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Vol.28 - ちょっと番外編です。今回は"秋葉原の事件に関して"
全ての孤独な友たちへ、というタイトルで文章を書いている以上、書かなくてはいけない、
書かなくてはいけないと思いながら、なかなか書けず… しかし、書きます。。。
* * *
2008年6月8日 秋葉原で一人の孤独な者が爆ぜた。
様々な表現方法があるなかで、この爆ぜたという物言いが一番似つかわしい気がする。
ちなみに"爆ぜた(はぜた)"と読む。
この事件に関して思うことはひとつ。
そうか…お前、スイッチ切れなかったか…。
この事件を耳にした時、すぐこういう光景が頭に浮かんだ。
それは僕が高校生の時の風景。
クラスの中に一人、完璧に孤独な者がいた。
僕は孤独だ、孤独だと言いながらも、話くらいするやつはいたりして、申し訳ないけど完璧に孤独ではなかった。
でも彼は違った。本当に孤独だった。
誰にも相手にされていなかった。
彼はそんな自分がすごく嫌だったのだろう、必死に笑顔をつくって人の輪に入ろうとしていた。ものすごい無理をして自分を売り込もうとしているようにも見えた。
まるで、そうでもしないと自分は一秒たりとも生きていけないのだという形相をして、必死に道化てたりしていた。
そんな彼のことを、僕はただ見ていた。
その頃の僕は幸か、不幸か、友達なんか別にいなくてもいいのだという変に達観している部分があって、また、その頃にはもう、僕の勝手なオリジナル理論『凹凸理論』というのが完成してしまったりしていて、そんな僕には、その孤独な者がひどく幼稚に見えていた。
※凹凸理論 … これは僕が思春期を通して勝手に構築した理論なんだけど、世の中には凹のタイプの人間、要は形を見ればわかる通り、へこんでいて、誰かを受け入れてなりたつタイプの人間と、凸のタイプ、とがっていて、誰かに何かを与えることで、なりたつタイプの人間がいて、自分がどちらなのかということを正確に認識しないと、人は不幸になるという考え。
僕は若い頃、いつも"どうして僕は人から誘われたりしないのだろう?どうしていつも一人ぽっちなのだろう?"と悩んでいたんだけど、それは簡単にいうと、僕は凸のタイプの人間なのに、凹のタイプだと勘違いして生きていたからと僕は判断したんだよね。凹の人は、何もしないでも誰かに誘われたりして人生が動いてゆくんだけど、凸の人は自分から誰かを誘わないと人生が動かない。このことを理解してから僕は生きるのが凄く楽になった。寂しがってる暇はない、自分から誘え!!って。
しかし、そんな必死に道化る彼の努力が報われることはなかった。
人は本能的に道化て近づいてくる人間を嫌う。
彼はただ気持ちの悪いやつということで、軽く見られ、群れからさらに離されていった。
僕は何度かそいつと目が合うことがあった。
その目にはあきらかにSOSがうつっていた。
だけど、その頃の僕は冷たかった。
いや、自分を保つのに必死で、正直他人のことを考える余裕なんかなかった。
だから無視した。
無視するどころか、この甘ちゃん野郎!!という気持ちで、てめえはてめえで勝手にやれ!!俺は俺で必死なんだと思っていた。
そして、ある日の昼休み。
吐き気がしそうなほどダラダラとしたいつもの教室の空気の中。
あの事件は起こった。
彼が突然、爆ぜた。
椅子をけとばし、テーブルを投げ飛ばし、誰も予想しないタイミングで大暴れしだした。
当然のことながら女子はキャー!!となり、男子たちはただ訳もわからず呆然としていた。
そして皆、同じことを口にした。
"なんなんだよ、あいつ。危ねえなあ…"
僕はこの時、その光景を見ていて、ただこう思った。
"そうか… やっぱり耐えられなかったか…"
今でも、その時のあいつの血走った泣きそうな目を覚えている。
この時の風景と、今回の秋葉原の事件とが、どうにも僕の中でだぶる。
犯人を擁護するつもりなんかないし、一人の親として、ただただ被害者、そしてご家族のかたに同情もする。
だけど、だぶる。
犯人は何を考えていたのか?
ありとあらゆるメディアが、視聴率を、週刊誌の売り上げを伸ばしたいというクソみたいな経済効果を理由にして、人の心を踏みにじるように走り回る。
TVのニュースキャスターが、ラジオのDJがしたり顔でしゃべりやがる。
だけど、僕は本能的に感じる。きっとお前らは、あの時の教室で"なんなんだよ、あいつ。危ねえなあ…"と言ってたやつらなんだろう。
きっと、あいつらには、どうやったって理解できない。
僕は昔、職もなく、金もなく、友達もなく、恋人もなく、ただ、母親と二人狭い団地にいたことがある。確か23才くらいの時だ。
やることがないから、本を読み、酒を飲み、古本屋で安い100円くらいのエロ本を買ってきてオナニーして寝る。ただそれだけの毎日だった。
そういう生活をしていると、生活の時間軸というのは、ものの見事にずれていき、朝方まで起きていて、夕方まで寝るというのが普通になる。
僕は夜明けの風景を団地のベランダから見ながら、いつもこう思っていた。
"いっそ、世界がぶっ壊れちまえば、少しはこの退屈がまぎれるのに。"
こういうことを、本気で考えていた。
関東大震災が今、起きたなら、俺は嬉々として廃墟の中を生きてみせる。とかそんなことばかりを考えていた。
この犯人は、ことあるごとに携帯BBSに"彼女がいれば…恋人がいれば…"と書き込んでいた。そのことに対し、みのもんたみたいなタイプのおっさんがこうのたまう。
"たかが、そんなこと…"
だけど、僕はこのことを"たかが…"とはとても思えない。
ある種の人間にとって、ある一時期、恋人の女性がいる、男性がいるというのは、自分の生き死にをかける重大な問題だと僕は思う。
"たかが…"と言えるのは、そういうことを、苦労することなく経験できた人間たちだ。だけど僕には、はっきりとわかる。そういうことを手にすることができない者の苦しみ、悲しみを。
事件の加害者でもなく、被害者にもならなかった人間は、この事件をどちらに偏ることなくフラットに見る義務があると思う。
火のないところに煙はたたない。
必ず火があると僕は思う。
そして、その火を探して消さないといけないと思う。
社会のせいにするなという意見もあるけど、僕は社会のせいにする必要もあると思う。おえらい犯罪心理学の先生とか、新聞社の高給取り野郎どもが、したり顔でああだ、こうだいう。だけど、僕はただ一言聞いてみたい?
"お前、本当にみじめな孤独を体験したことあんのか?お前なんかきっと2分と持たないぞ"と。
ファッキン、アメリカの政策に乗って日本は、恐ろしいくらい労働というものを破壊した。本当に見事に。大笑いしたいくらいに。
昔は良かった、なんてみんな言うんだよと言われるけど、いや、そんなことない。完全に30年前のほうがよかった。俺が7歳のころの世界のほうが絶対に良かった。
まだ街に商店街があった頃、仕事、労働というものは人間がやるものだ。というはっきりとした認識があった。そして仕事を通して、上のものは下を育て、下は上を目指し、そしてみんなで生きていこうという思いやりがあった。
少しくらい問題のあるやつでも、俺がお前をなんとかしてやるという気概を持った男たちがたくさんいた。
それが今はどうだ。
成果主義だ、なんだと外資の大バカ野郎の言いなりになりやがって、その結果、派遣会社が跳梁跋扈。何が社会の調節弁だ。何が企業のニーズに合わせて私どもはサービスをしますだ。
なめんな!
てめえら人様が生んだ大切な子供を勝手に自分たちの駒のように扱いやがって、"ひとつ屋根の下"のあんちゃんじゃねえけどよ。
やっぱり言わせてもらうぜ。
"そこに愛はあるのかい!?"
お前らは自分の息子や娘を、そんな冷たい職場に胸をはって派遣できるのか!?
…すいません、興奮しました。
とにかく思うんだけど、この犯人には"ビバーク"する場所がなかった。ビバークっていうのはいわゆる、ほっと出来る逃げ場所のことだね。
残念ながら、この犯人にはそのビバークポイントが徹底的になかった。
職場には当然ない、友人関係にもない、インターネットの世界にもない。
そして致命的なのが、彼の両親すらも、そのビバークポイントの機能を果たしていなかった。
だから犯人は、彼女を、恋人を執拗に求めた。なぜならそれが犯人の最後のビバークポイントだったから。申し訳ないけれども、僕は犯人の両親には相当の罪があると思う。それくらい親の存在というのは大きいと思う。たとえ、世界中を敵にまわしても、親だけはきっと自分の味方になってくれる。この思いがあって初めて人間は現実と戦える。いつもは厳しい親でも、いざとなったら、いつでも帰ってきていいんだよという、暗黙の安らぎのような親の存在があって初めて人間は自分の人生に恐れることなく挑戦することができる。
それがこの犯人の背景にはなかった。
そして現代は、同じようにこのビバークポイントを持たない人々が急増しているように思える。表面に立体化して出て来る犯罪はそのエネルギーの代表。
犯人と同じような負のエネルギーを持った者が何万人といることだろう。そして似たような事件もまだまだ起こるだろう。かつては、僕もその予備軍の一人だった。
だけど、だからこそ言いたい。
全ての孤独な友たちよ。
勇気を出して目をさませ。視野を変えろ。そして自動的に入ってしまった自分のマイナスのスイッチを一度OFFにするよう努力するんだ。
そしてゆっくりと周りを見ろ。
今見ている風景が全てじゃない。そんな風景ちっぽけなもんだ。
月並みな言葉だけど世界は広い。
大丈夫だ。同じようにうまく生きれなかったけれども、時間をかけて、幸せになったやつがたくさん、たくさん、いる。本当に本当にたくさんいる。信じられなかったら、僕のやっているフリースタイルライフというサイトを見ろ。そんなやつがたくさんたくさん紹介されている。
ダイヤモンドは最初、真っ暗闇の中で生まれるんだ。
孤独で誰とも話さず、日の光も一切ささない。
だけど、そんな闇に生きたからこそ、そんな闇に生きた時間が長かったからこそ、ダイヤモンドは人の手の中で眩いばかりに輝くんだ。
きっと君も同じなんだよ。
きっと。うん。
次回は、また元のストーリーに戻ります。
読んでくれてありがとう。
2008.7.3 掲載
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