2012年3、4月 タオルミーナ(その4)
|
ギリシャ劇場観客席最上段から エトナ山を望む |
何時まで待っても天気がよくならず、4月8日にギリシャ劇場を見ました。前回の訪問は2000年の4月初めでしたが、丁度入場料が無料の時期に重なったので、劇場の観覧席に腰掛けて毎日エトナ山を眺めていました。
しかし、今回は入場料が8ユーロに跳ね上がっていて、毎日払うのは大変です。結局この一回だけとなりました。生憎天候はそれほど優れず、余りよい写真は撮れませんでした。
ギリシャ劇場はどんなところなのか。ゲーテは1787年5月6、7日前後にタオルミーナの海岸に滞在し、6日の日記に次のように記しています。
その昔見物人の坐っていた一ばん上の席に腰をおろしてみると、劇場の見物人として、これほどの景色を眼前に眺めた者は外にあるものではない、と私は認めなければならない。右手の小高い岩の上には城塞が峙立し、その遥か下方には町が横たわっている。これらの建築は近代のものであるが、昔もやはり同じ場所に同じような建物があったことであろう。見渡せばエトナ山脈の山背は全部眼界におさまり、左方にはカタニア、否シラクサまで伸びている海岸線が見え、この広大渺茫たる一幅の絵の尽きるところに、煙を吐くエトナの巨姿が見えるが、温和な大気がこの山を実際よりも遠くかつ和らげて見せるので、その姿は決して恐ろしくない。
この光景から転じて見物席の後部に造ってある通路に眼をむけると、左方には岩壁が全部視野にあつまり、その岩壁と海との間にメッシナに向う道がうねっている。海中には幾群かの岩塊とその隆起とが露出しており、はるか彼方にはカラブリアの海岸が見えるが、よほど注意して見ないと、しずかに立ち昇る雲と区別しがたい。・・・
また、和辻哲郎は1928年2月23日にタオルミーナに立ち寄っていますが、その印象を次のように述べています。
そういう春めいた、日本の四月下旬のような景色のなかを、(メシナから)一時間半ほど走ってタオルミーナに着いた。山が海に迫っていて、わずかに鉄道や街道が通じるくらい。停車場の裏はすぐ波打ちぎわである。その山の上に、昔ギリシャ人の作ったタオルミーナの町がある。そこが今はヨーロッパの余裕ある人たちの避寒地になっている。停車場から見上げると、すぐ四、五町上に見えるのであるが、馬車や自動車の通じる道はうねうねと迂回しているので、一里くらいはあるであろう。その道をのぼって行くと、やがて雪を頂いたエトナの山の美しい姿が見えてくる。下を見ると蒼い海や蜿蜒とつづく波打ちぎわも見えている。山は白く、水は蒼い。なるほどこれはヨーロッパで一度も見なかった山水明媚な風光である。タオルミーナの町はそういう景色を見晴らすところにあった。
このタオルミーナの町に、ギリシャ人が作りローマ人が改造した劇場が残っている。その劇場を見物に行って、ただ地形だけ残っている見物席の一番下の段に立って見ると、ちょうどエトナの山の頂上だけが見える。一番上の段へ上ると、エトナの全山から海岸の波打ちぎわまで、全景が見晴らせる。ギリシャ人はこうゆう明媚な風光を背景にしながら蒼空の下で演劇を鑑賞していたのである。これは私には実に案外なことであった。これまでいろいろと劇場の構造や演劇のやり方について書いたものを読んだことはあるが、その演劇が、蒼い空、蒼い海、白い山などを見晴らしながら鑑賞せられていたということを、私たちに注意してくれた人はなかった。これは演劇鑑賞の心理を考える上に相当重要なことではないかと思う。ギリシャ人はこのことを勘定に入れているのである。その証拠は、この劇場の位置の選定で、この場所こそタオルミーナの町のうちで最も眺望のよいところなのである。
今更私が下手な説明をする必要はなさそうです。
最後に今回の旅での私の大失敗と受けた親切について報告します。
タオルミーナからの出発直前の4月8日になって東京から持ってきてカターニアのホテルまではもっていたジャンパーがないのに気がつきました。イタリア語が話せないので旅行のエイジェントでホテルに電話して貰いましたが、ホテルにはないとの回答でした。バスのターミナルで忘れ物はなかったか、と聞きましたが、ここではないがこの番号に電話してみろと教えられました。
宿の一階にあるレストランで英語が通じるので事情を話すと電話をかけてくれましたが、イースターの休日のためか応答がありません。その翌9日にお別れの挨拶に行くと、コック長が「これを着ろ」と皮ジャンをくれました。「いやそんなものは貰えない」というと「家に十着も持っている、遠慮するな」と押し付けられました。
|
漢字デザインの風呂敷を頭にかぶり 海賊気取りのコックさん |
この店の人たちと親しくなった契機は、私が「ウニのスパゲッティを食べたい」と訊ねたことから、いろいろのことを知りました。まず値段は18ユーロ、わたしが他の店のメニューに14ユーロと出ていたというと、「それはニュージーランドから輸入した缶詰を使っている」と教えられました。翌日になって「今禁猟期で警察が眼をひからせている」ということが分かり、今回はウニのスパゲッティはあきらめました。
そんなこともあって親しくなりました。ヴォンゴレ・ビアンコのスパゲッティは絶品でした。「Ristorante L'Incontro(リストランテ リンコントロ)」の場所は、メッシーナ門近くのルイジ ピランデッロ通り20番地(Via Luigi Pirandello 20)です。良心的な店としてお勧めします。
拙い文を最後までお読み頂き有難うございます。
|
(その1)で載せた写真ですが、 レストランのテラスからも同じような眺めでした。
|
2012.6.18 掲載
|