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只見線と会津若松

2014年8月 只見線と会津若松(その2)鶴ヶ城と飯盛山

少し前後しますが、8月4日は「まちなか周遊バス」の一日乗車券\500を購入し、東山温泉、鶴ヶ城、飯盛山の順に廻りました。今回は鶴ヶ城と飯盛山についてお話しします。

バスはお城の周りを半周ほどしますが、私は三の丸口で降りてお堀を渡って天守閣の下まで歩きました。三の丸口には新島八重の像がありました。昨年の大河ドラマの影響でしょうか。訪問客が大幅に増えたようです。

鶴ヶ城・三の丸付近
[鶴ヶ城・三の丸付近の写真]


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飯盛山は長い石段を上ります。そこにエスカレーターが設置されていて、折からの35度の暑さに耐え切れず\230を払って乗ってしまいました。私がこの地を訪れたのは30年以上も前のことで、上に何があったのか、まったく憶えていません。

奥に白虎隊の兵士が祭られている中央の広場には、ローマ法王から贈られたボンベイの遺跡の石を使った石碑があります。さらに第二次大戦の頃、ドイツ大使館員のフォン・エッツ・ドルフ氏から贈られた記念碑があり、戦後の連合軍によって削られた文面が再現されています。

飯盛山
[飯盛山の写真]

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石段を右の方に少し下りたところに隊士の自刃の場所があります。ここから見る鶴ヶ城は町屋と見分けがつき難く、何となしにお城が落ちたと若い隊士たちが誤ったのも分るような気がします。観光客団体のガイドの説明を聞いていると、隊士の中に八重から鉄砲の撃ち方を習った若者もいたとのことでした。

飯盛山
白虎隊士自刃の場所から見て、鶴ヶ城ははっきりとは分らない。

この日はもう一箇所、松平家の薬草園だった御薬園を訪ねました。お天気が今一つ優れず雨が降りそうになったので早々に引き上げました。典型的な日本庭園です。

写真の正面にあるのが御茶屋御殿で、戊辰戦争の時には西軍傷病者の治療にもなりました。左手は楽寿亭、江戸時代中期の数奇屋風建築です。

御薬園
御薬園。正面が御茶屋御殿、左が楽寿亭。

2014.9.6 掲載

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