2018年10月 ライプチッヒ、ヴィッテンベルクへの旅 (その2)ライプチッヒ
ライプチッヒには10月2日から4日までと8日から10日の帰国までの合計4泊しました。当地に来てから10月9日のことを教えられたので、トーマス・キルへとニコライ・キルへを中心に旧市内を散策しました。
1989年10月9日に行われたニコライ・キルへ(Nikolaikirche)からアウグストス・プラッツ(Augutusplatz、当時のマルクス・エンゲルス・プラッツ)への大衆による行進がドイツ再統一の口火となりました。
来年で30年を迎えます。その一年前の予行演習が今年行われました。すっかり忘れていたのでラッキーでした。
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[ライプチッヒの写真]
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ライプチッヒと言えばゲーテを利用している都市と言えます。ライプチッヒの大学ではろくに勉強もせず故郷のフランクフルトに帰ってしまい、卒業したのはシュトラウスブルクの大学でした。それがフランクフルトとライプチッヒを結ぶゲーテ街道は観光の呼び物の一つになっています。ファウストの舞台となったアウアバッハスケラー(Auerbachskeller)は今も観光の目玉の一つです。ゲーテが近くのワイマール(Weimar)の宰相となったことも影響しているのでしょう。
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[ライプチッヒの写真]
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ライプチッヒにはもう一つバッハがトーマス・キルへの楽師長を勤めていました。実はバッハの存在はその後忘れられていました。それを再発見したのはこの地に指揮者として招かれて滞在したメンデルスゾーンでした。その初演というか再演はベルリンで行われ、聴衆の中には哲学者のヘーゲルや詩人のハイネもいた、と伝えられています。
2019.1.5 掲載
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