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マントヴァ(その二)


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エルベ広場にある「ロトンダ」

 マントヴァはヴェローナと同じく南北ヨーロッパを結ぶ位置にあるため、ヨーロッパの歴史の中で重要な役割を果たしてきました。
 古くは1077年1月25日の「カノッサの屈辱」として名高い教皇グレゴリウス七世と皇帝ハインリッヒ四世の間を取り持ったトスカナ女伯マチルダにゆかりの地といわれ、カノッサ宮がある他に、街の中心のエルベ広場にあって「ロトンダ」の愛称で市民に親しまれているサン・ロレンツオ教会を建立したと伝えられています。

 もう一人忘れてならないのはナポレオン軍と戦ったチロル独立運動の志士アンドレアス・ホーファーがこの地で1810年2月20日に処刑されたことです。
 私は彼のことを、ハインリッヒ・ハイネの『ミュンヘンからジェノバへの旅』で知りました。ゲーテが泊まったことで有名なインスブルックのホテル・ゴルデナー・アドラーの主人との会話です。ゲーテは確かにこの宿に二回泊まってはいますが、『イタリア紀行』の中でも一、二行で片付けています。一方のハイネの説明は詳細を極めています。ホーファーは革命家としてアンシャン・レジーム側から睨まれたことが多分このハイネの無視に繋がっているのでしょう。

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ホーファーの処刑地に建てられた記念碑

 この街でホーファーはどんな扱いを受けているのか、恐る恐る聞いた私に、地図の上の処刑地に建てられた記念碑の場所が教えられました。街を取り巻く湖の北西にありました。
 チロル問題はイタリアにとっては、咽喉に刺さった棘のような問題です。この記念碑が建てられたのが1984年で、チロル問題が和解した時期に当たるように思われます。
 記念碑には、「1809年の開放戦争を戦った」と記されています。

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ホーファーの処刑判決の記念碑

 もう一つ驚いたのは、全くの偶然ですが、アルコ宮に「ここで1810年2月19日に死刑判決が下された」という記念板があったことです。しかも2006年2月18日にここに置かれたという事実です。EUは国家を超えつつあることを強く感じた瞬間でした。

2007.3.14 掲載








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