていたのであれば、野津純一の病状の悪化に気がつく必然性がありました。渡邊医師が病状の悪化に気がつかず、6日の診察拒否をしたことは治療放棄です。
いわき病院の野津純一に対する外出許可は包括的に与えられており、渡邊医師は「2時間以内の外出は全て、ナースステーション前に置かれた外出簿に記録されている」と主張しました。しかし12月6日の野津純一の外出では、野津純一が血だらけの手で帰院して帰院時間も記入しておらず、病棟看護師の確認は行われませんでした。いわき病院は患者が帰院時刻を書かず、夕食と朝食を食べず、いつもは会う母親を追い返し、「警察が来たんか」と振るえていた等の異常があっても、翌日には外出させており、患者の外出管理に抜かりがあります。渡邊医師は「40回以上の外出」と主張しましたが、入院期間中の野津純一の「2時間以内の外出」は111回でいわき病院が公式に確認しただけでも150回以上で、事実を正確に認識しない実態が露見しました。また、野津純一は日中自分が望んだ時にはいつでも自由に外出でき、いわき病院は自由放任で患者の外出管理をしておりません。私たちが「事件発生に気付かず、事件の翌日、いわき病院の外で入院患者が警察に身柄拘束されて始めて、病院が気付いたことをどう思いますか」と質問したことに対して、Z医師は「あれには、言葉を失います」と言いました。C医師の病院では開放病棟内は自由に行き来できますが、病棟には鍵がかかっており、患者は勝手に外出できません。
野津純一はアネックス棟エレベータの暗証番号を知らされておりました。いわき病院はエレベータが動く日中の時間帯には患者がナースステーションの前を通らずに勝手に病棟から出ることを容認しておりました。アネックス棟はいわき病院の表玄関に一番近い建物です。院内フリーの行動自由を与えられていた野津純一が病院から外に出ない事は、統合失調症の野津純一の理性に期待した自制でした。渡邊医師は「野津純一は精神障害者であり、その自供は信用できない」と主張しており矛盾です。入院期間中の野津純一の外出が150回程度に限られていたという証明はありません。D医師は「事件の翌日にも野津純一を外出させたことには開いた口が塞がりません」と言いました。またE医師も「いわき病院の過失のポイントは、渡邉医師が病状の悪化を把握していなかった事、看護師が病状の変化を察知していたにもかかわらず、エレベータで自由に外出するままに任せていた事です」と指摘しました。
渡邊医師は「野津純一には退院を迫られているストレスはあったのか」との質問に「なかった」と答えました。渡邊医師はいわき病院歯科では「保険点数が上がるので抑制帯を使用した治療を行っていたとレセプト請求で嘘を記述した」と主張した程です。渡邊医師には、入院時の1351点の保険点数が1年を過ぎれば800点に下がるので退院を迫る理由がありました。渡邊医師は警察調書でも野津純一が殺人した原因を問われて「嫌がっていたことは退院のこと」と答えました。また11月30日に変更した12月3日のカルテにも「退院し、1人で生活には…」と記述してあり、野津純一に退院のストレスを与えていたことは明白です。
「野津純一にストレスはない」と証言した渡邊医師は「野津純一のストレス発散は『散歩』なので、散歩を止めるとストレスがたまるから止められない」と矛盾ある供述をしました。入院患者にストレスが蓄積している事を認めた上で、ストレスによる危険度の向上の可能性を考慮せず危機管理意識がない、精神科臨床医療を実施しました。ストレス解消であれば、自傷他害の可能性を検討しなくて良いものではありません。渡邊医師は特定の目的に関心がある時に、同時に副作用や副次的な制限要因が展開する危険性に思いが至らない精神科臨床医療を精神保健指定医として、またいわき病院長として実現しておりました。
参考 | : | (研修医のための精神医療入門、P.17〜18、星和書店)「ストレス解消の散歩も自傷の症状があれば、保護的措置となる」 |
渡邊医師は「任意入院患者にはそもそも外出禁止はできない」と主張しますが、これは精神保健福祉法の規定に基づかない、精神保健指定医として、また精神科病院管理者として違法な主張です。渡邊医師といわき病院は「任意入院患者に外出禁止は出来ない」という建前の元に、任意入院患者の日常の病状の変化を観察や診察しない怠慢な精神医療を行い、野津純一の自傷行為を見逃して、深刻な他害行為を行う危険性に気がつかない過失がありました。患者を保護せず患者の人権を守らないいわき病院の精神医療は違法です。F医師の病院では任意入院の患者に「開放処遇の制限に該当しないか?」を二人以上の職員で毎日チェックして、(一人で外出可)、(付き添い付きで外出可)または(外出不可)を決め、患者の帰院時には患者の様子と持ち物のチェックをさりげなく実行しています。いわき病院は一旦外出許可となると「自由放任」で精神医学的な配慮を全く働かせておりませんでした。
渡邊医師は薬事処方変更に伴う注意事項を看護師他の医療スタッフに明確に告げておりませんでした。U第2病棟看護長は「カルテを見て処方変更を知った」「アカシジア等病状悪化の可能性は知らされてなかった」と証言しました。これは、第2病棟全体として野津純一に対する重大な処方変更が行われた事実を周知してなかった事実を示します。渡邊医師は11月23日のカルテに「不穏時の対応」について記述してあるので、「23日から行われた多数の処方変更は適宜適切な対応が可能であるので、重大な問題ではない」と主張をしました。しかし、スタッフに周知しなければ、主張の根拠は成立しません。渡邊医師がスタッフに「処方変更」と「症状の悪化の可能性」を伝えなかったことは、病院のチーム医療を無視した過失です。
渡邊医師は「病院スタッフから報告がないので、野津純一には異常がなかった、薬事処方変更の効果判定は行った」と処方変更を知らされていない無資格者の観察を根拠にしました。渡邊医師は無資格者の感想で処方継続を判定して医師法第20条(無診察治療等の禁止)違反です。また、結果として野津純一に抗精神病薬の再投与を開始する時期を見失いました。更に、薬事処方変更の効果判定をした日と内容記載の記録がカルテにありません。それでも効果判定をしたと主張することは医師法第24条(診療録)違反です。また、金銭管理トレーニングや作業療法の平成17年11月と12月1日の作業内容の記録自体も提出されておりません。
渡邊医師が「11月23日に、異常発生時の指示を出しており過失責任はない」と主張したことは、包括的指示で違法です。仮に方針をカルテに記載してあっても、医師は経過観察を行わなければならず、医師法第19条(診療義務等)、第20条(無診察治療等の禁止)違反です。G医師は「この包括指示の違法性は特に重要」と指摘しました。渡邊医師は12月6日には病棟看護師から伝えられた診察要請を無視して診察拒否をしました。異常が発生したと看護師が判断しても、主治医が看護師の報告を却下して診察もせずに「従前と同じ」と言い張るのでは、そもそも異常発生時の対応という主張が無意味です。また、看護師が渡邊医師のカルテに記述してあった指示に従って処置を実行した場合には、医師法17条(非医師の医業禁止)違反です。
「いわき病院は野津純一との医療契約で善良な契約当事者としての義務を果たしておりません。渡邊医師は野津純一の診察要請を無視して対応せず債務不履行です。いわき病院は医療契約を全うせず、責任を追及されるべきです」と、H医師が強く指摘しました。
野津純一はいわき病院の入院患者でした。野津純一とその両親は「野津純一の精神症状に病的な問題があると認めていわき病院に入院を要請」し、いわき病院も「入院治療を行うことが適当であると認めた事実がある」ために、平成16年10月から1年2ヶ月以上の間、入院治療を行っていました。渡邊医師は「野津純一の統合失調症は軽快していた」と主張します。しかし、仮に病気が改善していたとしても、病状の変動は常にあり、患者が自らの異変を申告して、担当看護師がそれを取り次ぐ場合には、主治医は速やかに対応することが医療契約上の義務です。I医師は「渡邊医師は『入院患者の野津純一を優先的に診察する義務』がありました。これが出来ない理由がある場合には『他の医師による代理診察』をするか『後から診察するので待機するように指示をする』などの『対応を行う義務』がありました」と指摘しました。渡邊医師は「診察をしない決定をした」から「外来診察の後で野津純一を病室に訪ねた」と主張を変更しましたが「病室に待機するように指示した記録が無く、また渡邊医師が病室を尋ねた記録もありません」。渡邊医師の医療実務は入院医療契約の債務不履行です。
「渡邊医師は精神保健指定医であり、患者の治療に関連して大幅な裁量権があり、精神障害者は診断を通して医師の裁量権に支配されております。医療契約で精神科医師は、善意に基づいて、最善ではないとしても、病気を良くする努力をする義務を負います。渡邊医師は看護師からの診察要請に応えず、緊急時の対応を行うチャンスを見逃した怠慢がありました。渡邊医師は、患者の状況に応じて患者を保護するため、外出制限をする、もしくは、閉鎖処遇にする、などの適切な処置をとりませんでした」。これらはI医師とJ医師が指摘した渡邊医師の医療の問題点と不作為です。渡邊医師は、患者に対する診断を、適切に行わず、事実を否定し証拠を変更しました。この精神科主治医の行為は、精神障害の診断を通して入院治療を支配されている精神障害者には深刻な人権の問題が付随します。渡邊医師は野津純一に対して重大な背信がありした。
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