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夕暮れのラングコーフェル

2011年5月26日〜6月22日クロアティアと南チロルの旅(その4)
グレードゥナ—・タール、ヴォルケンシュタイン

ドロミテ地方

6月1日午後ザグレブ空港を発ち、ウイーン経由でインスブルックからブレナー峠に向う途中のシュタイナッハに一泊し、翌朝ブレナーを越えてヴァルデンブルックで下車し、グレードゥナー・タール(※)に向うバスを待ちました。どこからバスに乗ってよいのか、はっきりしないので、後から来た若い女性に尋ねると、英語で話しはじめました。よく話しているとオーストリア人なので「何故ドイツ語で話さないのか」と聞くと「英語の練習中だ」とのことで、その後はドイツ語でいろいろと説明してくれました。

まず困ったのはこの6月2日は「キリスト昇天祭」で休日とのこと。観光案内所は休みで宿を紹介してもらえません。彼女は谷の奥に近いヴォルケンシュタイン(※)のホテルで実習をするとのことで、「終点に近いヴォルケンシュタインまで行った方がよいだろう」とサジェストしてくれました。

ところがバスがザンクト・ウルリッヒ(※)まで来ると、自転車レースで道路がクローズされ、先に進めません。二時間以上も待たされたでしょうか。仕方がないので昼食を取って時間をつぶしました。バスは右岸に停まっていて、進行方向の左手に大きな広場が見えていました。その広場から少し戻ると町の中心になります。その手前の小さな広場にあるカフェに入りました。目的はトイレ休憩だったのですが、ハムを挟んだパン(4.30ユーロ)、コーフィ(2.30ユーロ)で簡単に昼食を済ませました。少し高い値段です。

ザンクト・ウルリッヒ
ザンクト・ウルリッヒからセラ山系を望む

私がバスに戻ってくると、とんでもないことがおこりました。自転車レースが通り過ぎて待たされていた車が動きはじめたのです。私にいろいろ教えてくれた女性やその他の乗客でまだ町にいる人たちを残してバスが出発しました。これはイタリア的というべきなのでしょうか。

このお蔭でヴォルケンシュタインへ行く女性ともはぐれてしまい、一人で宿を探すことになりました。不幸中の幸いというべきか、バス停の直ぐ前のカフェの女主人が、宿の相談に乗ってくれ、その上大きな荷物を預かってくれました。

この日の宿は皮肉な決まり方をしました。午後留守番をしていた子供が26ユーロといったのを信じて、その宿に行くと親が出て来て「子供が間違った値段をいったが実は31ユーロです」荷物は大きいし仕方なくこの値段で妥協しました。後でカフェの女主人に聞くと「あそこはそんな安い値段では泊めませんよ」ということでした。部屋は地下室でしたが、窓からはラングコーフェル(※)が見えていました。シャワー、トイレ、TVに朝食付きですからドロミテでは仕方のない値段でしょうか。

* * * * *

この町は谷を上ってくると正面にセラ山系が広がり、右手にはラングコーフェルがそびえています。いかにもドロミテに来たと思わせる町でした。

ドロミテ

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翌朝に観光案内所で聞くと、「ここのリフトは止まっているが、ザンクト・ウルリッヒの二台のリフトは動いている」ということが分かったので安い宿を探すことはあきらめ、バスで谷を下りました。

ヴォルケンシュタイン
ヴォルケンシュタイン(Wolkenstein)の町を見下ろす

※文中の(※)印のイタリア語地名は以下の通り(本文はドイツ語名)

  • グレードゥナー・タール(※)…イタリア語地名はヴァル・ガルデーナ(ガルデーナ渓谷)
  • ヴォルケンシュタイン(※)…イタリア語地名はセルヴァ・ディ・ヴァル・ガルデーナ
  • ザンクト・ウルリッヒ(※)…イタリア語地名はオルティゼーイ
  • ラングコーフェル(※)…イタリア語地名はサッソ・ルンゴ

2011.9.2 掲載


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