例えば、
(1) 彼の目線はするどい。
といった発言や文章を目にしたとき、この中の「目線」をどう解釈するか、二通りあると思われる。彼の目つきがただものならないという意味なのか、何かに関する物の考え方が他人(ひと)をして感心させるのかである。
21世紀に入るころまでは、筆者は「目線」というともっぱら前者の意味だと思っていた。後者の意味の場合は「視線」を使うものだとばかり思っていた。
森山卓郎(1987)による「目」を使った慣用句の説明では、「目をそらす」「目を盗む」「目が合う」などの表現を「視線」とカテゴライズしている。これらは目つきの方のいろいろな表現のはずなのだが、「目線」ではなく、「視線」でくくっている。つまりこれは、メタ言語としては「目線」が適切ではなかったことの証左と言える。
冒頭の文を発展させ、
(2) サブカルチャーに対する彼の{視線、目線}はするどい。
とすると、「目線」はますます落ち着きが悪いと筆者は思っていた。
ところが、21世紀突入以降、「目線」でも違和感がなくなり、現在ではむしろ「目線」の方が多く使われるようになっている。
政治経済が主体の新聞の一面でも、
(3) 民法 消費者目線で改正 (2014年8月27日 朝日新聞見出し)
と、使われるようになった。 (つづく)
[参考文献]
森山卓郎(1987)「慣用句」『ケーススタディ 日本文法』桜楓社
2014.10.15 掲載
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