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Innichen(インニヒェン)の町の向うにドロミテの山塊が見える。

2011年5月26日〜6月22日クロアティアと南チロルの旅(その8)
インニヒェンとインスブルック

ドロミテ地方

6月20日の朝インニヒェンに別れを告げ、プスター・タールを西に戻りフランケンフェステで列車を乗り換え、一路北にブレナー峠を越えてインスブルックに着きました。
  明朝の出発に備え一夜の宿を探しましたが、私の詰めが甘くて少し残念な最後の夜になってしまいました。

駅の観光案内所で、モーツアルトが泊ったことで知られているホテル・ヴァイセス・クロイツが38ユーロで泊れると言われ、再度シャワーとトイレ付かを確認せずにホテルに行くと、何とこちらでいうFliessendes wasser (フリーセンデス ヴァッサー/流れる水)しかない部屋でした。私が希望した部屋は72ユーロもするというので、いまさらホテルを変えるのも面倒で一晩辛抱することにしました。

ただ夜中に酔っ払いが二度も三度も廊下で大騒ぎをするのを聞くと、変に勘ぐりたくもなりました。誰かがこのホテルに嫌がらせをしていることはこの土地では周知の事実となっていて、私のような何も知らない旅行者を呼び込まないと来る客がいないような状態になっているのではないか。有名な歴史のある宿だけに残念なことです。

インスブルック
インスブルックの旧市街。
右側がガストホーフ(ホテル)・ヴァイセス・クロイツ、正面は「黄金の小屋根」

実はインスブルックについては何度もこの欄で紹介しています。
 「Zum Goldenen Adler(ツム ゴルデネン アドラー)」は一般にはゲーテが泊った宿として有名ですが、行きの道ではほんの休憩をしただけです。むしろハイネの方がここの主人といろいろの話をしています。しかし、このホテルにあるのは「ゲーテ・シュトゥーベ」だけです。モーツアルトも後にこの宿に泊っています。

インスブルック
ゲーテも泊った Zum Goldenen Adler(金鷲亭)

ハイネはこの宿に泊ったチロル独立運動の英雄で、一度はナポレオンとバイエルンの連合軍を破ったアンドレアス・ホーファーについて熱っぽく語っています。

ホーファーは南チロルの出身です。メランの北にあるザンドという村で生まれました。
  6月11日の夜は「Feuer nacht(フォイアー ナハト)」と呼ばれていますが、今年は50年目の記念日でした。南チロルのオーストリアへの復帰運動として、送電線を切断し、発電所を破壊した日で文字通り「火の夜」でした。この事件が起こった1961年は、この後8月13日にはベルリンの壁が作られるなど世情は騒然としていました。
  この夜をもう一つのザンドの町に近いライン村で迎えたのも何かの因縁でしょうか。
  最近の日本からの旅行者にはドロミテはイタリアと思っていて、アンドレアス・ホファーの名前など聞いたこともない人が多いのは残念なことです。

トブラッハー・ゼー

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EUの時代に入ってから顕著な経済発展を遂げている地方に、カタロニア、バスク、そしてこの南チロルがあります。どの地方もそのアイデンティティに悩んでいました。それがEUという言ってみれば、かっての「神聖ローマ帝国」の再来で、その本来の意味を取り戻した地方といえます。「国民国家よさようなら」これが戦争のない時代への合言葉です。


2011.10.24 掲載


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