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中伊豆の旅 その二 「天城を越えて河津七滝へ」


翌5月19日はバスで浄蓮の滝まで戻り、ここから踊子が通った旧街道を歩きました。
  浄蓮の滝は歌で有名なほどには立派な滝ではなく、正直のところがっかりしました。

【写真左上】島崎藤村『伊豆の旅』文学碑
【写真左下】川端康成『伊豆の踊子』文学碑
【写真右】横光利一『寝園』文学碑

ここから天城峠に向かって旧道を歩くと、まず左手に島崎藤村の『伊豆の旅』の文学碑があります。さらにその先の左手の少し上ったところには横光利一の『寝園』の文学碑があります。この辺りは人影もなく静かな林が続いています。ここで野畔というバスの停留所から天城トンネルの手前までバスに乗りました。新しいトンネルの一つ手前の水生地下から左に旧道が枝分かれしていて、三十分ほどで旧天城トンネルの入口に着きます。なお旧道を入ると十分ほどで左に川端康成の『伊豆の踊子』の文学碑がありました。

旧道のトンネルは下が濡れていて、時々車が通るので緊張の連続でした。ここから三十分弱下ると二階滝、ここでは滝をダルと発音するので「ニカイダル」、に着きます。

ここでまたバスに乗り、水垂で降り、道を下ると河津七滝(ナナダル)の最初の滝の「釜滝」です。エビ滝、蛇滝、初景滝と四つの滝が続いて、少し離れてカニ滝。ここで道が切れて、町中に入って出合滝と大滝があります。

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大滝 初景滝 蛇滝 二階滝
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河津七滝は浄蓮の滝よりも一つ一つは小さな滝ですが、各々個性があって眺めているうちに町まで下ってきました。大滝は天城荘というホテルの庭園の一部で、滝のところだけは一般にも開放しているということです。

河津の滝で余り驚かなかったのは、子供の頃よく赤目四十八滝に行ったことを思い出したせいでしょう。戦後いち早く日本の滝の名所ナンバー・ワンになりました。しかし、四十八という滝の数には無理があって、これが滝という代物までありました。

もっとも明治維新のときに来日した西欧の河川の専門家が、日本の川を見て、「これは川ではない。滝だ」といったそうですから、滝といってもよいのかもしれません。

この辺りも踊子と一高生が歩いたところで、滝の側に二人の像がありますが、本文には何も書かれていません。

2008.6.30 掲載    




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