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6月20日の朝インニヒェンに別れを告げ、プスター・タールを西に戻りフランケンフェステで列車を乗り換え、一路北にブレナー峠を越えてインスブルックに着きました。 駅の観光案内所で、モーツアルトが泊ったことで知られているホテル・ヴァイセス・クロイツが38ユーロで泊れると言われ、再度シャワーとトイレ付かを確認せずにホテルに行くと、何とこちらでいうFliessendes wasser (フリーセンデス ヴァッサー/流れる水)しかない部屋でした。私が希望した部屋は72ユーロもするというので、いまさらホテルを変えるのも面倒で一晩辛抱することにしました。 ただ夜中に酔っ払いが二度も三度も廊下で大騒ぎをするのを聞くと、変に勘ぐりたくもなりました。誰かがこのホテルに嫌がらせをしていることはこの土地では周知の事実となっていて、私のような何も知らない旅行者を呼び込まないと来る客がいないような状態になっているのではないか。有名な歴史のある宿だけに残念なことです。
実はインスブルックについては何度もこの欄で紹介しています。
ハイネはこの宿に泊ったチロル独立運動の英雄で、一度はナポレオンとバイエルンの連合軍を破ったアンドレアス・ホーファーについて熱っぽく語っています。 ホーファーは南チロルの出身です。メランの北にあるザンドという村で生まれました。 EUの時代に入ってから顕著な経済発展を遂げている地方に、カタロニア、バスク、そしてこの南チロルがあります。どの地方もそのアイデンティティに悩んでいました。それがEUという言ってみれば、かっての「神聖ローマ帝国」の再来で、その本来の意味を取り戻した地方といえます。「国民国家よさようなら」これが戦争のない時代への合言葉です。 2011.10.24 掲載
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