パリへの旅 第2回 久しぶりのパリ、へミングウエイの足跡を尋ねて(その二)
へミングウエイの二番目のアパートは、モンパルナス大通の一本裏のノートルダム・デ・シャン通り115番地にありました。
今では隣は大学のキャンパスとなっており、彼を悩ませた製材所はありません。
今でも学生たちは、へミングウエイと同じように、お菓子屋の中を通り抜けてモンパルナス大通りに出ていました。
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ネイ元帥の像 |
この大通りを東に歩くと、サン・ミシェル大通りとぶつかる角にネイ元帥の像があり、その奥が「クロズリ—・デ・リラ」です。
このカフェでヘミングウエイは原稿を書きました。
一方、わが国では、島崎藤村が第一次大戦の前後に足しげく通ったカフェとして知られており、横光利一もヘミングウエイの後で1936年、
ベルリン・オリンピックの取材を兼ねてパリを訪れた際に立ち寄り、『旅愁』の中に次のように登場させています。
「千鶴子には日のよくあたる部屋をと思って、矢代はルクサンブールの公園の端にあるホテルを選んでおいたが、それが千鶴子にはひどく気に入った。
・・・窓を開けると、公園から続いて来ているマロニエの並木が、若葉の海のように眼下いっぱいに拡がって見えた。・・・
「この木の並木は藤村が毎日楽しんで来たという有名なあの並木ですよ。あれからもう二十年たっていますから、そのときから見れば、随分この木は大きくなっている筈ですよ。」
と矢代は説明して、
「このすぐ横にリラというカフェーがありますよ。ここへも藤村が毎日行ったということですから、ひょっとすると、このホテルは藤村のいたホテルかもしれませんよ。」
「じゃ、リラへ行ってみたいわ。」
と千鶴子は嬉しそうに窓から右の方を覗いてみて云った。・・・三人はすぐホテルを出ると夕食までルクサンブールを散歩しようということになった。
「でも、あたし、さきにリラへ行きたいわ。」
「もうリラなんか昔語りでつまらんですよ。あそこは老人ばかりで、集まってるものが皆ぶつぶつ云ってるだけだ。」
久慈はそう云うとひとりマロニエの並木の下へさっさと入っていった。・・・」
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カフェ「レ・ドゥー・マゴ」 |
逆にモンパルナス駅の方向に向かうと、ヴァヴァンの交差点に出ます。
ここにはモンパルナス大通りを挟んで、ドーム、セレクト、ロトンド、ラ・クーポールといった有名なカフェが軒を連ねています。 ただ今では、繁華街の中心はルクサンブール公園の北側、セーヌ河寄りのサンジェルマン・デ・プレ界隈に移っていました。
ここにはレ・ドゥー・マゴ、カフェ・ド・フロール、リップなどの有名店が集まっています。 『移動祝祭日』の中では、「リップ」はお金の入ったへミングウエイが食事に行く場所として紹介されています。
ここから東へ、セーヌを溯ってシテ島を通り過ぎ、サンルイ島に渡るところにトゥルネル橋があります。 この橋からシテ島のノートルダム寺院の眺めは素晴らしく、『日はまた昇る』の先ほどの文章の直ぐ前に次のように書かれています。
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トゥルネル橋 |
「・・・川下には、ノートル・ダム寺院が、夜空に高くそびえ立っていた。ケ・ド・べチュ—ヌから木造の歩道橋を渡って、 セーヌの左岸へ出る途中、橋の上に立ちどまって、川下のノートル・ダムのほうを見わたした。・・・
『こいつはすばらしい』ビルが言った。『もどってきてよかったよ』・・・」
この橋は今ではコンクリートになっています。
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