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パリへの旅 番外編 ウィーンとノイジードラー・ゼー

昨年(03年)10月20日にパリを発ち、ウイーンとその郊外でハンガリー国境に近いノイジーデル・アム・ゼーに併せて一週間滞在しました。
 まだ10月下旬で紅葉も進まないうちに、二、三日前からドイツ南部で降りはじめた雪が南下して、23日の夜にはどか雪となって、「雪折れ」を目の当たりにしました。

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セセッシオン

私が最初にシャッターを切ったのは、分離派会館"セセッシオン"でした。わが国では「アール・ヌボー」と呼ばれている19世紀末の芸術運動の殿堂です。
 実はこの運動はドイツのミュンヘンで始まり、「ユーゲント・シュティル」と呼ばれ、ウイーンに飛び火し、その後多分フランス経由でわが国に入ったのでしょう。それで日本ではこの運動を「アール・ヌボー」とフランス語で呼んでいます。
 分離派の中心人物はグスタフ・クリムトで、その弟子にエゴン・シーレがいます。
 歴史にイフは許されませんが、もしシーレと一緒に美術学校を受けたヒットラーがその時に合格していたら、二十世紀の歴史はまったく違ったものになっていたでしょう。
 クリムトのモデルになった女性のなかに、哲学者ヴィトゲンシュタインのお姉さんがいます。ヴィトゲンシュタインがお姉さんのために設計した建物が今も残っていて、ブルガリア大使館として使われています。
 最近のウイーンで特筆すべきは、宿代は40ユーロほど取られますが、食事の安いことです。昼食ですと、中華料理のバイキングに0.5リットルのビールを飲んで10ユーロで納まります。
 田舎の保養地では、逆にホテル代は20〜30ユーロで済みますが、食事代が馬鹿になりません。

パリでヴェルサイユ宮殿を見て、どうしてももう一度行きたくなったのがラクセンブルク宮殿のお庭でした。エリザベス皇后、つまりシシーが愛した庭園です。

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ラクセンブルグ宮殿の庭

ウイーンからバスで三十分ほどなのに、観光客から忘れられた場所になっています。その理由は、私の推測ですが、ウイーン市でなくて下オーストリア州に属しているためではないでしょうか。ここは私にとっての観光の穴場です。
 私にはマリー・アントワネットはこの庭をモデルにプティ・トリアノンの庭を造ったように思われるのです。生憎とレストランは改装中でゆっくりと食事しながらこのお城のもつ雰囲気を楽しむことはできませんでした。


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ノイジードラー湖畔

ウイーンのホテル代が高いので、郊外の便利で安いホテルを探そうとウイーンの南にあるノイジードラ—湖畔の町を訪ねました。すでにシーズン・オフで、かえって割高、特に一人旅は歓迎されませんでした。それでもシャワー、トイレ付き、テレビもあって朝食込みで24ユーロでした。バルコンなしが気に入りませんが。
 この町では、着いたその夜に大雪に見舞われました。もう一日早くウイーンで雪だったらここへは来なかったはずです。気に入ったのはホイリゲという酒場のワインの安かったことです。1/4リットルのワインが白は1.2ユーロ、赤は1.4ユーロでした。ウイーンのグリンツイングならきっと倍近い値段でしょう。
 今回の旅の反省として、パリやウイーンへ行くならやはりもう少し季節のよい時期を選ぶべきでしょう。
 ではこの時期に欧州へ行くときは、ローマから南へ行くべきです。
 次回からは、パンプローナへの旅を紹介したいと思っています。

 

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