第67回 「想像力と共感力」について
皆さんこんにちは。今回も連載をご覧下さりありがとうございます。
今回は、雑誌「プレジデントファミリー」12月号の記事をご覧になり、初めてこの連載をご覧下さっている方もいらっしゃると思います。アクセスに心からお礼申し上げます。また、今後とも末長く、ご愛顧よろしくお願い致します。
私に関しての詳しい話題は、著者プロフィール欄をご覧下さい。また、雑誌の掲載記事「スポーツ推薦で高校進学して大丈夫ですか?」に関連する話題は、連載第39回をご参照下さいますよう、お願い致します。
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今回は「想像力と共感力」について考えます。
生徒たちの書く文章は、たとえ数行の内容でも、その生徒の国語力や思考力が見て取れます。
私は、茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」をよく教材で取り上げています。中学・高校の国語(現代文)の教科書に掲載されている作品です。
太平洋戦争当時、女学生だった作者は、戦争で青春を奪われ、周囲の男子は、大半が出征して周りからいなくなります。それもこれも日本の勝利を信じてのことだったのに、突然敗戦を言い渡され、信じられない思いと怒りがこみあげます…しかし、作者は、「だからこそ長生きし、その分楽しい人生を過ごそう」と決意します(実際に茨木さんは79歳で他界されました)。
生徒たちと同世代の者が作品の主人公なので、生徒たちの現在の生活と比べて説明していくのですが、「学校に来ても勉強はもちろん、部活もできない、工場や畑で働かされる」などと話していくと、次第に生徒たちの顔色が変わります。
最後に感想を書かせるのですが、その内容に年々変化が生じていると感じます。
「自分は戦争のない時代に生まれたのだから、精いっぱい自分のやりたいことをしたい」、「作者はかわいそう」、「自分が当たり前のようにできていることは、当たり前ではないとわかった」などと書いている者は減り、ただ詩の内容を挙げて説明している者、もっとひどい場合、小学生の書いたものと見まがう内容しか書けない者もいます。これでは、感想を誘導しないといけないのかとさえ思ってしまいます。
同様に、読書感想文も稚拙なものが目立ちます。本の内容に対し、「自分ならどうするか」、「自分の立場で考えると」と想像した上でのアプローチができていないのです。
このことにはいくつかの原因があるはずで、たとえば、さまざまな世代の他者との関わりが少ない実生活で、思いやりを意識することがない、少子化ですべて周りが何でもしてくれるので、周囲への思いやりの気持ちがはぐくめない、また、それまでの学習で「毎月○冊本を読みましょう」などと、多く読むことに重点が置かれ、内容に対し深く考える習慣ができないまま成長した…といったことが考えられます。
この傾向が一時的なものなのか、まだ判断できかねますが、このような、生徒の「他者(相手)の立場を想像して、その視点で考えられない」ことに、私は強い危機感を抱きます。
というのは、日本人は、他者(相手)の考えを察して気配りする「おもてなし」の心を持つことが大きな特徴で、それがサービス業などで「きめ細やかな心遣いをしてくれる」ことで高い評価を得ています。しかし、「他者(相手)の立場で考えられない」まま社会に出れば、一からこれを習得せねばならず、場合によっては業務に不適格だとされることもあるのではないかと思うからです。
他者(相手)の立場に立って考えねばならないのは、サービス業に限らず、介護など、多分野に渡っており、日本の今後の産業で重視されるものです。更に、「ユーザー(受け手)の立場に立ち、本当に必要なもの」を考えた結果、問屋や農協を介さない商売が好評ですが、これらも、「相手の立場で考えた」からこそ生まれるものです。想像し、他者(相手)の不便さなどに共感したから生まれる、とも言えるでしょう。
他者(相手)の立場で考える想像力・共感力に乏しい者が増えたら、日本人の長所はどうなるのでしょうか。日本人の良さの低下は、日本の危機につながりはしないでしょうか。
目の前の生徒だけで、日本全体の生徒たちを論じようとは思いません。しかし、私の指導している生徒は、大半が大学に進学します。このまま成長できなければ、彼らは就職できないのではないか、と気がかりでなりません。そして、フリーターやニートで生活が固定すれば、税金も少額しか納められず、自立できるほど稼いでいないので、親の扶養から抜け出せません。最終的に生活保護などを受けることにでもなれば、日本の国力を脅かす存在になります。
今年の夏以降、「親の死亡を届け出ず、年金で生活していた無職の子ども」が逮捕される事件が各地で相次いでいますが、子どもが自立できなければ、そのようなことにつながらない保証は、どこにもないのです。
また、視野を広げれば、「他者(相手)の立場で考える」のは、webの掲示板・ブログなどで他人を中傷することなどはもってのほかだということもわかるはずです。こういった点は、ネット・メールの使い方なども含め、多角的に指導していく必要があります。(ネットの使い方などに関しては、また改めて触れます)この点の認識がおろそかですと、法的トラブルを招くことにもなりかねません。
なお、これらの力は、決して自己を犠牲にするのではなく、自分を尊重しつつ、周りとの調和を図りながら養っていくべきものです。自分を押し殺しなさい、というつもりはありません。
私がこのような話題を取り上げて、皆さんに関心を持っていただきたい主な理由は、「思春期は社会へ出る前の大事な下地作り」だと考えるからです。社会に出てから学ぶべきことも多くありますが、その前に、根本的な性格や考え方などが偏っている者、学力が極端に低い大学生などの場合、今は社会人になることが難しいと感じます。
これは、それまでの教育費が多ければ良い、というものではなく、「どれだけ考えて行動し、生きてきたか」にかかっている、と感じています。「想像力・共感力」も、その「考えるべきこと」であると思います。
私が想像力や共感力作りで、おすすめしたいのは、「ノートに本・映画・音楽・映画・演劇などの感想を書きとめること」です。大きなニュースについての感想も加えても良いでしょう。
手前味噌で恐縮ですが、私がブログで書くライブなどの感想に、関係者やファンの皆さんから多く好評のお声をいただきます。公式サイトで紹介して下さるアーティストご本人もいらっしゃいます。
自分では、このような感想をいただけるとは、まったく思わずに始めたことでしたので、今でも、大変嬉しく、また、ありがたく思いながら書いております。
今振り返ると、この下地になったものは、「感想などを日記に書きとめていたこと」だったと感じます。書きとめることで、何に感動や共鳴をしているのか気づき、また、そこから実生活へ目を向けると、自分の問題点や好きなこと、また、世の中の風潮や改善点などが見えてきたのです。そして、これが、結果的に今の仕事や活動につながっています。
どのようなことであれ、書き、考える作業を少しずつでも継続していけば、自分の課題や興味・関心、そして、進むべき道が明確に見えてくるのではないでしょうか。
今はブログやmixiなどのSNSの日記もありますが、子どもに予備知識なくネットの使い方を教えるのは危険極まりないですし、親御さんも率先して、「本、映画、音楽などの感想をノートに書く」ことをなさってみて下さい。
書く内容は、数行で構いません。
・作品名・日付。
・良かったこと、感動したこと。その理由と、作品内の言葉や詞
なども覚えていればメモする。
・矛盾などを感じたこと。その理由。
・自分や周囲の生活に生かせそうなこと。その理由。
このようなことで良いのです。理由を書くのは、考えることで、書く内容が一過性の印象だけで終わることを防ぐためです。
内容を後日読み返すと、忘れていたことや、新しい発見などもあると思います。そこから実生活でのヒントになることを得る場合もあるのではないでしょうか。
想像力も共感力も、簡単につく力ではありません。でも、生きていく上で、大変重要で、そして、その人の人生を必ず豊かにするものです。長期的視点で考え、力をつけられるようにしていただけたら、と思います。
もちろん、ご相談などはいつでもお待ちしております。困られた時はいつでもご連絡下さい。
【今回のまとめ】
- さまざまな世代の他者との関わりが少ない実生活や、読書感想文でも「多読」奨励に重点が置かれているなどのことが原因か、小説や詩などを読んでも、「自分ならどうする」と置き換えて考えられない、想像力や共感力の低い生徒が目立つ
- 仕事では、「他者(相手・受け手)がどう思っていて、相手の立場ならどうしてほしいのか」考えて行動することが重要。サービス業や介護に限らず、問屋を介さない商売など、このような視点が重要。また、webでの書き込みやブログでの発言など、想像力や共感力が欠けていると、相手を不快にし、最悪の場合訴訟などの法的トラブルになることもある。社会で生きていくうえでこの2つの力は欠かせない
- 他者を尊重するというのは、自己を犠牲にするのではなく、自分を尊重しつつ、周りとの調和を図りながら、自分を生かせる道を探したい。思春期は社会へ出る一歩手前、下地作りが大事
- 本や映画などを見て、数行で良いので心に残ったことを書く習慣を持ちたい。多く触れるのも大事だが、考えることから発展していく物事が実は重要
2010.10.21 掲載
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