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2010年夏 スペイン大西洋岸の旅 -序-

スペイン地図

2010年7月22日から8月12日まで北スペインの旅に出ました。

今年のこの地方の目玉となる行事は、7月25日が日曜日に当たる年に行われるサンチャゴ・デ・コンポステーラの大祭です。サンチャゴはエルサレム(キリスト処刑の地)、ローマと並んでカトリック教会の三大巡礼地の一つに数えられています。

ここには十二使徒の一人、大ヤコブの死体が祭られている、と伝承されています。
  この大ヤコブがレコンキスタ(対イスラム失地回復運動)の守護神となりました。
  1492年のグラナダ陥落まで、多くの巡礼たちがこの運動に加わりました。コロンブスのアメリカ発見と重なるこの年は、キリスト教社会の発展の転機となった年といえるでしょう。

私の旅程は、7月22日(木)、成田発フランクフルト経由バルセロナ、同日18:05着。
RENFEの列車でサンツ駅まで行き、サンチャゴ行きの切符を買うつもりでしたが、駅員によれば「7月中は空席がない」とのことでした。勿論この瞬間には"やはり正攻法のマドリッド経由にすべきであったか"と青くなりました。
  唯一の可能性として残されているのは、バスの旅で、お隣のバス・ターミナルに行くと、少しは待たされますが22:50にレオン、ア・コルーニャ経由のサンチャゴ行きが出ることが分かりました。勿論席もありました。バス代は片道69.23ユーロで、後で分かったのですが、鉄道よりも安いそうです。乗換えはないし、ホテル代はいらないし、と私には良いこと尽くめです。
  サンチャゴの宿は最低でした。室内に水道の蛇口もなくて30ユーロ、朝食もなし。前回は途中まででここまでこなかったのですが、前々回もその前の大祭の時ももう少しましなところに泊まりました。来るのがぎりぎり遅すぎたのでしょうか。

サンチャゴ7月24日。大祭の年にしか
開かない東門の前に、大入道が勢ぞろい。
スペイン最西端フィステレ岬の日没。
紀元前から「世界の果て」と信じられてきた。

7月25日(日)、サンチャゴについては次回に話します。花火は前夜終わったので、鐘を振る行事はありますが、サンチャゴを逃げ出して、以前から一度行って見たいと思っていたスペイン最西端のフィステレ(フィニステレともいう)へバスで移動しました。
  ここは最西端の落日が売り物です。ここまでのバス代は12.15ユーロ。
  もう一つここで私がはじめて気づいたのは、ここではレストランのメニューは10ユーロに統一されているようなのですが、白か赤のワインがボトル一本出てきます。これ以後スペイン滞在中毎回メニューを頼んだ時には、全部飲むのも気が引けるので、三分の二ほど空けることにしました。
  宿代は一挙に普通になって、シャワー、トイレ付の部屋で30ユーロ、二日目、三日目は場所を代えて25ユーロでしたが、これも最初は18ユーロといわれたのが、入るときになって18は巡礼用の値段だ、と値上げされたものです。

7月28日(水)、バスでア・コルーニャへ。13.30ユーロ。
  サッカーの大久保選手がいたのがここだと記憶しています。
  ここでも25ユーロで、「地球の歩き方」に出ているホステル・アルボランに泊まりました。シングルは狭いのですが、寝るだけなので、我慢できます。この都市では歩き回れば安い宿も見つかると思いますが、その元気がありませんでした。

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オヴィエドのカテドラーレ

7月30日(金)、バスでオヴィエドへ(21.61ユーロ)。
  ここでとんでもないことが起りました。ここの観光案内所は14時から16時半まで昼休みに入ります。私が着いたのが14時半頃、バスが少し遅れました。バス・ターミナルの案内所は閉まっていました。そこでペンション・サン・フアンを直接訪ねましたが「空室はない」とのこと。近くのペンションは35ユーロだというので話がつきません。
  案内所の場所も無くなったり、変ったりしていました。「駅の外に案内所がある」という人がいて、何気なく一軒の店で「観光案内所は何処にあるのか」と尋ねました。するとそこの女性が椅子をすすめて、座っていろ、と手で合図をします。
  訳も分からずに座っていると、ちゃんと背広を着た男性が現れて、英語で話しかけてきました。「自分のところに今原則一月単位で貸す物件がある」とのことでした。
  結局十日間225ユーロで話がまとまりました。広い3LKで、何となくここに泊まることになって、後の旅行は次回ということになってしまいました。

このいわゆるマンションに泊まって知ったことは、ゴミの収集が日曜日を除いて毎晩行われていることでした。夕方八時過ぎになると、入口の横に四個の大きなプラスティックのバケツが並べられ、そこに住民が袋に入れたゴミを出します。毎日ゴミの収集とは恐れ入りました。やはりスペインであっても社会の底力を感じました。

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ミロの絵の上を人々は何気なく歩いてゆく
(バルセロナにて)

最後に天候について。地中海に面するバルセロナ、内陸のマドリッドが連日35度を越す猛暑が続くなかで、ガリシア、アストウリアスといった大西洋岸の地方は、気温が25度を越えることはなく、夜はセーターが必要な日もありました。三週間涼しい生活を送れたのが何よりの収穫でした。

2010.9.13 掲載


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