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南北チロルの旅・続(その一) チラー・タール

06年8月30日より9月5日まで

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フィッチャーヨッホのイタリア側の
山小屋の前の広場で憩う人たち

この旅とほとんど同じコースを二、三年前に訪れました。その時の様子は第一回の「南北チロルの旅」として、このホーム・ページのバックナンバーで見ることができます。是非参考にしてください。

まずなぜ8月も終りから9月の初めという時期を選んだか、を説明する必要があります。
 皆さんご存知のように、6月の出発の航空券は安くて、7月、8月と高くなります。そのためもあって、日本の梅雨時を避けてヨーロッパの旅をすることが多かったのですが、一つ問題がありました。ヨーロッパ・アルプスの夏のシーズンははじまりが遅く、7月中旬にスタートします。
  ここに写真で紹介したマイヤホーフェンからチラー川の支流であるツァム渓谷を遡ったドミニクス・ヒュッテとその眼下に広がるシュレークアイス・ゼーには、7月の第二週ころまでバスが入りません。その頃まで所々残雪が残っているのです。
 そこからさらに登った、今ではオーストリアとイタリアの国境になっている、フィッチャーヨッホを越えるのも7月中旬以降のことになります。

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湖の上に移されたドミニクス・ヒュッテ

その昔、D・H・ロレンスとフリーダがこの峠を越えたのは、1912年の8月30日だといわれています。今回の旅で、私が峠のイタリア側にあるヒュッテにいったのが9月1日のことでした。8月30日に予期せぬ初冠雪があり、心配しましたが、その後は素晴らしい晴天続きでした。
 ロレンスがこの峠を越えた時には、まだ湖はなく、昔のドミニクス・ヒュッテは湖底に沈み、今のヒュッテが丘の上に新しく作られました。当時のロレンスは無名で、お金もなく、マイヤホーフェンのどこに泊ったのかも分かりません。
 この小屋にもロレンスを記念するものは何もありません。
 素晴らしいお天気に恵まれたフィッチャー・ヨッホへの道は湖岸から約二時間半ほどの行程で、途中に飲食のできる山小屋、こちらでいうヤオゼンスタティオンもあります。ツァム渓谷に沿っての緩やかな登り道は、人造湖を過ぎると大きな樹木もなく、平坦な道でした。川の右岸を登って行きます。対岸の向こうには壁のように尾根が続き、適当な距離を隔てて三つの滝が流れ落ちていました。足元の岩には黄色い苔のようなものが付着しています。有機物なら苔だし、無機物なら硫黄が析出したものでしょうか、僕には一体何なのか、よく分かりません。気をつけて見ると、この石の上の析出物は南チロルでも、エッツ・タールでも目につきました。

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ドミニクス・ヒュッテの前の広がる
シュレークアイスゼー(ダム湖)

前回の旅行ではツェル・アム・チラーに泊りましたが、今回はマイアホーフェンに5泊しました。レストランはどちらにも安い店がありました。ただマイアホーフェン行きのバスは遅くまでありますが、ツェル方面へのバスも列車も早くなくなります。その点はマイアホーフェンが有利で、夕食をツェルで食べる事もできます。

2006.12.7 掲載




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