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≪お詫びと訂正≫
『努力する人間になってはいけない』の初版本に誤植がありました。 P278 後ろから5行目 1986年とあるのは、1868年の誤りです。 お詫びして訂正いたします。 ■本書の内容哲学者であり、教育者でもある芦田宏直先生が2001年以来書き続けてきたブログ記事や、専門学校校長時代の式辞、2010年の講演録などを大幅に加筆・修正してまとめたものです。「教育とは<新人>の産出・発見」という筆者は、若者に勉強や仕事の本質をわかりやすく説く一方で、個性重視の教育や、「キャリア教育」「コミュニケーション教育」に力を入れる教育の現状を鋭く批判します。さらに、読み進むにつれて内容は深みを増し、現代に蔓延する「機能主義」の問題点、独自の視点で見たツイッター論、ハイデガーの説を解釈した「新人論」まで、読む者を「知」の世界にいざないます。 仕事や勉強への心構えが変わる提言から、思わずホロリとするいい話、理解できそうでできない頭の中をひっかきまわされるような内容まで、何度も読み返したくなる、中身がぎっしり詰まった1冊です。 ■津田大介氏の推薦文
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第1章 |
努力する人間になってはいけない —— これから社会人になるあなたたちへ |
■努力する人間になってはいけない | |
■イノセントであってはならない | |
■単純な仕事にほど差異がある | |
■マーケットは会社の<外部>にあるわけではない | |
■<顧客満足>とは何か |
第2章 |
掛け算の思考 割り算の思考 —— これから勉強を始めるあなたたちへ |
■自立してはいけない | |
■掛け算の思考、割り算の思考 | |
■読書<初級><中級><上級> |
第3章 |
就職活動への檄20箇条 —— 大きな企業が有利な本当の理由 |
■「一流」とは何か | |
■就職活動、出陣の言葉 —— できるだけ大きな企業を目指しなさい | |
■就職活動開始の学生諸君に贈る「就職活動への檄20箇条」 | |
■八王子・大学セミナーハウスの青春 —— 進路とは進路を考えなくても済む専門性を身につけること |
第4章 |
「読書」とは何か —— 本を読める人はわからないことを恐れない人 |
■読書の方法と無方法 —— なぜ読めないのか | |
■テキストを読むとは、何を意味するのか —— 福沢諭吉『独立のすすめ』感想文コンクールの審査結果が発表されました |
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■「コピペ」は本当に悪いことなのか —— NHK「クローズアップ現代」の視点は不毛 |
第5章 |
家族は「社会の基本単位」ではない —— 家族の社会性と反社会性について |
■小田急線の少年に出会う —— 大人と子供との出会いがこんなにも楽しいなんて(春は近い) |
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■予備校営業が突然家にやってきた —— リビングの家族の顛末 | |
■老兵は消え去るのみ —— 息子の太郎がわが家を巣立つ | |
■散髪屋にて —— 勤労感謝の日を祝して |
第6章 |
なぜ、人を殺してはいけないのか —— 愛の自由と出生の受動性 |
■なぜ人を殺してはいけないのか —— 一つの<責任>論 | |
■人間の病気は、機械の故障と同じではない | |
■コミュニケーションは沈黙の中にある | |
■女性とは何か —— 女性にとって男性とは何か |
第7章 |
学校教育の意味とは何か —— 中曽根臨教審思想から遠く離れて(個性・自主性教育はいかに間違ったのか) |
■学生は〈顧客〉か —— <学校教育>とは何か | |
■学校教育と生涯学習と家族と —— 中曽根臨教審思想の呪縛(学ぶことの主体とは何か) |
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■<シラバス>はなぜ機能しないのか —— 大綱化運動の経緯と顛末 | |
■大学全入時代におけるカリキュラムとは何か(インタビュアー・田村耕太郎) |
第8章 |
キャリア教育の諸問題について —— 学校教育におけるキャリア教育とは何か(ハイパー・メリトクラシー教育批判) |
■接遇=コミュニケーション能力と専門教育と —— キャリア教育は本来の学校教育を衰退させる |
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■大学における「キャリア教育」の行方 —— 就職センターの充実する大学はカリキュラム改革に向かわない |
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■なぜ専門学校は「コミュニケーション能力」に走るのか —— 技能教育と技術教育とハイパー・メリトクラシーと |
第9章 |
ツイッター微分論 —— 機能主義批判と新人論と |
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■気仙沼はどうなっているのか… ——「港町ブルース」と大震災 | |||||||||||||||||||||||||
■機能主義とメディアの現在 —— 学校と仕事と社会の新人論(講演)
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第10章 |
追悼・吉本隆明 —— 機能主義批判としての言語の<像>概念 |
■吉本隆明、NHK出演その後 —— 自己表出の「沈黙」は唯物論的であることについて |
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■「検索バカ」と「自己表出」の反ファンクショナリズムについて | |
■追悼・吉本隆明 |
著作・作品・その他の索引 | |
人名索引 | |
欧語索引(ABC順) | |
索引(五十音順) |
●書名にもなっている「努力する人間になってはいけない」。この話はともに大学を卒業した友人にもっと早く読ませたかったです。友人は、周りの人間の仕事ぶりに常に不満を述べ、自分の方が時間がかかっても正確にできるのに…と言い続け、同僚との間に軋轢を生み、体調を崩し、3年前から引きこもってしまいました。結局世の中のことを色々考えたつもりになっていた友人は、一番いけないやり方で自らをダメにし、今も世を恨んでグズグズ言っています。正直親友だと思っていたので彼の凋落は見るに耐えません。この「努力する人間になってはいけない」の言葉は今の彼にはことごとく突き刺さっていくものです。それでも彼に読んでもらいたいと思いました。(30代・小学校教師)
●7章、8章はこれから教育改革に関わろうとする大学関係者必読。文科省の関係者にもこの本を配ってほしい。(30代・大学教員)
●先生の文体がとても読み手に優しくて、ついついすらすら読んでしまい、しかしとても心に響く本です。うっかりと喫茶店で読んでしまい、涙が止まらなくなって恥ずかしい思いをしました。
また、再度読み返すと、また違ったように読めてきて、解った気にさせられるのに、一度読んだはずなのに違う理解になるという、とても素敵な本です。そういう観点では聖書に通じるものを感じます。(30代・主婦)
●「<顧客満足>とは何か」は、自分が社会に出たてだから、自分の立場と重なって、面白いと言いますか、心にぐっと来ました。(20代・公務員)
●私にとって宝物となる書物の条件は、いつどんな時に本の小口にふれた親指が開いたページを読んでも、その時ごとに面白く感慨深く読める内容であることです。初めから読まないとダメ、という本もあるのかもしれませんが、偶発的に開いたどのページにも魅力が感じられる本が好きです。芦田先生の本はそういう本だと思います。(40代・アロマセラピスト)
●後半に進むに従って難しくなっていって、なんとか解読してやろうという気になる。
分からないから面白いと言いますか、何度でも読めると言いますか……うまく言葉に出来ませんが。(20代・大学生)
●綺麗ごとだけで埋め尽くされている世の仕組みや問題の本質を独自の視点と切り口で指摘されている点に刺激を頂いております。近い将来訪れるであろう日本人平均年収200万円〜300万円台の時代に備え、現代の社会や経済を担っている我々世代が、後世に何を創り残していけるかを考える切っ掛けになる本だと感じてます。(30代・会社員)
●式辞やブログ・その他の記事をまとめただけの本にはないスピード感があって、とても心地よく読む事ができました。多分章の展開がとてもよくできているのだと思います。式辞から始まるので、どんな人でも内容が理解できる本なのかと油断してつい勢いで奥まで進んでしまって、最後の機能主義批判のあたりで著者のストックの豊穣さに唖然として突き放される、そんな印象を抱きました。第9章、第10章は正直一度読んだだけでは十分理解はできませんが、機能主義的心理学者としてはしっかり受け止めるべき内容だと感じます。結局、インプットとアウトプットの<中間>をどうとらえるか、ということが重要なのだと思いますが、心理学はそれを脳の情報処理の話でごまかしているんじゃないかと思っています。もちろんそれは「科学」としては正しい道なのですが、さて、心理学は科学だろうか、とつい立ち止まってしまいます。
「走り出そうとしている人」の話が著者の新人論と結びつくあたりも興奮します。そして、「多数決主義の機能主義には<新人>は発見できない」と言われて、われわれ進化論をベースにする心理学者は、困ってしまうわけです。こういうふうに自分たちの限界を知らされる本というのは普段触れることがない(心理学者はハイデガーなど読まないし)ので、最後まで一気に読み進めることができました。今は気になったところを再度読み直しているところです。(30代・大学教員)
⇒川谷茂樹氏(北海学園大学・教授)の書評
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