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Vol.7 - 夏祭り
ほっとけない世界のまずしさキャンペーン(http://hottokenai.jp/)というものがある。
TVCMなどでやっているホワイトバンドをつけようという奴だ。
3秒に一人死んでゆく後進国の飢餓状況を改善しようと世界的なムーブメントになっている。
今回この運動を知り、僕は家族分として3つ購入した。
このキャンペーンに関しては色々な意見がある。
まあ、簡単に言えば"偽善"だという意見が多い。
昔の僕なら同じことを思った。
でも今は不思議と違う。
偽善と言われようとなんだろうと、
とにかく行動する。
やってみるというのが最も大事なことだと今は思っている。
青臭いまでの正義を胸に
これが今の僕の生きるうえでのメインテーマ。
青臭くて何が悪い。
本当にそう思っているんだ。
*****
孤独なるものにとって、普通の人が楽しいと思うことが苦痛だったりすることがある。
面白いことに。
その典型が学生であれば夏休みというものかも知れない。
そして盆踊りや花火大会といった派手な行事なのかも知れない。
僕にとって夏休みは苦痛そのものだった。
なにせやることがない。
ひたすらない。
遊びに誘ってくれる友達は当然いない。
彼女なんかいるわけもない。
だからひたすら家にいる。
家でずっとTVを見ている。
ひたすら漫画を読んでいる。
ファミコンをやったりもする。
あまりの退屈感でダラダラと吸い続けるタバコに脳はしびれ、思考回路は麻痺する。
そして自分の体を鉛のように曇ったものに感じはじめる。
そして一日一日時間軸がずれてゆく。
次第次第に昼と夜が逆転してゆく。
ネガティブな考えが頭を支配し不吉な感覚にとらわれてゆく。
"死"とか"自殺"とか・・・
そんな不吉な感覚に。。。
夏休みというのはいつも孤独を再認識させられる時間だった。
孤独だ孤独だと言っても学校や色々なところで少しは話したり、仲良くなる人も現れる。
そして自分は孤独を脱したかのような気分になる。
そういう気分をいつも破壊したのが夏休みだった。
夏休みに入ると僕に会いたがる人間はいなかった。
ドラマなんかでよく、友達がプールに行こうぜとか!誘いに来るシーンを見るがそんなことは小学生以来経験したことがない。
電話だってかかって来ない。
仕方がないから僕が勝手に少し仲の良いと思い込んでいる人に電話をかけてみる。
そうすると大体、むこうの親御さんにこう言われる。
「今、友達と遊びに行っていて。。。」
この言葉は実は辛かった。
みんな、友達とかと楽しくやっているんだな….
僕みたいに孤独じゃなくて….
といつも思っていた。
そして羨ましいなと思っていた。
その頃、近所ではよく夏祭りをやっていた。
夕方になると太鼓の音とお囃子が聞こえてくる。
今の僕はお祭りが大好きなんだけど、10代の頃の僕は違った。
僕は皆が楽しそうに集まるこういう行事が大嫌いだった。
自分をのけものにして楽しそうな笑顔を見せる夏祭りというものが憎くてしかたがなかった。
だけどそれは愛憎。
愛しいがゆえに憎い。
好きがゆえに嫌い。
僕は嫌いだ嫌いだと言いながらよく一人で祭りへ行ってみたりした。
こっそりと。
盗み見るように。
目に入る女の子たちの浴衣。
日焼けしてたくましく見える同年代の男の子。
それら全ての光景が提灯の淡い光と混じりあって眩しく思えた。
そしてそこに夏の熱波が加わり僕の心に中にとげとげしいナイフのようなものを生んだ気がする。
そして僕はその幸福な光景を前にいつも決まって逃げ出した。
自分の孤独をつきつけられ耐え切れず走り出した。
どうして自分は皆のように生きられない….
どうして僕だけこんな思いを….
そう思いながら泣きながら家路につく。
でも家にも帰りたいわけではない。
帰って親と一緒にいるということも、これまた苦痛。
恥ずかしくて発狂したくなるくらいの苦痛。
だから僕は夜の街を徘徊する。
一番安いハウスワインを片手にラッパ飲みしながら夜の公園に行ったりする。
そしてベンチに座り月と話す。
ああ、お月さん今夜も綺麗だねと言ったり。
なあ、お月さん俺ってダメなんだ…笑ってくれよ…
と夜中の公園で酔っ払ってバカ笑いしてみたり
警官に尋問されることも珍しいことではなかった。
公園に行くと不良グループがいたりすることもあった。
でも僕は不良にもなれなかったから、彼らの姿を見ると恐ろしくて逃げた。
そんなふうに、どこにも属すことが出来なくて、ありとあらゆる人の群れに羨望と恐怖を感じる。
そんな17才だった気がする。
今でも夏祭りを見ると胸のどこかが少し痛い。
2005-8-2 MIZK
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