(前回からつづく)
ともあれ、「写メ」は市民権を得てしまった。今のところ、「写メ」はケータイ(スマホを含む)で写真を撮る時に用法が限られているようだ。写したデータを印画紙に焼き付けた時は「写真」、それを製本して出版する場合は相変わらず「写真集」だ。
しかし、世代交替が進むにつれ、「写真」という言葉が忘れ去られていく可能性はある。
真実を写す「写真」という言葉がどんどん廃れるのは淋しい気もするが、「写メ」には「写真」にはない独特のニュアンスもある。たまたま「メ」が「目」と同音なので、「(自分の)目で写す」感覚にもなるのだ。
本来、メールの原語はmail[meil](英)であるから、二重母音が含まれている。しかし、他の多くの外来語と同様、日本語話者は二重母音という意識がなく、「エイ」という連母音だという意識もない。カタカナ化した場合はほとんどが「メール」で、表記も発音も「メ」の長音扱いだ。この最初の「メ」だけが略語に採用され、「写メ」となった。今後だんだん、「写目」だと思う人も増えてくるだろう。
昔のカメラだと目をファインダーに接触させてカメラの向こう側を見たものだが、今のケータイでは(だけでなく、デジカメでも)機器に目を接触させる必要がないため、自分の目で見たそのままを写しとる感覚になる。
自分の子どもの運動会などで、写真やビデオ撮影に夢中になっている親を揶揄して、「もっと現実を見てあげるべきだ。」という論調が高まった時代があった。しかし今や、そのようなことはあまり言われなくなった。現代ではファインダーに目を接触させていないためかと思われる。自分の目で実際の子どもを見ながら、映像をモニタリングすることが出来る。
「写メ」という言葉が大手を振る所以(ゆえん)であろう。
しかし、今のところ、「写メ」は「自分または仲間が非公式に写した、あるいは写された場合の表現」に限られている。
*こんどお見合いのための写メを撮らなければ。。。
とか、
*入学(社)願書に貼る写メはきれいに撮りたいね。
などとはあまり言わないし、
*次のアルバム・ジャケット用に写メを撮り下ろしたAさん(歌手)
とも言わない。
グラビアアイドルのポートレート集は当面は今後も「写真集」であろう。(おわり)
[参考文献]
町田健・籾山洋介(1996)
『日本語教師トレーニングマニュアル3 よくわかる言語学入門』バブルノベルス
2014.8.15 掲載
|