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ドロミテの旅

2012年8、9月
ドロミテの旅(その1)フォルノ・ディ・ゾルドまで

今回は8月23日に成田を出て、9月16日朝に成田に戻るまで、3週間を超える比較的長い旅となりました。スケジュールの概略を示すと、

8月23日、 成田〜フランクフルト〜インスブルック〜ボーツエン
24日、 ボーツエン〜ヴィゴ〜アゴルド〜カプリーレ〜フォルノ・ディ・ゾルド
28日、 フォルノ・ディ・ゾルド〜ヴェナス・ディ・カドーレ
31日、 ヴェナス〜コルティナ・ダンペッソ〜インニヘン
9月9日、 インニヘン〜ブルネック〜コルヴァラ
13日、 コルヴァラ〜ザンクト・ローレンツエン〜ブリクセン
14日、 ブリクセン〜インスブルック
15日、 インスブルック〜フランクフルト〜成田(翌朝)

今回はフォルノ・ディ・ゾルドまでの旅をお話します。

例によって例の如くで、出たとこ勝負の運任せの旅だったので、酷い目にも会いましたが、信じられない幸運にもめぐり合いました。

南チロル・ドロミテ地方

宿の予約もせずに一気にボーツエン(Bozen)まで行ったのは僕には体力的に少し無理だったようです。向こうでも夜の十時、日本時間に直すと翌朝の五時ですから、もうふらふらでした。ここで三軒も断られると、がっくりきてどうでもいいや、という気分になってきます。結局一泊朝食付きで65ユーロ。今回の旅行中で最高値となりました。また後に触れますが手前のブリクセンの観光案内所では35ユーロという宿を紹介されました。

話をボーツエンに戻します。泊まったホテル・アイゼンフート(鉄兜)は朝食を外のレストランでとるというシステムでした。昼食以降はビアレストランになっている「バッツエン・ハウス(Batzenhaus)」という場所でした。

そこで思い出したのがドイツの学生の愛唱歌(Studentenlied)の“Ein Heller und ein Batzen”でした。この歌ではヘラーは水に、バッツエンはワインになってしまいますが、ここのバッツエンハウスはビアホールです。バッツエンはスイスやドイツで流通している銀貨でビールやワインが飲める程度の値打ちでした。日本語なら「安居酒屋」に相当するのでしょうか。朝からは飲めませんので、いずれまた音楽を聞きながら一杯やりたいと思いながらこの地を離れました。

最初の考えはカラー・ゼーを通ってバスの終点のヴィゴ(Vigo)で宿を探すつもりでした。ところがシングルの部屋がなくてダブルは50ユーロはするとの話で、この先にあるカナツアイ(Canazei)はもっと高い、と教えられました。あそこは安いと紹介されたところには部屋がなく、そこで考えを変えて少しでも目的のゾッペに近いところに行こうと思い、ベルーノ(Belluno)行きのバスに乗りました。

地図を見るとベルーノの30km手前のアゴルドからゾルダに抜ける道があるので途中下車してまず宿を探しましたが、やはりダブルルームしかないから50ユーロだ、という回答が返ってきました。バスの便を調べると最短と思ったコースにバスの便がなく、北西の方角に一旦戻るカプリーレ(Caprile)経由で遠回りすることになりました。このルートも幾つもの峠を越えて行きます。
  残念ながら周りの景色を楽しむゆとりはありませんでした。

ホテル・ポスタのバルコン(フォルノ・ディ・ゾルド)
ホテル・ポスタのバルコンからフォルノの町のメイン通りを見おろす

ゾッペへの入口の町フォルノ・ディ・ゾルドに着いて、観光案内所で安い宿と尋ねると、ホテル・ポスタにシングルが35ユーロであるからとのこと。私がそんな立派なホテルでなくてもっと安いところはないか、と聞いてもここが安いと回答がかえってきました。ポストと名がつくホテルは昔郵便馬車が止まったところで、その土地ではハイクラスと考えてよいのです。兎に角行ってみました。シングルはないとのことで、ダブルの部屋を見せられました。部屋に文句のつけようもありません。45ユーロというのを負けろと40ユーロで手を打ったと思っていたのですが、貰った請求書は38ユーロ×4日分でした。

難を言うならばバルコンは町のメインストリートに面していました。勿論二重窓で騒音は感じません。その夜は広々とした部屋でゆっくりと休むことができました。

途中のヴィゴとアゴルド、それにフォルノ・ディ・ゾルドの写真でドロミテの雰囲気をご覧ください。
  また次号で何故ゾッペへ行く気になったかをお話します。

ドロミテの旅

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2012.10.6 掲載


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