携帯電話は老若男女にとって、日常必需品となり、災害時には一時的には送信不能になるけれども、安否確認や九死に一生を得る手段にもなることがある。
携帯電話のことを「ケータイ」と呼ぶのに、未だに抵抗を覚えるのは私だけかもしれない。私も、会話ではもっぱら「ケータイ」と言っている。「ケータイデンワ」は発音するのに長すぎるから。
でも、文章中で「携帯」と書かれているのを見ると違和感があり、「ケータイ」なら新語として、まあ、許容できる。
もちろん、携帯**という道具が携帯電話以外にたくさんあるからに他ならない。携帯時計(古いタイプの電車の運転手が持っている)、携帯灰皿、携帯吊革(確か発売されたことあるんですよ、これ)。。。しかし、携帯電話以外のこれら携帯グッズはそれほど普及していないので、世間の人は気にならないのであろう。
どうして、主名詞(電話)を完全に省略して修飾語句(携帯)だけ残すのであろう。主要部(電話)の本来の機能明示がなくてよいのか?人々の生活で、修飾語句の方が普通の生活の手段になってしまったからであろうか。スーパーマーケット→スーパー然りである。
さらに、「ケータイ」の機能が電話以外にもメール、写真、ゲーム。。。とどんどん機能が広がってしまったからかも知れない。
あるいは、ピアノフォルテ→ピアノのように並列の言葉で、単純に順番として前の単語を残したに過ぎないのかも知れない。
「弱く強く」弾ける楽器がどうして「弱く」だけになってしまうのだ?修飾語句とか、主要部とか関係なく、人々は単純に語順が早い単語を残しているのだろうか?
外国語では、「携帯電話」を省略してどう言うのか調べてみると、
【傾向1:携帯+電話 →携帯】
[英語]・・・cellular phone →cellular
[デンマーク語]・・・mobil telefon →mobil
【傾向2:電話+携帯 →携帯】
[ベトナム語]・・・dien thonai camtay →camtay(手持ち)
[ヘブライ語]・・・telefon-selurari →selurari
つまり、修飾語句が前に来ようが後ろに来ようが、省略されて残るのは修飾語句の部分だ。
一方、「ケータイ」には前述した機能以外にも、ワンセグTV、番組録画、買い物決済、身分証明、災害時伝言板等々、数々の機能がどんどん付加され、最近の地震発生時にも大いに役立っている。ケータイ「電話」と呼ぶ方に違和感を覚えるのが普通になってしまったのだろう。
いずれにしても、人々の思考回路に論理が無意識に働いているということだ。
[参考文献] 窪薗晴夫 2002:「新語はどうして出来上がるのか?」岩波書店
2011.3.15 掲載
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