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ヴェローナ


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エルベ広場のヴェローナ像

 ヴェローナには12月6日から11日朝まで滞在しました。しかし、実は宿を探すために5日にマントヴァから日帰りで往復し、グラン・ガルディアの第一会場にあるマンテーニャの目玉の作品はこの日に見てしまいました。
 一つはバシリカ・ディ・サン・ゼノにある三幅対の祭壇画です。この画は1456年から1459年に描かれたといわれています。この祭壇の下の小さな画はナポレオンの軍隊によってフランスに持ち去られ、今回も中央の画だけがルーブルから戻って展示されていました。しかし、トゥールにある下の部分の両側の画は展示されていません。
 「地球の歩き方」の「現在はルーブルの所蔵」という表現は正確ではありません。
 私はその昔、サンチャゴ・デ・コンポステラへのパリからのルートの道すがら、この画を見ました。
 二つ目の目玉は「トリヴルジオ祭壇」で、1497年にこの街のサンタ・マリア・ディ・オルガノ教会のために描かれましたが、今はミラノの市立スフォルツァ城博物館にあって、今回特に展示されたものです。
 その他の作品では、版画が注目されます。現存するものとしては1480年代のものが一番古いのですが、この版画が北ヨーロッパに紹介されてショーンガウアーからデューラーにまで影響を与えたと思っています。
 マンテーニャの作品は世界に散在しており、今回の展示会はマンテーニャ本人よりも、同時代や次世代のルネサンス期の画家の紹介ないしは売り込みに重点が置かれているように感じられました。

 そこで私もヴェローナの街について紹介したいと思います。
 ヴェローナはミラノから鉄道でICを利用して東へ1時間30分、ヴェネチアからやはりICで西へ1時間20分のところにあります。またマントヴァはヴェローナから鉄道で南へ40分ほどのところです。
 ヴェローナの街についてハイネは、たった一日の滞在だったと断ってはいますが、六日もうろついた私よりもしっかりとしたコメントを残しています。
 これは『ミュンヘンからジェノバへの旅』(ハイネ散文作品集第2巻、松籟社刊行)からの引用です。

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サン・ピエトロ城 アディジュ川の対岸で麗にテアトロ・ロマーナがある

 「ヴェローナ、この、アディジェ川両岸にまたがる古風で世界的に有名な町はいつも、いわば寒い北方の森を捨ててアルプスを越え、好ましいイタリアの黄金の太陽を楽しもうとするゲルマン移動民族の最初のステーションになった。一部の者はさらに南へ下り、他の一部はこの地自体がたいそう気に入り、ここを郷里のような、快適な生活の場にしたのである。彼らは絹の普段着を身につけ、なごやかに花や糸杉の下を散策していたのだが、しかしとうとう、新鮮な鉄の衣服をまだ身に纏う新入りが北方からやってきて、彼らを追い出してしまった。-———これが頻繁に繰りかえされ、歴史家たちが民族移動と呼ぶ歴史なのである。いま、ヴェローナの市域を散策してみると、至るところに往時の冒険の痕跡や、古い時代、新しい時代の痕跡が認められる。・・・・」

 この後に「ゲーテは自然に鏡をあてている。あるいはもっとよく言えば、ゲーテそのものが自然の鏡なのである。・・・・」という皮肉な文章が続きます。
 圧巻は「君知るや、レモンの花咲く国を・・・・」の詩の引用に続けて:
「-——とは言え、八月の初めだけは旅行しない方がよい。日中は太陽に焼かれ、夜はノミに食われるからだ。・・・・」とヴェローナの叙述を締めくくっています。
 皆さんも夏のイタリアにはくれぐれも用心してください。

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ピエトロ橋

 さて一方のゲーテはどうでしょうか。少し涼しくなった9月15日から18日までヴェローナに滞在したようです。『イタリア紀行』岩波文庫版によると:

 「円形劇場は、すなわち古代の重要記念物のうち、私の見る最初のものであり、しかもそれは実によく保存されている。中にはいったとき、そしてまた上に昇って縁を歩きまわったときにはなおさらのことだが、私は何か雄大なものを見ているような、しかも実は何も見ていないような、一種異様な気持がした。実際それは空のままで眺めるべきものではない。・・・・・
 こういう作品を保存しておいてくれたのについては、ヴェロナ人は賞賛されなければならない。建物は赤みがかった大理石でできているが、石が風化作用に侵されるので、腐食した階段が順ぐりに始終造りかえられ、そのためほとんど全部がまるで新しいもののように見える。・・・・」

 この最後のくだりは、この後で訪ねるその当時のローマのコロセウムの惨状と比べて書かれたものでしょう。


2007.4.6 掲載

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