2012年12月の衆議院議員選挙の際、日本維新の会、太陽の党、みどりの風などがマスコミによって「第三極」と名付けられた。改選前の与党である民主党、野党第一党の自民党に続く第三勢力という意味である。「第三極」各党は選挙直前に雨後の竹の子のごとく乱立、鵜合離散(?)した。
伝統ある社民党、共産党を差し置いて、これらの党が第三の勢力ともてはやされるのは1970年代に政治の季節を見た筆者に隔世の感を抱かせた。しかし、「第三極」は見事に既成勢力に敗退し、さらに2013年7月の参議院議員半数改選の際、この言葉は死語になったかのような扱いを受けた。民主党の勢いが衰え、「第三」と称する必要がなくなったからだ。
この、あだ花のように散った「第三極」という言葉を検証してみよう。
元々、「極」という言葉は政治思想の世界では「極左」、「極右」という言葉に使われてきた。考え方が現実の世界に合わないような右翼、左翼政党を呼ぶ時だ。
21世紀に入ってからは選挙のたびに出馬する左右の泡沫政党が影を潜めたため、「極左」、「極右」という言葉も見かけなくなっていたが、2013年5月、久々に「極右」発言が飛び出た。
橋下徹(大阪市長、日本維新の会共同代表)氏による「従軍慰安婦はどこの国でも必要だった」発言を受けて、細野豪志(民主党幹事長)氏は、ここぞとばかりに「維新の会は極右だ」発言をし、久々に「極右」という言葉が一般紙を踊った。
政党の性格を左だとか右とか数十年前までに比べて近年はあまり言わなくなってきていたのだが、数年前からの領土問題再燃に絡んで、ネトウヨ(=ネット右翼)という珍奇な新語も生まれている。
そもそも、この左、右という呼称はフランス革命時の議会での呼び方に端を発する。
それまでの王政を完全否定して市民による主権を獲得するジャコバンクラブの民主派(進歩派)を左翼と呼び、議会決定に対して王の拒否権を一部残そうとする王政派を右翼と呼んだ。
進歩派の方は国王の拒否権を認めない上に一院制を主張し、保守側(王政派)は議会決定を国王が拒否できる権限を持つと共に二院制議会を主張した。
一見、二院制の方が民主的のように勘違いするが、この時代の考え方としては貴族院(貴族と僧侶代表)と庶民院(平民代表)の二院という意味だから、身分差をなくして一院にする方が民主的、進歩的なのだ。(つづく)
[参考文献]
浅羽通明2006「右翼と左翼」幻冬舎新書
安藤正勝2008「物語 フランス革命」中公新書
2013.8.15 掲載
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