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金沢富山

2017年10月 金沢、富山(その1)

10月25日から29日まで友人たちに誘われて金沢、富山を訪ねました。

私個人の予備調査の不足から金沢に行くのに能登里山空港に着きました。何とこの空港から金沢駅まで2時間もかかりました。小松なら40分、富山なら1時間で金沢駅に着きます。翌朝の集合場所が和倉温泉駅だったので多分和倉温泉に泊まるのが正解だったのではないでしょうか。能登半島の大きさを実感しました。

今回は翌26日の能登半島のドライヴと次の27日の金沢観光の前半の成巽閣について報告します。

和倉温泉駅を出たタクシーがまず向かったのは穴水町の能登大仏でした。海を臨む高台にあり紅葉がはじまったばかりの散策に適した静かな公園といえます。

次に向かったのは平家一門でこの地に流された清盛の義弟平大納言時忠の息子時国の子孫が代々近隣の村々三百石を統治し、その館が「上時国家」と呼ばれ、現在の建物は百八十年前に建造されて今に健在でした。写真は電池が切れそうで庭園のみ写っています。今では輪島市になっています。

金沢・富山
上時国家(かみときくにけ)のお庭
 
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もう一つ白米(しらよね)の千枚田も輪島市の自慢です。小泉進次郎さんもお兄さんと一緒にこの田のオーナーになっていて選挙前にこの地を訪問されたよしです。輪島塗には私個人は興味がないので見学はしましたがパスします。

金沢富山
白米の千枚田

能登里山街道は金沢に向って能登半島の西海岸に沿って走ります。千里(ちり)浜は砂浜を自動車が走れる珍しい海岸でした。海岸に沿って金沢市内までこのロードは続いていました。街の入口にはコンテイナー・ヤードがありました。

金沢富山
千里浜

翌27日も素晴らしいお天気に恵まれ、兼六園の上の方に隣接している成巽閣から観光をはじめました。この建物は江戸時代末期に参勤交代という制度がなくなって今まで江戸で人質になっていた奥方をはじめとする女性たちが国元に戻ることとなったため、その方々を住まわせるために建てられました。印象に残ったのはブルーの色が輸入品のウルトラマリンを使っていることで、維新前後の舶来品崇拝の一端を見る思いでした。

金沢富山
[金沢・成巽閣の写真]

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2017.12.5 掲載

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