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「クーゾンwhere?」と「また何でそんな田舎に」と首を傾げる方も多いかと思います。またテート・ドール公園にしても「地球の歩き方」には記載がありません。その話に今回はお付き合いを願います。 明治の昔、いや江戸時代末期にもリヨンの都市を訪れた日本人は枚挙に暇がありません。その中で私が最も愛読しているのが永井荷風の『フランス物語』です。 この中の「蛇つかい」という文章の中にこのクーゾンがでてきます。荷風の時代にはリヨンのお金持ちの別荘があり、荷風もソーヌ川を船で遡ってこの辺りで食事を楽しんだようです。私がこの地をはじめて訪れてからもう十年は経つでしょうか。この度ホテルでクーゾンに行って「川魚グージョンの天麩羅を食べる」というと「リヨンのブションで食べたほうが断然美味しいですよ」と怪訝な顔をされました。 今では人の流れは逆になって郊外からリヨンの街に食事に来るようです。久しぶりに訪れたクーゾンはもう立派なレストランは見つけることができませんでした。なおグージョンの天麩羅は今ではリヨンの一押しの名物料理になっています。 クーゾンへは30分置きにリヨンから対岸のエクルース・ド・ロシュタイイエ(Ecluse de Rochetaillee)を通るバスが出ています。 さて次の公園ですが、私に強烈な印象を与えたのはシュテファン・ツヴァイクの『ジョセフ・フーシェ』でした。フーシェがフランス革命時にリヨンに来てローヌ河を血に染めた場所がこの公園だったのです。その血の上に作られたのがこの公園でした。私はフランス人さえもこの事実を忘れているか、知らないことに違和感を覚えます。この公園の美しさには何か異なった訴えを見るのですが。 2015.11.21 掲載
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