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パリへの旅 第1回
久しぶりのパリ、へミングウエイの足跡を尋ねて(その一)


03年10月13日から20日までの一週間、久しぶりでパリを訪れました。
 今さらパリか、ダサいな、と思わないわけではありません。
 ただ今回は目的を絞ってみました。
 先ずヘミングウエイの活躍した1920年代のパリです。

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彼が最初に住んだカーディナル・ルモアヌ通り74番地のアパートからスタートしましょう。地下鉄10番線のカーディナル・ルモアヌ駅から同名の通りを上って行くと、コントルスカルプ広場の直ぐ手前にこのアパートがあります。

 『移動祝祭日』の中で、酔っ払いが一杯で汚い酒場と書かれた「カフェ・デ・ザマトゥ—ル」は、ハーゲンダッツのアイスクリーム屋になっていました。この店の上には、「メゾン・ド・ラ・ポム・ド・パン」と書かれていて、フランソア・ラブレーが愛用した酒場だったことを示しています。

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このコントルスカルプ広場から見て、カーディナル・ルモアヌ通りの左側がデカルト通りで39番地はヴェルレーヌが亡くなったホテルのあった場所です。その建物の屋根裏部屋をヘミングウエイが仕事部屋に借りていました。その先の39番地は辻邦生さんのアパートでした。辻さんは誰に思いをはせてここに住んだのでしょうか。

デカルト通りはコントルスカルプ広場から南はムフタール通りと名前を変えますが、丁度この広場に面した建物の二階に「オー・ネーグル・ジョワユ」という名前が残っています。『日はまた昇る』の中でジェイク・バーンズが通り過ぎたバーの名残です。

『日はまた昇る』には次のように書かれています。

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「橋を渡って、カルディナール・ルモアンヌ通りを歩いた。急な坂道をのぼって、コントルスカルプ広場に出た。広場の木々の葉のあいだからアーク灯の光がもれてきた。・・・『オー・ネーグル・ジョワユ(Au Negre Joyeux)』のドアごしに音楽がきこえてきた。『カフェ・オ・ザマトール』の窓ごしに、細長いトタン張りのカウンターが見えた。・・・」

デカルト通りをセーヌ河の方向に下って行くと、左手にパンテオン、さらに左に行くと、 パリでも最も古くて長いサン・ジャック通りを越えてサン・ミシェル大通りに出ます。
 セーヌに向かうとサン・ミシェル広場ですが、今ではヘミングウエイが原稿を書いたような静かなカフェはありません。

 

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