2010年夏 スペイン大西洋岸の旅 -その2- フィステレ
7月25日の早朝、逃げるようにサンチャゴを出て、フィステレに向いました。
バスでおよそ3時間。海岸線を走るので、目的地には大回りになっています。山を貫くトンネルでもあれば直ぐのところなのでしょう。
日差しが強いので、途中の街の中心部はトンネルのように覆われていました。
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フィステレの港を見下ろす |
フィステレの町の港は東を向いていて、南が岬で灯台があります。ここまで歩いて四、五十分の距離でしょうか。西は山で東の海とその先の半島を眺めながら歩きます。ここに出掛けたのは翌26日の夕方でした。
着いた日は東の海に面した海岸通で昼食をとりました。何軒もレストランが並んでいますが、値段は定食が10ユーロと、どこでも同じでした。一種の談合で、よその街でも観光客の集まる場所はその土地によって値段は違いますが、やはり同じ値段のレストランが軒を並べています。
ここでの最大の収穫は定食には一本のワインがついてくる、という事実でした。今まで何故気がつかなかったのか。イタリアでは精々ハーフ・ボトルしか付かないので、スペインでも同じと決めてかかっていたのでしょう。これでスペインがすっかり好きになりました。
フィステレでは朝6時半少し前頃に建物の形がはっきりと見えてきます。岬に行った26日の日没は22:05分でした。ドイツでは4時前から明るいのに、これは時差のせいです。ヨーロッパの標準時は子午線上にあるロンドンとパリよりも東に15度、1時間夜明けの早いベルリンの時間です。フィステレはそこから30度ほども西に位置し、実際には2時間ほどの時差があります。スペインの人々の生活が夜型になっているのは、この時差のためではないのでしょうか。やはり普通の人間は太陽を基準に生活するようです。
26日の夕方には、フィステレ岬へ日没を見に行きました。そこでバルセロナから来た母娘と知り合いになりました。私が「ドイツ語しか話せない」というと二人とも流暢なドイツ語を話すではないですか。少し恥ずかしくなりました。母娘といってもお母さんは私よりも年上で80歳、大変に元気でした。フランコの時代を生きてきた人です。
フィステレ岬は欧州最西端と称していますが、ポルトガルにも欧州最西端があります。スペインで一番西にあることは確実ですが。アメリカ大陸の発見前はこの先は奈落の底だった岬か、と思うと感無量でした。どんなところかは写真でご覧ください。
2010.10.13 掲載
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