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6月3日はヴォルケンシュタイン(1562m)の観光案内所が開くのを待ちかねて、新しい宿を探そうと意気込んでいたのですが、ここで分かったことはヴォルケンシュタインではまだシーズン前で、この町のリフトは動いていない、ということでした。谷を下ったザンクト・ウルリッヒなら二台のリフトが動いている、と教えられザンクト・ウルリッヒ(1236m)まで谷を下ることに決めました。 この町での宿を決めるのにも苦労しました。観光案内所は宿をとってくれません。直接出向くのですが、安いと目をつけた宿は「アドリア海に休暇に行くので明日から当分休みます」との返事で、近くの宿を教えてくれましたが、満足のいく値段の宿はなかなか見つかりません。 最後に妥協したのは、屋根裏部屋でシャワーとトイレは専用ですが外にあって、TVもない、朝食はつきますが、それで26ユーロといいます。四泊という条件で25ユーロに値切りました。それにしてもシーズン・オフでこの値段とはドロミテは高いところです。 翌4日も曇りがちで、いつ雨が降り出すか心配なお天気でしたので、右岸の町の中心の教会から上ったところに、更に北の方角に架けられているラシェッツ(Raschoetz)へのフニクラー(ケーブルカー)に乗りました。料金は 上りのみで11ユーロ、往復が16ユーロでした。少し雨に降られましたが、歩いて下りました。途中の景色はほとんど何も見えずがっかりでした。
フニクラーの山頂駅にもレストランはありますが、15分ほど歩いたところに山小屋があって町へ下る分岐点にもなっています。ここから先に歩くと教会があり、さらに急な坂を登るとキリストの磔刑像が丘の上に立っていました。お天気が悪くまわりの景色もいま一つでした。 翌5日もまた曇りがちのいつ降り出すか心配なお天気だったので、右岸の少し高い所を流れているアンナ・タールを渓流に沿って溯りました。昨日乗ったフニクラー駅の下になります。両岸はよく整備されて綺麗なプロムナードになっていました。その散歩を終えて、午後今度は対岸のセイザー・アルムにゴンドラで上りました。このゴンドラにはレートロマーニシュ語(rhaetoromanisch)で「Mont Seeuc」と書かれていました。この地方ではドイツ語とイタリア語の外にレートロマーニシュ語を話す人たちも住んでいます。この言葉はスイスでは独、仏、伊についで第四の言葉となっています。主にエンガディン地方で話されています。
セイザー・アルムは町の南側にあって、ゴンドラで上に登ると眼下に平原が広がりその先に左から(東から)グレードゥナーヨッホ(Groednerjoch/2121m)、セラ・シュトック(Sella Stock/3151m)、ラングコーフェル(Langkopfel/3181m)、ローゼンガルテンシュピッツェ(Rosengartenspitze/2413m)その手前にシュレルン(Schlern)山塊が広がり、一番西に見える尖った山がサンターシュピッツェ(Santerspitze)で、これがドロミテのはじまる印といわれています。 残念ながらお天気が曇りがちで、山の迫力もいま一つでした。 2011.9.16 掲載
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