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8月4日の朝、スタリー・スモコヴェチを発ち、ポプラド・タトリに出て、コシツェ行きの急行で次の駅、スピシュスカー・ノヴァー・ヴェスで降り、バスに乗り換えてレヴォチャに着きました。乗り換えの鉄道の便が悪いことと急行でも停まらない列車があるので注意が肝要です。 レヴォチャは1242年のタタール族の侵略を機に、その侵略に備えて1271年ハンガリー王シュテファン五世によって、ドイツ・ザクセン人の住む地方の首都とされました。 そのことを裏付けるように、肉料理にそえてシュペッツレが出されたのには驚きました。シュペッツレは直訳すると「雀の子」、シュヴァーベン地方(ドイツの西南部、シュツットガルトを中心とする地域)のジャガイモに代わる主食で、ヌードルを平べったく短く切ったものです。ここまでシュヴァーベンの人々が殖民していたのでしょう。
この都市の誇りは街の中心にある聖ヤコブ教会の18.62mという世界一高い祭壇で、マイストラ・パヴラの傑作の一つです。この作品を見ていると、この地が東のギリシャ正教圏に近いにも拘わらず、純粋にカトリック教の地域だと感じます。パヴラはニュールンベルクのフェイト・シュトスの影響を受けたと記されていて、なるほどと納得しました。 なお言わずもがなのことですが、聖ヤコブとは、あのカトリックの三大巡礼地の一つスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラに祭られている十二使徒の一人で、この教会はこんなに離れていても巡礼路となっています。サンチャゴつまり聖ヤコブは対イスラム戦争の聖人なので、この昔のハンガリーの前線基地にも聖ヤコブの教会が建てられたのでしょう。 道路を挟んでマイストラ・パヴロの博物館があって、彼の作品が紹介されています。
翌日はバスでスピシュスケー・ポドフラディを訪れました。40分ほどで片道1ユーロ、バスはスピシュスカー・カピトウラの横を半周してポドフラディの町に入ります。前方に聳え立つのがスピシュスキー・フラッド(スピシュ城)です。この日はこの町にバスが着くころから急に激しい雨となって、お城に上るのは諦めました。 代わりにスピシュスカー・カピトウラに戻って、ロマネスクの時代に建てられた聖マルティン教会に詣で、マイストラ・パヴラの作と伝えられる祭壇も見せてもらいました。お城とこの修道院地区一帯が1993年に世界遺産に登録されています。カピトウラはドイツ語でカピテル、意味は司教座参事会のことで、「ザクセン人の住む地域の司教座参事会」ということになり、この地に教会を中心にザクセン人の入植地が作られたことになります。 四年ほど前にチェコのズデーテン地方を旅行して、ドイツ人の痕跡すら無くなっているのに驚きましたが、スロヴァキアは全く違った対応をしています。
この中のレストランで昼食をとりましたが、定食が3ユーロ、それに0.2Lのワインが1.20ユーロで、特にワインはこの地方にも近いハンガリーのトカイ地方のワインと同品質とのことで、久しぶりに美味しいワインを飲むことができました。 その昔ハプスブルクの帝国はオーストリアとハンガリーに分かれましたが、チェコがオーストリア領内にあったとすれば、スロヴァキアはハンガリーと一体だったと考えれば、お互いの近い関係が理解できるでしょう。 2009.10.3 掲載
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