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南チロルの旅

2016年7月 南チロル(その2)レッシェンゼーへの旅

今回の旅の目的は前回お話しした通りの「2年ぶりにヴァイスクーゲル(Weisskugel)を見る」ことでした。チロルの北側からエツタールに入るとヴァイスクーゲルは谷の西南の一番奥にあるので、前方の高い山に遮られて3千メートルくらいの山小屋に上らないとその姿を見ることができません。

それがレッシェン(Reschensee)の町の湖の対岸にあるシェーンエーベン(Schoeneben)のリフトに上って2、30分歩くだけで、この湖に沈んで先端だけが見えている教会の塔の上に、さらにここからはじまるラングタウファース(Langtauferstal)の谷の奥にヴァイスクーゲルを見ることができました。

旅立ちの日に「さよならオルトラー」
シェーンエーベンのリフトで上がった先の眺望。
レッシェン湖、グラウンの町、谷の先にヴァイスクーゲルがある。

レッシェンゼーはグラウン(Graun)まで続き、そこから次のハイダーゼー(Haidersee)のあるサン・ヴァレンティン(St.Valentin)の町へと下って行きます。ここには1967年前からのハイダーアルム(Haideralm)へ上るリフトがあります。このリフトは夏にはスキー場の入口までしか動いていません。スキー・リフトの山頂駅までは歩かねばなりません。私は足が悪くここからヴァイスクーゲルを見ることは諦めました。

グラウンゼーの沈んだ教会の塔を巡る散策は楽しいものです。ここからも勿論オルトラー(Ortler)を見ることができます。私は前回の旅行では天候のせいもあって気づかなかったのですが、今回宿のバルコンの正面にオルトラーを眺めて幸せ一杯になりました。

レッシェン滞在
[レッシェンゼー(グラウンゼー)の写真]

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実はオルトラーには思い出が詰まっています。1960年から61年にかけてのクリスマスから新年の休暇をこの山の麓のズルデン(Sulden)で過ごしました。それまではほとんどスイスでスキーを滑っていたので新鮮な体験でした。元来はオーストリアに属し、第一次大戦の敗北でイタリア領になった地域です。オルトラー(3902m)はオーストリアで一番高い山でした。

ズルデンは夏のシーズンが短く7月中旬を過ぎないとシーズンがはじまらず、9月初めでシーズンが終わります。今回もそんな先入観からズルデン訪問は諦めました。

旅立ちの日に「さよならオルトラー」
さよならオルトラー

◆追記

シェーンエーベンについては、『佐貫亦男のアルプへ五十年―郵便バスを乗り継いで』山と渓谷社のP152、P253を参照してください。シェーンエーベンは1988年の完成で、佐貫先生がグラウンを訪問されたのは1973年6月12日のことです。

先生は第一次大戦中ヤマハ(日本楽器)の社員としてベルリンで航空エンジンの仕事に携われました。その時にスイスを中心にヨーロッパ・アルプスを旅行されました。戦後は気象庁の技官となり、其の縁で新田次郎さんをアルプスに案内されました。その後東大の航空学科の教授から定年後は日大教授となられ、後半の旅は東アルプスを主とされました。

私も若いころはスイスでスキーでしたが、今は東アルプス、つまりオーストリア中心にアルプスを楽しんでいます。

また私が「2014年8-9月チロルの旅(その2)ヴィンシュガウ」で山小屋まで登らないとヴァイスクーゲルは見えない、と聞いたのですが、先生のご著書『佐貴亦男の旅の回想―アルプスとドイツを旅して50年』グリーンアロー出版社のP130によるとナトウルンスからシュナルス谷をクルツラスまで行き、そこの氷河スキー場に上るとヴァイスクーゲルが見えると書いてあります。私も再度トライアルするつもりです。


2016.9.20 掲載

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