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偏差値27男MIZKの全ての孤独な友たちへ-流浪の青春記-
Vol.4 - 不良にもなれなくて
僕は幼馴染とか、小中学生の頃から仲がいいとかいう友達を持っている人をとても羨ましく思う。
理由は簡単で僕にはそういう友達が一人もいないから。
本当に笑っちゃうくらいいない。
だから盆や正月に実家に帰っても会う人なんかいない。
ただ一人街を歩き、ああ、懐かしいなとか、ここであんな嫌なことがあったななどと遠い目をしながら思う。
そして決まって最後に、ここまで生きてこられたことに感謝する。
本当に砂を噛むような出来事の連続だったけど、ビクビクすることもなく堂々と街を歩ける今の自分がいることを嬉しく思う。
色々な出来事のせいで思春期、真っ只中の時は街を歩くことが怖かった。
また誰かに嫌な思いをさせられるのではないかといつも、怯えながら隠れるように街を歩いていた。
そんな僕が今は自分のスタイルで人生を歩んでいる。
すごく嬉しい。
そう言えばこの前、昔の僕のことをさんざん馬鹿にした人のことを偶然、街で見かけた。
すごく老けこんで覇気のない顔をしていた。
そしてストレスからだろうかすごく狡猾そうなズルそうな顔になっていた。
疲れきったサラリーマンという感じの典型的なスタイルで、一瞬、僕と目が会ったが相手は僕に気づかなかった。
中学生の時は女の子にもモテモテで学年のヒーローみたいなやつだったのに。
僕と同じまだたったの35歳なのに。
生きる屍みたいに感じた。
人生はわからない。
断言する。
人生はわからない。
ヒーローがそのままヒーローになんかならない。
脇役だったものが次のヒーローとなることが人生には往々にしてある。
だから現在進行形の孤独な10代の友たちよ!
あと10年は粘れ!!
そうすればきっと新しい視野が開ける。
そんなことを思った。
***
ロックと出会った高校生の頃の僕は、まあ、あれよあれよという間にはたから見ると堕ちていった。
髪は金髪。眉毛はどんどん細くなり。寝不足とその頃から始めた深酒で顔色はどんどん悪くなり、目の下は真っ黒。
いわゆるジャンキーのさまを呈していた。
そんな僕にまわりの大人たちは当然、不良の烙印を押した。
だけど僕からしてみれば僕は全然不良なんかじゃなかった。
それを証拠にそんな風貌になっても、学校にいる不良グループには入れてもらうことが出来なかったし、それよりも"何だあの不気味なヤツは"みたいな見られ方をしてさらに孤独を進行させていた。
そして当の僕はただひたすら怯えていた。
簡単に言えば学校にいる他の生徒たちの存在が怖かった。
いつまた僕に対して攻撃をしかけてくるのかとありもしない妄想に常に怯えていた。
そしてその怯えに対抗するために僕はますます髪の毛の色を抜いていったり、眉毛を剃ったりしていた。
そういうふうに自分は強いんだぞと武装することによってようやく僕の精神のバランスは保たれていた。
その頃の僕はまだまだとても弱かったので、どこかに属していないと言うことがすごく怖かった。
どこかに属していないというのは、ダメなことであって凄く不安なことであるという植え付けが僕の心にはあった。
大人になった今では逆にそういう奴のほうが何者かになるチャンスが多いんだよ!と自信を持って言うことができるが、その頃の僕にそんなことを伝える術もない。
だから、不良にもなれない、優等生にもなれない、普通の生徒にもなれない。という状況は僕の中では最悪だった。
その頃、アイデンティティーという言葉が流行りだしていて、僕は馬鹿のひとつ覚えのようにその言葉を口にしたもんだが、でも、まあ、確かにあの頃はアイデンティテークライシスであったのは間違いないのかも知れない。
簡単に言えば存在の危機。
確かに存在の危機だった。
そして自分の存在意義や存在場所を確保出来ない僕は、次第に学校という場所に行かなくなる。
学校に行かずにに何をしていたかな?
その辺をふらついていたのかな。
確か朝、家を出て公園で昼寝したりタバコを吸ったりして過ごしていたのかな。
海が近かったからひたすら海を見ていた気もする。
そしてたまにパトカーに捕まって補導されたりして。。。
(※たしかタバコを自分で握りつぶさせられるんだよね。"潰せ"って! あはは。今もそうなのかな。)
そんな無為な時間をたったひとりでよく過ごした。
なんでこんな僕になっちゃったんだろうと泣きながら過ごした。
学校を退学しようかともよく思っていた。
行っても生きた心地のしない学校なんだから、もう辞めてしまおうかなともよく思っていた。
そんなことをポロっと母親に言ったら母親は泣いて反対した。
そのあまりの迫力に母一人子一人の僕はさすがに抵抗できなかった。
今、思えばありがたいことだと思うけどね。
あの時、高校を辞めていたら僕の人生はどう変わっていたのだろう。
何となくあまりいい方向には行かなかった気がする。
なんとなく。
そんなこんなで仕方ないので僕は学校には行くことにしたが、朝から夕方まで行くのは辛くて仕方がないので、勝手に授業単位制というのを導入した。
これは、どうやら高校の規則を調べると授業の3分の一程度出席してテストをクリアーすれば卒業はOKだと書いてあったので、僕は年間の授業数をカウントして勝手に時間割を組んだ。
そしてその通り登校した。
これは楽だった。
だって人が3日いくところ一日行けばいいんだ。簡単に言うと。
あと午後登校とか、午前登校とかすごい身軽。
でも弊害もあった。
よく教師に殴られた。
なめたことすんじゃねーって!
でも、その登校スタイルは辞めなかった。
これは僕の緊急避難なんだ!って心で思いながら教師を無視しながら自分の登校スタイルを貫いた。
ガリガリに痩せて、病気みたいな顔をして意固地になってそんなことをする僕のことを次第に教師たちも無視していった気もする。
だけどそうでもしないと本当にあの頃は耐えられなかった。
そんな、まわりからはふざけたやつに見られながらも、その日、その日をサバイブするのに必死だった17才くらいの頃だった。
2005-6 MIZK
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