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09年7月 オーストリア団体の旅(その1)

6月30日(火)に成田を出発し同日ウイーン着、7月6日(月)午後ウイーン発7日朝成田着というあわただしい旅行でした。

団体の皆様にもご迷惑をかけた最大の誤算は、旅行二日目に足を挫き今尚腫れた状態で、歩行が自由でなく移動の際にご迷惑をかけてしまいました。

初日の6月30日はウイーンに予定よりも早く着き、16時過ぎにはホテルの部屋で寛ぐことができました。

ホテルの場所はウイーンの南の外れで、市の中心に行くには電車と地下鉄を乗り継ぎますが、それでも30〜40分ほどでしょうか。オーバーラーという温泉もでているちょっとした行楽地で、ここに本拠を置くオーバーラーというお菓子屋さんで有名です。ウイーンの中心街に支店を出しており、私も昔何度かどんな場所に本店があるのだろうか、と見に来たこともありました。

勝手知ったところなので、直ぐ裏の公園に散歩に出ました。
  ここまでは天気もよかったのですが、翌日から帰国の日まで毎日、晴れたり曇ったりところによりにわか雨という天気に悩まされました。

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オーバーラー療養センターの庭園

私の参加した団体旅行はクラブツーリズムの主催です。一人でも参加できる点が他の会社よりよいと聞いています。

今回の旅程は、第一日ウイーン泊、ついでザルツブルクに二連泊、リンツ一泊、最後にウイーンに戻って二連泊というものです。毎日宿泊地を変えて一箇所でも多くの観光スポットを見ようという、いわゆる日本式の旅行スタイルとは一味違う企画でした。

第一日6月30日、ホテル到着後は自由行動で、私は温泉施設に付属している庭園をゆっくりと歩きました。高崎市から寄贈された日本庭園もありましたが、週に二日しか開放されません。その後オーバーラーのレストランは高いので、すぐ側の路面電車のターミナルにある二軒の居酒屋のうちの一軒に入って、大ジョッキー(0.5L)にトーストで一杯やりました。全部で5.00ユーロ以下でした。日本ならビール代だけでこれ以上になります。

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メルク修道院の中庭

第二日7月1日、朝10時頃にウイーンを出発し、11時半にはドナウ河沿いのメルク修道院の中を見学していました。通訳は日英。バスはチェコの会社で運転手はチェコ人でこちらも言葉は日英。クラブツーリズム社のオーストリア側のパートナーはガリバー社というところで、ここがチェコの会社を手配したようです。私は数年前、会社の先輩に頼まれて二十人弱のかなり高齢の方の通訳兼ガイドをしたことがあります。そのツアーはブダペストからスタートしてウイーンまではハンガリア人の運転手、ウイーンからザルツブルク経由でチェコまではチェコ人の運転手だったことを思い出しました。

その時には日本側はHIS、欧州側がミキトラベルでした。このオーストリア人以外を使うという組み合わせが安いのか各社とも使っていますが、かなり問題があります。その時はバート・イシュルで駐車場を見つけることができず、時間の関係で素通りせざるをえませんでした。オーストリアの運転手は伊達に高い給与を取っているのではありません。当たり前のことですが言葉が正確で、オーストリアのこともよく知っています。

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メルクの町を修道院の外庭から見下ろす
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ベネディクトの小道

メルクの修道院は11世紀の初めバーベンベルク家のレオポルド一世によって、ベネディクト派の修道院として建てられたものです。18世紀に改築されてバロック建築の至宝とまでいわれています。余談ですがバーベンベルク家ゆかりの修道院としては、ウイーンの街のレオポルズベルクの山頂から北に見下ろせるクロスター・ノイブルクも有名です。


ここの図書館も1888冊の手書きの写本と10万冊の蔵書で知られています。
  数年前にベストセラーになったウンベルト・エーコの『薔薇の名前』は、冒頭でこの物語がメルクの修道院の図書館の蔵書の中で発見されたと記しています。舞台は北イタリアの修道院ですが。こんな話からもこの修道院と図書館が中世でいかに高い位置を占めていたかが推測できます。
  外の公園にはベネディクト派の教義を解説した小道が設けられていました。


午後はメルクからクレムスまで船で川下りをしました。この辺りがヴァッハウと呼ばれオーストリアのワインの産地として名高く、世界遺産の一つです。
  ヴァッハウの川下りの評判はライン河より景色がコンパクトで、飽きが来ない、となかなか好評でした。クレムスを出発すると、直ぐ右手にシェーンビュヘル城が見えてきます。ここは9世紀の初めからパッサウの司教のお城でした。やがて左手には、シュピッツ、ヴァイセンキルヘンなどのワイン畑が続きます。

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ドゥアンシュタイン城

このヴァッハウで一番は、何といっても英国のリチャード獅子心王が幽閉されたドゥアンシュタイン城でしょう。実際は幾つもの城をドイツのファルツの方まで連れまわされていました。確か昔この町で「レーベンへアツ(獅子心)」というシュナップスを飲んだ記憶があって、船の中で注文しましたが、持ち合わせはない、とのことでした。

ここからクレムスまではあっという間でした。ここからバスで今夜の宿泊地ザルツブルクへ向かいました。

2009.7.25 掲載


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