中伊豆の旅 その一 「修善寺」
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独鈷(どっこ)の湯 |
久しぶりの修善寺でした。昔のことは全く思い出せませんでした。
今回の印象は、日曜日ということもあって、街は活気に溢れていました。
観光スポットはコンパクトに固まっていて、一日あれば十分でしょう。
私の旅は失敗からはじまりました。町の入り口にある総合会館の観光案内所は、日曜日で、閉まっていました。そこから町の中心までは少し歩きます。
まず右手に日枝神社。ここは明治維新の廃仏棄釈で、お隣の修善寺から分離されたようです。静かな境内にお参りの人がちらほらと見受けられました。お隣の修善寺は参拝の群れが続く盛況でした。
直ぐ前の虎渓橋の右手に独鈷の湯が見え、橋の両側は旅館が並んでいます。橋を渡って右岸には、公園を抜けて上って行くと、源頼家ゆかりの指月殿、そして彼のお墓と頼家暗殺五日後に決起して死んだ十三士の墓があります。『修善寺物語』を思い出しました。
その裏山は「桂谷八十八ヶ所」と呼ばれ、四国霊場の寺名を刻んだ石碑が建てられ、それに混じって「おしゃぶり婆さんの石仏」、「源義経像」、「吉田明枝句碑」などがあります。
途中眼下に温泉街を見下ろす場所もありました。
右岸を独鈷の湯から溯ると「竹林の小径」を過ぎて、楓橋を左岸に渡ると、しゅぜんじ回廊の先は島木赤彦の「赤蛙公園」で蛍の名所になっています。
ここから右に丘に上ると源範頼の墓があります。義経同様に頼家の叔父に当りやはりこの地で亡くなりました。
時間をかければ、まだまだ見るところはあるはずですが、湯ケ野まで行くために今回はここまでで修善寺とおさらばしました。
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福田屋 |
湯ケ野
修善寺から河津行きのバスに乗り、湯ケ島、天城峠を越えて、河津七滝を過ぎると、湯ヶ野の部落です。
私が泊まった「国民宿舎かわづ」は河津川の上流にあって、眼下に『伊豆の踊子』の主人公の一高生が泊まった「福田屋」を見下ろせます。宿の人の話では、踊子が泊まった木賃宿はこの辺りにあったとか。
原文では一町ほど離れたことになっていますが、文中にもあるように、太鼓の音が聞こえる距離でした。
部落は小奇麗な「福田屋」を除けば人影もまばらで、客は修善寺、湯ケ島、河津七滝に取られてしまったのでしょうか。混むのは河津桜の季節のみのようです。
昔はここまで来るのは大変で、川端康成も湯ケ島の湯本舘で『伊豆の踊子』を執筆しました。
2008.6.16 掲載
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