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只見線と会津若松

2014年8月 只見線と会津若松(その3)松平家の墓所と天寧寺

8月5日に東山温泉に宿を代えました。5日と6日は温泉の近くを歩きました。そのことについては次回に紹介します。今回は7日に歩いた東山温泉から南へ、会津武家屋敷の少し手前というか西側にある江戸時代の藩主、松平家の墓所とその西にある天寧寺について報告します。

松平家の墓所は東山温泉駅のバス停から温泉入口の次の院内でバスを降ります。この次のバス停が会津武家屋敷です。ここまで歩いても二、三十分の距離です。
  墓所は静かな森の中にあります。奥の藩主のお墓には急な坂を上ります。私はサンダル履きの上、足の調子もいま一つだったので途中から引き返しました。また次回があるかどうか。

会津藩主松平家墓所
[会津藩主の墓所へ至る道での写真]
 
(ボタンをクリックすると写真が切り替わります)

その更に森を入ったところにある天寧寺には、近藤勇のお墓がありました。土方歳三がここまで持ってきた遺髪を埋めたとのことです。そのお墓はお寺の裏山の一番奥の方にありました。ここには他にも戊辰戦争に関連したお墓が沢山残っています。
  墓地の入口に近いところに「会津士魂」という早乙女貢さんの記念碑がありました。その彼も今はもう鬼籍の人です。時の流れの速さに感無量です。

天寧寺
[天寧寺の写真]

▲ボタンをクリックすると写真が切り替わります。

松平容保(かたもり)が幕末に京都所司代であったことから新撰組との繋がりができ、孝明天皇からは信頼されながら朝廷内部や薩長の連合成立で朝敵とされ、戊辰戦争となったことは会津の人々にとっては全く納得できないことでしょう。

土方歳三はこの地に近藤勇の遺髪をもたらしましたが、その他にも東山温泉で傷を治療したと伝えられ、不動の湯の岩風呂が残っています。

東山温泉不動の湯
土方歳三が傷を癒した岩風呂(東山温泉不動の湯)

2014.9.20 掲載

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