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スペインへの旅 第1回 パンプローナの牛追い祭

へミングウエイの出世作『日はまた昇る』で、有名になったパンプローナの「牛追い祭」を見物してきました。
 パンプローナの街はスペインの北部、ピレネー山脈の南に位置しています。
 ピレネー山脈を挟んで、北側のフランスと南側のスペインにまたがって住んでいるのがバスク民族で、その中心都市の一つがこのパンプローナです。
 バスクと日本とは切っても切れない関係にある、と申し上げたら驚かれる方も多いと思います。日本にキリスト教をはじめてもたらしたフランシスコ・ザビエルはこの地方出身のバスク人で、お父さんはパンプローナの宮廷に仕えていました。近くのハビエル城はザビエルの生まれ育ったお城です。
 ザビエルの属した「イエズス会」の創立者イグナチオ・ロヨラもバスク人の騎士で、パンプローナの篭城戦で負傷してから発心して神父となりました。

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7月6日正午前、礼拝堂の前で市長の開会宣言を待つ人

そのためにカトリック教ではバスク人の守護聖人の大天使ミカエルが、我々日本人の守護聖人となっています。上智大学を設立したのがイエズス会で、その一隅に会の創立者の名を冠したイグナチオ・ロヨラ教会が立っています。

この「牛追い祭」は毎年7月6日から14日まで行われます。
 6日の正午に市庁舎のバルコンから市長が開会の宣言をしてお祭がスタートします。最初の日はシャンパンやワインが景気よく抜かれて、丁度プロ野球の優勝祝賀会にそっくりの風景でした。バールやレストランは昼夜を問わず満席で、飲めや歌えの大騒ぎが14日まで続くそうです。
 闘牛は翌日の7日からはじまり、朝8時に牛を厩舎から闘牛場に移します。逃げる観衆を牛が追いかけ、時には負傷者も出ます。
 その様子をへミングウエイは『日はまた昇る』で、こんな風に書いています。

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「・・・バルコニーに出た。眼下の細い通りには人影がなかった。が、通りに面してずらっと並んだバルコニーは、どれも鈴なりだった。突然、ひとかたまりの男たちが通りを走ってきた。一つの密集した集団になって、懸命に走っている。彼らは眼下を通りすぎて、闘牛場のほうに走り去った。その背後から、さらに新しい集団が、もっと速いスピードで走ってきた。さらにその後ろから、遅れた連中が血相変えて走ってくる。その背後にすこし空間があいたと思うと、雄牛の群れが頭を上下に振りながら疾駆してきた。彼らは瞬く間に角を曲がって姿を消した。一人の男が倒れて下水溝のほうに転がり、そこでじっと横たわっていた。雄牛たちはそれに気づかずに、走っていく。彼らは一団となって走っていた。」

人々の服装は男女とも上下白で、赤いスカーフを首に巻いています。赤と白、どこかで見た色の組み合わせですね。そうです。オーストリアの国旗です。チロルを旅すると、この二色に窓やバルコンが縁取られた建物をよく見かけます。この地方も長い間スペイン・ハプスブルク家の統治下にありました。ふとそんなことを思い出しました。
 ただこの服装は新しいようで、へミングウエイはこのことに触れていません。
 今年は闘牛士が牛に殺されたり、牛追いの途中での負傷者も多かったようです。

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サン・フェルミンの成人象とともに練り歩く

昼間は聖体行列が街を練り歩きます。大入道の行列は昔7月25日のお祭の前後に見たサンチャゴ・デ・コンポステラのものにそっくりでした。
 この行列の様子は『日はまた昇る』の中でも、次のように紹介されています。
「午後には、盛大なキリスト教の行列もあった。サン・フェルミンの聖人像が、一つの教会から別の教会へ移されるのである。行列には、民間と教会関係のすべての有力者が加わった。・・・・道路から縁石までびっしり埋まった人込みの隙間から辛うじて見えたのは、各種の巨大な人形だった。高さ三十フィートもあるアメリカ・インディアン、ムーア人、王や王妃の像が、リアウ・リアウのリズムに合わせていかめしく旋回したり踊ったりしていた。」
 古さから言えば、勿論サンチャゴでしょうから、巡礼路に沿ったパンプローナの町とはお互いに巡礼を通して交流があったのでしょう。

さて肝心のお話が抜けています。宿についてはお話しする自信がありません。
 このお祭の間は普通でも宿賃は三倍に跳ね上がります。
 私はまったくの勘違いから、お祭前が24ユーロ、6日からが115ユーロを払うはめになりました。これは五倍近い値段でした。シャワーもトイレも部屋になくてこの値段です。ただ地の利が良いというのか、宿の真下を牛が駆け抜けました。
 どうしたらよかったのか。三、四日前からこの町にきて宿を探すのが一つの方法、後は近くの町、例えばヴィトリアに宿を取って、一晩パンプローナで飲み明かすという手もあるでしょう。

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カスティーリョ広場にて

町の中心はカスティーリョ広場で、ここには『日はまた昇る』に何度も出てくる「カフェ・イリューニャ」があります。「イリューニャ」はバスク語で「パンプローナ」のことだ、と聞きました。

 

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